2012年09月12日

世界に広がる「日本のコメ」。田牧一郎氏の開拓魂。


飛行機で水田にタネをまく。

アメリカの米作りは、そんな壮大なものだった。

「すごいな…、とことん平らで、とにかく広い」



今から23年前の1989年、当時36歳だった田牧一郎氏は、小さな日本の田んぼを蹴って、まさに大海原へと飛び出した。

アメリカ、カリフォルニア州、ここの80ヘクタールという広大な田んぼで米をつくる(日本の水田平均の40倍)。それは心躍るチャレンジであった。

「世界に通用する米作りをしたい」。そんな希望に胸が高鳴っていた。



◎予想通り


「あっ、やっぱり売れたな」

田牧氏がカリフォルニアで育てた米は、彼の予想通り、あっという間に世界に広まった。その理由は、単純に「美味しかった」からだ。



田牧氏は、美味しさの違いが米の中の「水分量」にあることを見切っていた。たとえば、アメリカの一般的な米の水分量は、籾で20%、玄米で13%と日本の米(籾25%、玄米15%)に比べて幾分低い。この数%の差が「決定的な美味しさの違い」になると確信していたのである。

そして、それはその通りだった。理想の水分含有量を実現させるため、田牧氏は独自の乾燥・精米会社までつくった結果、独自のブランド米(田牧米)は、アメリカのみならず、遠くアジアやヨーロッパにまで売れていったのだ。



「幸か不幸か、日本の乾燥・精米技術というのは、世界一進んでいます。というか、日本にしかその技術はないんです」

田牧氏が特にこだわったのは、食味に大きく影響する「米を磨く」最終過程。これには、どうしても日本製の機械が必要だった。日本メーカーの優れた精米機は、米を磨いても温度が上がらず、割れたり、食味が損なわれたりすることが少なかったのである。





◎コシヒカリの壁



渡米5年目、さらに美味しいコメを目指した田牧氏。日本の「コシヒカリ」の栽培に挑戦することに。

今までアメリカで田牧氏が作っていたのは「中粒種」、いわゆるカリフォルニア米というコメで、これはアメリカに住む日本人や、アジア系の人々向けにアメリカが開発したお米だった。

それに対して、コシヒカリという日本を代表する品種は「短粒種」と呼ばれ、丸っこい形がその特徴である。



アメリカでのコシヒカリの栽培、これは予想以上の困難を極めた。その最大の問題は、「カリフォルニアの土」にあった。

「ほら、岩石みたいにカチッカチでしょ」

コシヒカリの根っこは細く、その量も少ない。そんな繊細な根っこでは、カリフォルニア独特の硬い土の上に育つことができなかったのだ。



「これはコシヒカリなんて言えるものじゃない…」

何とか育ったコシヒカリも、その食味は理想とは程遠い。

「普通にやってちゃダメだなっていうことだけは、ハッキリしました」



◎日本の知恵と技術


コシヒカリの壁に阻まれた田牧氏。その壁を越えるには、米作りの基礎となる「土づくり」を一から始めなければならなくなった。

福島でコメ農家をしていた田牧氏は、日本でやっていた土づくりを、このアメリカの地でもやり始めた。マメ科の植物を植えて、空気中の窒素(米の栄養)を土中に取り込んだり、その植物を田んぼに鋤き込んで、土の目を細かくしていったり…。また、水管理なども徹底して行った。



そうした日本の農家の技術を持っていた田牧氏を見て、ともに働くアメリカ人たちは驚き、感心していた。

「日本の農家の皆さんは、我々よりもずっと高度な技術でコメを作っていたんですね。日本の美味しいコメは、根を張らせるのも、収穫するのも、アメリカのコメよりもずっと難しいです」



田牧氏自身も、日本の米作りの技術の確かさを再確認していた。

「こういう技術って数年で身につくようなものではないのです。今までの経験なり、知識なりがずっとあるわけですから」

日本の田んぼには、優れた先人たちの知恵と技術がすでに「土」という形で結晶化している。だからこそ、美味しいお米が易々とつくれてしまうのである。

一方のアメリカの田んぼには、全くといっていいほどその蓄積がない。まさにゼロからのスタート。そんな状況に置かれた田牧氏は、当たり前のようにコシヒカリが実る日本の米作りに「誇り」を感じずにはいられなかったという。



◎新たな限界


試行錯誤の末、アメリカの田牧氏の田んぼにも、念願のコシヒカリ(改良種)が実った。ついに、「日本のコメ」の世界進出である。

小さな日本の農業から飛び出した田牧氏は、その日本の高い技術と深い知恵を、確実に世界に伝えることに成功していた。



ところが近年、田牧氏は「ある限界」を感じていた。それはコストの問題であった。

「カリフォルニアでずっとやってたわけなんですが、水代や地代などのコストがどんどん上がっている。その結果、お客様が『そんな値段では買えない』といって、もっと安いコメに移ってしまいました」



田牧氏のポリシーは、「美味しいお米を、たくさんの人に食べてもらいたい」という一念である。それなのに、値段を上げざるを得ず、お客様は「格落ち」のコメへと流れてしまう。

「これでは面白くない」



20数年前に、日本の農業に限界を感じたように、田牧氏はアメリカでの米作りにも明らかな限界に突き当たった。

そして、かつて日本を飛び出したように、ふたたび彼はアメリカの地を蹴っていた。





◎新天地


「開拓者としての血が、ウルグアイで高品質なコメをつくれと、私に命じたんです」

ウルグアイ? どこだ? それは日本から見てまったく「地球の裏側」であった。赤道も越えているために、季節もまったく逆の南半球である。

ブラジルの下にこじんまりと位置するウルグアイの面積は、日本の半分程度。その人口となると300万人ほどしか住んでいない(日本の40分の1)。



なぜ、ウルグアイ?

「季節が逆だという、それだけの話。日本とは『緯度』がほとんど一緒なんです」

日本とウルグアイは緯度にして、ともに赤道から35°ほど離れたところに位置する。北緯、南緯の違いはあれど、赤道からの距離(緯度)が同じということは、日照時間が同じということ。

「稲が作れるかどうかは、緯度に影響されます。緯度が同じようなものであれば、同じような稲がつくれるのです」



◎地球の裏側で実ったコシヒカリ


そのウルグアイで挑戦するのも、日本の美味しいお米、コシヒカリ(改良品種)。去年11月、試験的に植えた15ヘクタールの稲は、今年4月に刈り取りが終わっていた。北半球では「秋」に実る稲も、南半球では季節が真逆、「春」に稲穂が実る。

「春に『新米』が食べれてしまう。北半球と南半球の両方でやっていると、半年に一度ずつ新米が食べられるんです」



そう言いながら、フォークを片手に早速の試食。

「うまいですね。大丈夫です。新米の甘みもあるし、香りもちゃんとある」

見事、及第点。ふと見ると、コメを炊いた炊飯器は日本製だ。

「お釜は日本から持って来ました。日本のコメが世界進出するということは、炊飯器も一緒です。一緒に出てもらわないと、美味しいお米が美味しく食べられません」と田牧氏。



実は、このウルグアイ、米作りはずっと以前から盛んであった。作られる米は「長粒種」というタイ米のように細長いものであるが、その輸出量は世界第7位。同国の国民は300万人ほどしかいないわけだが、その生産力はその10倍、およそ3000万人を養えるほどに高い。

そのため、ウルグアイにはすでに米の生産・輸出にかかわるインフラが整っている。これは世界を相手にする田牧氏にとって、大きなメリットだ。





◎安い輸送費


田牧氏のウルグアイの米が実ったとの情報を聞きつけ、さっそく台湾からはるばるバイヤーがやってきた。「もし、味が良ければ、台湾のコンビニに売りたい」との話である。

田んぼを一目見たあと、さっそくの試食。開口一番、「買います」。「ほんとうに美味しいです。決めた。買います。美味しい」

来年春にとれる米を即決で予約した台湾のバイヤー、まずは200トン。おにぎりにして400万個分である。売り出しのキャッチフレーズは、「地球の裏側から届いた春の新米」。期間限定でのスペシャルおにぎり。



ところで、「輸送費」に問題はないのだろうか。日本同様、台湾も地球を半周しなければ、ウルグアイにはたどり着かない。

「ウルグアイから台湾に輸送する費用は、日本から台湾に輸送する費用とそれほど大きく変わりません」



なんと、目と鼻の先にある日本と輸送費が変わらない? なぜ?

「台湾や中国からウルグアイには、たくさんのモノが入ってきます。でも、ウルグアイから出ていくモノが少ない。それでもコンテナは戻さないといけない。最悪、空っぽでも。それを防ぐために、とにかく安い料金で何でもいいから運んでくれるんです」

その結果、20フィート(6m)サイズの巨大コンテナが、わずか300ドル(2万4,000円)程度で、地球を半周できるのである。



◎安い生産コストと関税


次にウルグアイの田んぼに来たのは、日本人業者。アメリカを拠点に、日本の食材の販売や輸出を手がける日系専門商社であった。

「南米や中南米にもっと日本食を普及させたい」と語る榎本社長。その最初のマテリアルとしては「コメが一番大事」なのだそうである。美味しいコメがあって初めて、日本食の魅力が伝わるのだ、と。田牧氏がウルグアイでつくる美味しいお米、これこそが最高の「切り札」となるのである。



「陸路で行けちゃうわけだな」

榎本社長が狙うのはブラジルの巨大市場。それはウルグアイと国境を接する地続きの狩り場なのである。しかも、ブラジル・ウルグアイ間には「自由貿易協定」があるため、高い関税なしにブラジルに出荷できる。



田牧氏がウルグアイでつくるコメは、ただでさえ生産コストが抑えられている。

日本の大規模農家(15ヘクタール以上)がどれほど経費を節減しても、10アール当たりの生産費用は約7万5,000円にまでなってしまうが、田牧氏のウルグアイの田んぼでは、それが80%offのおよそ1万6,000円にまで抑えられている。

日本では苗を育てて田植えをする方法が一般的だが、田牧さんは水もはらない乾いた田んぼに直接タネをまいて栽培する。こうした徹底的な作業の簡素化、コスト低減は、アメリカで鍛え抜いた田牧氏にとっては、お手のものであったのだ。



安くつくれ、安く輸出できる。そして、ブラジルの巨大市場は目の前だ。

「ブラジルを筆頭とする中南米市場に日本のコメを広げるのは、これからの世界。この地域に日本食が普及していくのは、これまでの欧米と同様、かなり確かなことです」

日本人業者、榎本社長の目は、はるか遠い未来を確実に見据えていた。





◎研究者たちの夢


次の来訪者は毛色が変わって、大学教授。

名古屋大学でコメの品種改良を研究する北野英己教授。彼は開発中の新しい品種を田牧氏のウルグアイの田んぼで試験栽培してもらっていたのである。今回試したのは「収量アップ」を目指したコシヒカリなどの改良品種30種。

その試験結果は、病気で全滅したものもあれば、期待以上にたわわな実りを見せたものなど様々。それでも、「可能性は高い」と断言する北野教授。彼はウルグアイの広大な大地と可能性にすっかり魅了されていた。

「いやぁ、すごい感激です。このスケール。360°どこにも山がない。見渡す限りの水田というのは、日本にはないですよね。実際に来てみないと、この感覚はわからないですねぇ」



ウルグアイの開放感は、北野教授の心をおおいに解放してくれた。というのも、彼は「隣りの水田と相談しながら、小じんまりと作る日本の田んぼ」に窮屈さを感じていたからだ。かつての若き田牧氏のように…。

技術的には「収量を2倍にする」という新品種の可能性も夢物語ではないのだが、それは日本では求められていない。むしろそんな研究は厄介者扱いされてしまう。なぜなら、「お米が余っているのに、そんなに取れたら困る」というのである。米価が下がり、農家がますます苦しむ、というのである。

これでは、北野教授自身のヤル気、そして、今一生懸命に勉強している後続の若手たちの夢までも奪ってしまう。



一転、世界に目を向ければ、世界中の国が食糧が足りなくて困っている。日本のように「とれすぎて困る国」など、ほかのどこにもない。

「国境を外せば、やることはまだまだ一杯あるわけです」

そう語る北野教授は、ウルグアイの壮大な田んぼを眺めながら、見果てぬ夢を見ていた。





◎由々しき問題


じつは田牧氏、去年から日本に帰ってきていた。

ウルグアイを訪れるのは月一回、作業のほとんどを現地の人々に任せていた。また、アメリカの精米会社もたまに訪れる程度、アドバイザー的な立場になっていた。



久しぶりに日本に暮らしてみた田牧氏。離れていた日本に、意外な変化が起きていたことに驚いた。なんと、日本のコメが不味くなっていたのである。美味しいお米のお膝元であるはずの日本のコメが…。

とりわけ、ファストフードやコンビニのお米は深刻だった。コメの良し悪しを判断するには、「醤油の中で、ご飯をバラバラにしてみるのがよい」という田牧氏。それを実演してくれる。

「これは良くないですね。『割れ』がかなりたくさんあります。割れた米を炊くと、そこからデンプンが出て、ベタベタしてしまうのです」



日本で食べられているコメの水準が下がっている。これは「由々しき問題」であった。

「美味しいお米のスタンダード(基準)は、キチンと維持しなければなりません。それが下がって、コンビニなどのご飯が普通になってしまうと、日本人のコメの味覚も変わってしまいます。これは非常に怖い」



世界を舞台にする田牧氏にとって、日本国内でのスタンダードが高い水準に保たれているのは、日本のコメが世界に羽ばたくための「絶対条件」である。

「これから世界に広げていこうというのに、基の部分がしっかりしていないと、なかなか広がらなくなってしまいます」

非常に困った、非常な危機感を持つべきだ、コンビニ飯を醤油の中でバラしながら、田牧氏の表情は曇っていた。





◎中南米に認められる美味しさ


ふたたびウルグアイに飛んだ田牧氏。夜7時から、日本大使主催の盛大なコメの試食会が開かれる予定である。

この日のために来てもらっていたのは、ロサンジェルスを代表する寿司職人、小野寺盛浩氏。彼は田牧米を高く評価する。「お寿司の決め手は、やはり美味しいコメ。お寿司の美味しさは、コメが70%、魚が20%、自分の腕は10%だと思っています」



寿司職人、小野寺氏が握り始めると、各国から招待されたセレブたちの目は、その姿に釘付けとなる。そして、予想以上の人気。

「みなさん、生魚をあまり食べない人たちだとのインフォメーションがあったんですが…」

用意したご飯はすぐに足りなくなり、急いで追加のご飯を炊くほどの盛況ぶりで。



「Let me try(いただいてみるわ)」と言って、お箸をグーに握ったまま器用にお寿司を口に運ぶ御婦人。彼女はウルグアイに駐在しているパナマ共和国の大使である。

「Sweet, good(甘くて、美味しいわ)」と大満足の彼女。さっそく田牧氏に相談を持ちかける。「パナマでも、この美味しいお米をつくってみたい」というのである。

「タネを紹介し、コメの育て方も教えますよ」と田牧氏。

「じゃあ、私たちの国でもお願いしますわ」とパナマ大使。



田牧氏がウルグアイでつくっている美味しいコシヒカリは、確実にその根を中南米に伸ばしつつあった。



◎新販路の開拓


今度はアメリカに飛んだ田牧氏。

アドバイザーをしているアメリカの精米会社で、食味テストをしなければならない。アメリカ人スタッフは、水分量など検査などのデータ的なことはうまくこなせるが、感覚的な味となるとよく分からない。

一人のスタッフは、こう語る。「アメリカ人はコメをあまり食べないので、良いコメとは何か? よく分からないんです。ですから、田牧さんにコメの理想的な香りや味について教えてもらうんです」

アメリカのスーパーなどにも日本米は並ぶようになった。寿司などのレストランも普及している。それでも、まだ日本人の助けは必要とされている。その生産から精米、流通の過程では、何らかの形で日本人が関わり、その品質と味が維持されているのだという。



田牧氏が次に向かった先は、ロサンゼルスのフランス料理店。新たな販路の開拓である。

「もうすでに、寿司という食べ方は世界に定着しています。じゃあ、次は何か? 今まで短粒種(日本タイプの米)があまり使われていなかった世界、そこに入っていくことで、限りない将来性が見えてくるのではないか、と」



一流のフレンチ・シェフは、田牧氏のコメを「リゾット」に。その味見をしたシェフは興奮を隠しきれない。

「まるでクリーム・リゾットだよ。クリームなんて入れていないのに…」



そのリゾットを試食するのは、料理雑誌の記者やイタリアンのシェフ、そのほか多くのグルメたち。もちろん、そのリゾットは大好評。

試しに、炊き立ての白いご飯も出してみる。ところが、その反応はまちまち。全部平らげる人、一口だけで箸を置いてしまう人…。やはり、コメ自体の美味しさというのは、よく分からないらしい。



◎国家の安全保障


ウルグアイで大使を務める佐久間健一氏は、こんなことを言っていた。

「地球の裏側でコメをつくるということは、日本の食の『安全保障』にとっても極めて重要です」

大使としての佐久間氏が考えるのは、「いざという時」。もし、日本の農業が衰退したら、もし、気候変動でコメを輸入しなければならなくなったら…。

「いざという時に、日本に安定的に食糧を供給することを考えた場合、外国に拠点を置いて、農産物を供給する日本企業が存在するのは、非常に重要なのです」

国を守ることは、食を守ること。そして、食を守ることは、日本の伝統を守ることでもある。国境という枠にとらわれずに…。





◎瑞穂の国、ニッポン


若き日の田牧氏は、日本農業の閉塞感を打破せんと、海外に飛び出した。

そして、海外での経験を積むにつれ、日本の農業が持っていた高い技術や深い知恵のありがたさも痛感した。

なにより、お米の本当の美味しさを分かるのは日本国民をおいて、他にはいないのだ。



そして今、世界は日本のコメの美味しさに気づき始めている。これは、四半世紀にもわたる田牧氏の偉大なる功績でもある。

しかし今、日本の農業は長引く閉塞感から、自らの重みに耐えかねているようでもある。美味しいお米の値段は上がり、国民の食する米は、徐々に「格落ち」しつつある。



先見の明のあった田牧氏は、アメリカで効率的な栽培、そして高い精米技術を駆使して、「安くて美味しいお米」を実現した。しかし、それもコストの高騰の波には逆らえなかった。

そして、向かった新たな新天地、ウルグアイ。ここでは、アメリカ流の効率性、そして日本流の美味しいお米が見事に融合、昇華。ふたたび「安くて美味しいお米」が世界に広がりつつある。



「瑞穂の国」と称されたニッポン。

その技術と志は今、世界へ新たな恵みをもたらそうとしている。

時と場所を越えて、国境を越えて、その夢は果てしなく広がろうとしている。



日本の国境のカベが、その行く手を阻むのであれば、その外で日本の美味しいコメをつくってしまえばいい。

自分の立ち位置を、その時に最善な場所に置き換える田牧氏。彼の行く先には、いつも希望があふれ出てくる。そして、その魅力に引かれて、多くの人々が集ってくる。

いかに場所を変えようとも、田牧氏の志は微塵も揺るがない。御年まもなく60。四半世紀にわたり彼の開拓した道は、確実に未来へとつながっている。







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出典:
NHK ETV特集 「地球の裏側で”コシヒカリ”が実る」

posted by 四代目 at 08:33| Comment(5) | 農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
田牧氏の話は偶然NHKで観ました。この話に希望を覚えました。また、この話は広く知られなければならないと感じました。貴ブログに要領よくまとめられているのを発見し、Facebookに投稿させて頂きました。
Posted by 小竹正記 at 2012年09月24日 05:03
私もNHKの番組を偶然見て、とても田牧氏の活動に興味を持ちました。ブログにとてもうまくまとめてあるので、この番組が私の中でよみがえりました。ありがとうございました。facebookからリンクを張らせていただきます。
Posted by 中島英二 at 2012年11月24日 14:51
現在、アトランタに在住し、キルト三昧の生活をしています。
田牧夫妻は、中学校の同級生です。
彼の案内でイグアスの滝の観光を計画中・・・
彼のHPは、未だ工事中なので、リンクを張らせていただきました。
Posted by 山川 光子 at 2013年01月02日 02:10
田牧さんの公演等があれば一度参加させて下さい。どのようにすればお会い出来るかお教え下さい。
Posted by 宮本康二 at 2013年03月23日 13:04
 突然のご連絡する失礼申し訳ありません。北海道の米農家です。個人的に2月パラグアイを1ヵ月再訪したいと計画しております。

 「WEDGE」の連載を読ませてもらい、出来ればウルグアイの現地を見せていただければと思っております。可能でしょうか?

 2010年にウルグアイ・モンテビデオ近辺を1週間廻った事がありますので多少の土地勘はございます。その折常石グループの農場があることは友人から聞いておりましたが、見ておりませんでした。

 もし、宜しければ訪問させていただきたいと思っております。良ければMVD発の航空券を手配したいと思っております。

 取急ぎお伺いと致します。
Posted by 小橋 一哉 at 2013年12月25日 07:09
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