2012年09月14日

「炎の津波」が迫るその時。大地震と地震火災


「炎の津波?」

NHKのアナウンサーは思わず聞き返していた。聞き慣れぬ言葉である。その言葉を発したのは、中林一樹教授(明治大学)。都市防災の専門家である。

「地震で『海の津波』のことはよく言われますけど、もし木造住宅の密集地で大きな地震が起これば、至るところで火災が発生し、その炎や輻射熱がまるで津波のように住民たちに襲い来るのです」



大波のごとく一気に燃え広がる炎は、高さ20〜30mにも及び、その巨大な炎の放つ強烈な熱波(輻射熱)に、人々は追い立てられる。その目には見えない輻射熱でさえ、20m先のモノを発火させてしまう力を持つ。もし人が近寄れば、わずか5秒で着ている服が燃えてしまうほどである。

まさに「炎の津波」。



◎同時多発かつ高速


巨大地震における地震火災の特徴は「同時多発」的であること。たとえば、首都東京の直下地震では、800カ所以上から同時に火の手が上がると想定されている。

そして、火の手が回るのは予想以上に早い。直接炎や輻射熱に触れなくとも、数100m先まで飛んでいく「火の粉」が、新たな火災を誘発するのである。最新の研究では、風に乗った火の粉は700m以上も飛んでいき、新たな火種をつくりだすという結果がでた。その実験では、火の粉の生んだ火種が建物を燃やすまでに要する時間は、わずか8分であった。



都の想定によれば、811カ所で発生する出火のうち、そのうちの約8割、240件ほどの火災は、地震発生から15分以内に起こるとされている。そして、それらの火は、火の粉という飛び道具を使いながら、思わぬところも炎に巻き込んでゆく。

過去の阪神大震災では、約280件の火災のうちの87件が15分以内に発生したのだという。



◎盲点


先の東日本大震災で発生した大津波は記憶も新しく、「地震→津波=即避難」という反応は、多くの人々の脳裏に明確にインプットされたかもしれない。

しかし、「地震→火災=即避難」と考える人々はまだまだ少数派であり、まだ見ぬ将来の大震災においては、抜け落ちやすい盲点と考えられている。



かつての関東大震災においては、犠牲者が10万人を超える大被害となったのは他でもない、地震による大火災が原因である。もし火災が発生しなかったら犠牲者のうちの9割は助かったのではないかとまで考えられている。それほどに、この大地震にあっては際限なく燃え広がった火災が多くの人々の命を奪ったのである。

当時の東京市内、130カ所以上から発生した火災は3日2夜も燃え続け、東京全市街のおよそ3分の2は完全に焼失してしまったという。

この時に発生したとされる火災旋風(炎の竜巻)は、鉄をも溶かす超々高温、その内部は秒速100m以上というあり得ないほどの暴風に達していたと考えられている。ちなみに、この火災旋風というのは、阪神大震災においても確認されている。



◎火を見てからでは、もう遅い


大地震が起きても、「まだまだ大丈夫だ」と考えるのは、時として危険を伴う。それが木造住宅の密集地であれば、地震火災が町を焼き尽くすまでにそう時間はかからない。

場合によっては「火を見てからでは、もう遅い」。「煙の臭いが漂ってきた段階で身構え、上空に煙を見たら、もう逃げる」。そんなスピード感が求められるとのことである。

ある程度、町に火が回ってしまうと、次々と道路や橋などが通行不可能になっていき、思わぬ遠回りを強いられることもまま発生し、よけいに時間を浪費してしまう。初動の遅れは、のちのちのより大きな遅れとなってしまうのだ。



しかし、いくら「早く逃げねばならない」といっても、自らの家が火の元になった際には、懸命かつ迅速な消化に当たらなければならない。この各家庭での「初期消火」というのが、火災の広がりを防ぐ肝となる。

消せる火も消さずに逃げてしまっては、火の手をいたずらに早めてしまうことにつながり、それが自らの退路を塞いでしまうという顛末にもなりかねない。逆に、一分一秒でも火の手が広がるのを食い止められたら、それは多くの人が逃げる時間をかせぐことにつながるかもしれない。



当然、大地震の直後に消防車はやって来ない。「自らの手で消し止めなくてはならない」。その体制を整えておくこと、具体的には消火器を用意しておいたり、家中に難燃性のモノを増やしておいたりするのは事前の務めとなる。

もし、消火できないと判断すれば、一刻も早く逃げることになる。その判断基準は「天井に火の手が達するかどうか」だそうだ。天井に炎が届くまで炎上してしまっていたら、その火は素人の手でそうそう消せるものでないとのこと。

最近では、「投げる消火剤」というものもあるようで、逃げながらでもこうしたものを火に投げ込んでおけば、それはまた地震火災のスピードを弱めることにもなるのだという。





◎危険な小学校


「さあ、どこへ逃げよう?」

多くの人は避難先として、近くの小学校や中学校のグラウンド、または公民館などをイメージするという。東京のある町にアンケートをしたところ、住民のおよそ7割がそう答えていた。



「それは危険だ」

そう指摘するのは、関澤愛教授(東京理科大学)。なぜなら、数階建ての校舎に囲まれたグラウンドとて、20〜30mも燃え上がる炎は、その校舎の上から顔を出す。そして容赦なく熱風(輻射熱)を吹き付けてくる。

たいていの小学校のグラウンドは100〜120m四方だというが、もし炎に取り囲まれてしまったら、猛火の熱風には耐えられない。たとえ炎から50m離れていたとしても、体感する熱の温度は60℃を超えてしまう。

「熱いなんてもんじゃありません。いっときもその場にはいられません」

100四方しかないグラウンドでは、こっち側で50m逃げても、反対側からもまた50mの熱波がくる。もはや逃げ場はない。その上、避難してきた多くの住民たちで押し合いへし合いの状況である。



かつての関東大震災(1923)において、本所被服廠跡(現在の墨田区横網町公園)には約4万人の住民たちが避難してきたというが、そのほとんどの約3万8,000人もの人々が焼死または窒息死している。これは、周囲の猛火が生み出した火災旋風による悲劇であった。

ひとたび火に囲まれた広場では四面楚歌、もはや逃げるに逃げられぬ苦境に追い込まれてしまうのである。



◎安全な広域避難所


「地震火災の時は、近くの小学校ではなく、十分な広さがあり、熱風や輻射熱の危険が少ない『広域避難所』に逃げる必要があるのです」

関澤教授は、そう勧める。建物の倒壊から身を守るという意味では、小学校なども有効であるが、ひとたび火災が発生したのならば「広域避難所に直接走れ」というのである。先にも記した通り、火の手は人々の予想を越えて、退路を塞ぐのだから。

東京23区であれば、それは都に指定されており、町によっての避難場所が全部決められているのだという。





政府や自治体の防災対策に関しては、こうした避難所となる広場や公園を整備することや、延焼を防ぐために幅の広い道路をつくるなどがある。

たとえば、品川区では大規模な道路(幅20m)の建設が計画されている。その道路は、木造住宅の密集地域を分断し、火が燃え広がるのを防ぐためである。東京都の想定によると、建物の焼失率が最大となるのは、この品川区(32%)なのだそうだ。

しかし、その建設予定地には住宅が密集しているため、およそ500軒以上の住民たちからの同意が必要とされている。迫り来る地震に対してはスピードが必要なことは重々承知でありながら、遅々として進まぬ現状がここにはある。



◎自助、そして共助


「結局、自分の家を守るのは、自分しかいないんです」

そう語るのは、都市防災が専門の中林教授(明治大学)。

「防災で一番大切なのは『自助』です」



「自らを助ける」。もし消し止められるのならば自分で火を消し、一件でも火災を減らす。その上で、余裕があれば「共助」、隣りの人を助ける。

「自助があって初めて、共助というのが成り立つのです」



その自助の手始めとなるのが「耐震」だという。「建物が壊れるところほど、火災が発生しやすい」。まずは壊れないような工夫をすることが、のちの火災を防ぐ「自助」につながる。

「東京では、火災811件という被害想定がありますけど、『自分はその811件には入らないぞ』という意志が、防災の基礎となるのです」



◎素早かったお年寄りたち


この自助の精神がいかんなく発揮された結果、東日本大震災で一人の被害も出さなかった介護施設があった。

その施設が位置していたのは、東日本大震災で最も多くの人がなくなった宮城県・石巻市。しかも、海岸からわずか200mしか離れていない、もっとも危険な場所であった。

当時入所していたお年寄りは47人。なかには歩くことができない人も大勢いたにも関わらず、地震発生からわずか10分足らずで全員が高台まで避難して助かったのである。



どうして? 誰かが助けてくれたのか?

いや、施設スタッフの介護・誘導はもちろんあったものの、皆自力で逃げたのである。その施設だけの力で、逃げたのである。

それは「日頃の訓練」のタマモノでもあった。この施設では10年も前から3ヶ月に一度の避難訓練を欠かさずに行ってきたのだという。日中だけと限らず、時には真夜中、時には早朝と、あらゆる事態を想定しながら。



「はじめは動けない人もいました。でも訓練することによって、立とうとするようになるのです。足も動かせない人でも」。スタッフはそう語る。「お年寄り一人一人の意識レベルは、確実に高くなっていくのです」

ひたすら訓練を繰り返すことで、お年寄りたちは「身体で」避難行動を覚えていった。それゆえ震災当日、たとえ「頭」が真っ白になっていたとしても、「身体」ばかりはしっかりと避難所に向かっていたのである。



それに加えて、施設スタッフの事前の備えも周到であった。市の避難場所がお年寄りたちには「遠すぎる」と判断し、あらかじめ独自の避難所を確保していたのである。近くの製紙会社の室内運動場をいざという時の避難場所として使わせてもらえるよう、頼んであったのだ。

だからこそ、大津波が到来する前に、誰一人欠けることなく、そこへ素早く逃げ込むことができたのだ。

「やっぱり自分たちで出来ることは自分でしないと。何でもかんでも人にしてもらうっていうのは、うまくないんでないかな。一人一人の力を合わせるから、大きな輪になるんでないかな」



◎恥ずべき一大恨事


100年近く前の関東大震災を見た中村清二氏による「大地震による東京火災報告書」には、こんな文言がある。

「消防に勤めたところでは、多くその効を奏しているのを見ると、吾人は人のかの偉大なるに驚かざるを得ない」

焦土となった東京に、なぜか点々と焼けていない場所があったことを不思議に思った中村氏。それが地元市民たちによる懸命なる消火活動の成果であったこを知って、驚きを隠せなかったのだ(具体的には、神田和泉町佐久間町をはじめとする140カ所)。



その一方で、「市民として共同一致して働作することを怠り人、かの偉大な効果十分に発揮しえなかったと断じても過言ではあるまい」とも書いている。もし、十分に協力し合えば、もっと火が止められたとの遺憾を表しているのである。

そして、それは「子孫に対して恥ずべき一大恨事である」とまで嘆いている。



中村氏の嘆きは続く。「江戸の先代の住民は『明歴の大火』に鑑みて、京橋・日本橋の中ほどに中橋広小路という防火用の広場を新設した。愚かなる子孫は、これを無益なる土地の使用法と盲断してこれを廃し、民家をもってこれを充たし、今はただ、その地名を存ずるばかりで実がない」

「明歴の大火」という江戸の町を包んだ大火事(1657)は、その死者10万人ともいわれる関東大震災にも匹敵する大惨事であった。この教訓から生まれたのが「防火用の広場」。しかし、「愚かなる子孫」たちは、この防火用の広場を「無益」と盲断して、そこに民家を並べてしまっていたのである。

この愚行が関東大震災での火災を助長してしまったと、中村氏は悔いたのだ。「恥ずべき一大恨事である」と。





◎小さな積み重ね


明歴の大火、関東大震災、東日本大震災…。こうした大災害は、世代を超えて忘れた頃にやってくる。そして、忘れたがゆえに、その備えは疎かとなってしまう。それがまた災害の被害を拡大させてしまう。

関東大震災を体験した世代には、「地震→火事=即避難」という発想があったかもしれない。しかし、今の我々にそれは薄い。また、東日本大震災を経験した我々の頭には、「地震→津波=即避難」というイメージがインプットされたが、後の世代がそう考えるとは限らない。

もし目先の経済的な価値観ばかりを優先させてしまえば、防災用の広場などは「無益」と断じられるかもしれない。津波に備えて空けておいた海岸線とて同様かもしれない。



先見の明ある識者たちが口をそろえるのは、そうした「小さな積み重ね」のことであった。

小さな訓練を積み重ね続ければ、自然と身体は避難所を向くようになる。小さな防災を積み重ねれば、自分の家が壊れにくく燃えにくくもなり、そうした自助が共助へと輪を広げてゆく。

しかし逆もまた然り。少しずつ危険な場所に家を建てていくこともできれば、少しずつ防災の気持ちを緩めていくこともできる。

将来への選択は明白でありながらも、大災害を体験した世代の気持ちは、なかなか世代を超えることが難しい。伝わらぬまでも、「子孫に対して恥ずべき一大恨事」だけは避けたいものではあるのだが…。



◎何でも良い


ところで、防災というのは、どんな「小さな積み重ね」をしたら良いものか。

矢守克也教授(京都大学)によれば、それは「何でも良い」とのこと。「防災といっても『何からしていいかわからない』というのは、逆に言えば、『何をやっても防災につながる』ということ」。

それは健康体操でも構わない、と教授は言う。逃げ足が少しでも速くなれば、それはそれで立派な「自助」なのだから。



「我先に逃げる」というのは、良く言えば「率先避難」。こうした「クギ」が出てくれば出てくるほど、その町は強くなり、自助は「共助」へと発展してゆく。

そして、その共助に「公助(国の助け)」も加われば、国全体が強くなる。



我々の住む国土は幸にも不幸にも、地震が多い。

そして、涙を流すたびに、この国は強くなってきたのである。

そんな民族の末裔として、後世に誇れる防災意識を世界に示したいものである…。







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出典:
NHKスペシャル「シリーズ日本新生 "死者32万人"の衝撃 巨大地震から命をどう守るのか」
関東大地震(日本史上最大の震災を招いた地震)

posted by 四代目 at 09:42| Comment(0) | 災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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