2012年09月10日

夜明けきらぬ「イエメン」。銃をもつ男たちの国


「カートは蜂蜜よりもありがたいね。食事は我慢できても、これを噛むのはやめられないよ」

ワシ鼻のアル・コラニは、カートを口いっぱいに頬張りながらニヤリと笑った。「カート」というのは麻薬であり、その若葉の汁が覚醒作用をもたらす(和名:アラビア・チャノキ)。つまり、この葉っぱを噛めば、アル・コラニのように「幸せ」になれるのだ。彼の荒れた手はカートの葉っぱで緑色に染まっている。

「一回噛んだら、3日はバッチリ目が冴えてるよ」



ここは「イエメン」。アラビア半島の底に位置するイスラム教の国である。イスラム世界のほとんどの国々がカートを非合法とする中、この国ではカートが合法とされており、国民の4割、およそ1000万人が一日4時間以上カートを噛んでいるという調査結果がある。

麻薬といえども、カートの効果・毒性は非常に低いものであり、日常的に酒やコーヒーなどを飲んでいる人には、ほとんど効かないとも言われている。そのため、日本でも規制の対象とはなっていない(先進国の多くでは非合法とされているが…)。



◎金になるカート


ワシ鼻のアル・ニコラの一族は何世代にもわたって、このカートの栽培を続けている。収穫は年に2回、売上高は年間およそ32万円。イエメン国民の平均年収は8〜9万円程度であるから、彼の収入は一般人の4倍近くもある。

その高額な収入もさることながら、アル・ニコラにとって、朝から晩まで好きなだけカートを噛んでいられるというは、嬉しすぎる特典である。

「大麻なんて比べ物にならないね。何しろ、カートは噛みながらでも仕事ができるんだ。カートさえ噛んでりゃ幸せさ。食べ物なんてなくてもいいさ」



イエメンでは食糧の大半を「輸入」に頼っているが、このカートばかりは「食糧そっちのけ」でセッセと栽培されている。カートの市場規模は年間1000億円近くあり、栽培農家にとってもこれほど実入りの良い作物は他にない。普通の国民が一日100円程度で生活している中、カートの売り手は一日で8万円も稼ぐことがあるという。

「小さく柔らかな葉っぱのついた赤い茎のカートが、一番甘くて効き目も強いんだ」。そう言いながら、市場のカートを品定めしていた男は、効き目の強そうなカート一束を約2,000円で買った。これが一晩の量らしい(トロンとした目つきの彼は、やや中毒気味だ)。



◎酒代わりのカート


イエメン国民がカートに費やす金は決して小さいものではなく、確実に家計を圧迫する。それでも、彼らがカートを噛み続けるのは、この国では「飲酒が禁じられている」ためでもある(厳格なイスラム教徒は皆、飲酒をしない)。

この国でのカートは、いわば「酒代わり」。集いの席では必ずカートの枝が用意され、カートの葉を一枚一枚ちぎっては口に入れ、頬を膨らませながらクチャクチャと噛み続ける。そして、滲み出た汁を水とともに時々飲み込む。

イエメンで「優れた外交官」になるためには、カートに親しまなければならないと言われる。それはひとえに、カートを噛むのが酒を飲むことと一緒だからである。皆一緒にカートを噛むことで、軽い覚醒状態になってお互いに打ち解け合うことができるのである。それは、まるで酒席のようであり、格好の情報収集の場となるのである。



◎厄介者でもあるカート


しかし、食糧の乏しいこの国で、食糧よりもカートを栽培することには問題も多い。カートの栽培には普通の作物よりも「大量の水」を必要とする。ただでさえ水資源の貴重なイエメン。その4割もがカート栽培に費やされている。

ワシ鼻のアル・コラニの畑を流れていた川は、突然干上がってしまい、今では毎月3万7,500リットルもの水を深い井戸から汲み上げなければならくなってしまった。町によっては水道が止まってしまった場所もあり、毎日給水車が来る地域もあるそうだ。

また、カートは「新鮮さが命」でもあるため、数少ない輸送手段のほとんどが優先的にカートに回されてしまう。これは「流通の悪化」を招く一因だとも言われている。



それでも、酒やタバコをやめられないのと同様、カートをやめるイエメン国民はまだまだ少数派だ。カート撲滅を目指す組織のリーダーも、「カート反対派はごく少数だ」と言うほどに。





◎混乱


最近のアル・コラニの悩みは、水の問題ばかりではない。去年から国内で巻き起こっている騒乱(イエメン騒乱)が商売の邪魔をしているのだ。それ以来、「商売はあがったり」。反政府デモや銃撃戦が頻発しており、市場では自動小銃AK47を携えた男たちがウロウロしている。

混乱から幼子たちを連れて逃げてきたというある女性は、その町の様子を携帯電話の動画に収めていた。その動画に映っていたのは、街頭に「はりつけ」にされたヒゲ面の男。彼はアルカイダの工作員だったらしく、水平に渡された木材に両手を打ち付けられている。

「彼は3日間、この状態でした。裏切り者は皆こうなるという『見せしめ』なのです」。未亡人になってしまった彼女は、頭からかぶったベールの隙間から、悲しげに黒い瞳だけをのぞかせていた。



◎イエメン騒乱(2011)


イエメンの民衆が立ち上がったのは、2010年にアラブで起きた革命運動「アラブの春」に触発されてのこと。チュニジアで独裁政権が倒れたのを見たイエメンの大学生たち(首都・サヌア大学)は、そのわずか4日後には反政府デモを開始していた。

その火は、野党勢力に、そして独立志向の強い南部地域へと飛び火。その混乱に乗じて、「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」という過激なテロ組織までが暴動を開始した。



イエメンという国は、北部をオスマン帝国に、南部をイギリスの植民地とされていた歴史があり、もともと南北に割れやすい体質があった。南北統一は1990年に成されたものの、分離独立の気風は根強く、スキあらば内戦という不安定さが続いていたのである。

その割れ目に入ってきたのがテロ組織AQAP(アルカイダ)。イエメンに吹いた民主化の風に乗って、彼らはその勢力を大きく拡大することに成功している。ちなみに、イエメンはアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン氏の父親の出身地でもある。



混乱する国内を何とか収めようと、前大統領のサーレハ氏は、減税や貧困世帯への現金支給、公務員や兵士の給与引き上げなどの懐柔策を試みるも、国内の火の手は盛んに燃え広がるばかり。隣国エジプトの独裁政権が退陣に追い込まれるや、もはや制御不能に陥った。

そして去年6月、サーレハ前大統領はついに自宅までを砲撃され、死亡説も流れるほどに負傷し、サウジアラビアの病院へと搬送されることになる。8回もの手術をへて帰国したサーレハ前大統領は、頑なに辞任を拒否。彼がようやく退陣を決意するのは、その年も暮れる頃であった(以後、アメリカへ出国)。

今年2月には新政権が無事誕生する。しかし、アルカイダや分離独立派の火が収まったわけではなく、国内の混乱に収束の見通しは立っていない。



◎「幸福なアラビア」


今のイエメンは世界「最貧国」の一つ。

海を挟んだ隣国のソマリアは「海賊」の悪名が高い国であり、ソマリアからの難民はサザ波のようにイエメンに押し寄せ続ける。1980年代から産出した石油は、2020年には枯渇すると予測されており、その未来は暗い。失業率は40%、とりわけ若年層の失業は深刻であり、まともな職を得るためには、はるばるサウジアラビアまで出稼ぎに行くしかない。

かつて、古代ローマ時代の地理学者・プトレマイオスは、この地域を「幸福なアラビア(Arabia a Felix)」と呼んで、その繁栄ぶりに驚嘆したという。紀元前から発達していた農耕に加え、インド産香料の中継貿易により、当時の王国は栄華を極めていたのである。



ところが一転、今のイエメンにその面影は探せない。

「酷い仕打ちに皆泣いています。この子には敵なんていなかったのに…」。泣き崩れる父親。15歳の娘は武力衝突の最中に銃殺されてしまったのだ。

無法地帯と化している南部の港町アデンには、「ゴミの悪臭や焦げくさい臭気」が充満している。ゴミ収集の作業員たちはもう2週間もストライキを続けており、道路脇に放置されたゴミの山に、ロバやヤギが喜んで群がっている。

かつて、この港町は「国際色豊か」だったとはいうのだが…。



◎イエメンの女性

「私はニカブが嫌いです」

目の光鋭い女性は、キッパリと言い切った。ニカブというのは、イスラム教徒の女性が顔を隠すためのベールのことである。彼女は顔をはっきりと出したまま続ける。「イエメンの女性は選択する権利がないのです」。

イスラム世界では全般的に、女性の社会的地位は低いことが多い中、とりわけイエメンの女性は厳しく低い地位に止め置かれ、医療・教育・経済活動、いずれの場面でもロクな機会を与えられていないのだという。10歳にも満たぬ少女が強制結婚させられることさえある。

スイスのNPO「世界経済フォーラム」の報告書を見れば、イエメンの「男女格差」は調査対象となった135カ国中で最悪だ。



イエメンでは昔から「部族」ごとの結束が極めて強い。各部族は武器はもちろん、法まで持っている。イエメンという国家は、その中に数多くの「小国家」を抱えているような国なのである。部族の誇りをもつ男性は、その部族や家柄を表す「短剣(ジャンビーヤ)」を持ち歩いている。日常的に使用することはないというその刀は、部族のシンボル的な意味合いが強いのだという。

かつて南北イエメンを統一したサーレハ前大統領は、「部族長の部族長」と呼ばれた人物と手を組むことにより、強固な権力基盤を築き上げたのであった。

こうした部族の力の強い地域では、女性の出る幕はまったくない。





◎新しい世代


しかし、外界との接触が増えた現在のイエメンでは、そうした部族の影響力も弱まりつつある。教育が浸透した都市などでは、なおさらその傾向は顕著である。今では部族長を最高権力者とみなして無条件に従うものは少なくなり、自由や人権への欲求が大きくなってきているのだという。かつての誇りの短剣(ジャンビーヤ)を持つ者も少なくなっている。

ニカブで顔を隠さない女性は、そうした新しい世代の一員である。そして、その一人が「タワックル・カルマン」という女性で、その自由な考えや行動が保守派の女性の怒りを買い、一時は暗殺されそうにもなっている。
それでも毎週、自由広場に座り込みを続けた彼女は、2011年に「ノーベル平和賞」を受賞している。これはイエメン人としては初の栄光であった。

Source: google.com via Janice on Pinterest





タワックル・カルマン氏は、イエメンの「新しい夜明け」を唱えた。

しかし残念ながら、今のイエメンはまだ暗いままである。この国はいまだに「銃を手にする男たちの国」なのだ。



◎一燈


それでも、彼女たちが希望を捨てることはない。夜明け前の空は、「もっとも暗い」のであり、その暗さに諦めることはないのである。イエメンの「夜明け」がいつになるのかは、誰も知らない。ただ確かなことは、「一隅を照らす人々」が少しずつでも増えていることである。

「各々がそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと」。これを説いたのは伝教大師・最澄であり、「天下国家をあれこれ論ずる前に、まず自分自身がその周りを照らす一燈となれ」という意味合いが込められている。この一燈が10万、100万の灯りとなることで初めて「萬燈遍照」、すなわち国全体が輝くことにもつながる。



こうした灯りは「銃の力」では決して消せぬものでもあろう。

かつて「幸福なアラビア」と呼ばれたイエメン。

カートのもたらす一時的な幸福ではなく、女性たちが求める「本当の幸福」がいつの日にか、この国に訪れんことを…。







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出典・参考:
NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2012年 09月号
「革命夜明け前 〜混迷するイエメン〜」





posted by 四代目 at 08:06| Comment(0) | 女性・子ども | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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