2012年09月09日

民主主義国の船底にはりついたフジツボ。寛大すぎた国民たち



「フジツボに覆われた船」

民主主義国家を、そう称した人がいる。もちろん、褒め言葉ではない。



「フジツボ」というのは数ミリ〜数センチ程度の小さな貝のような生物(分類的には甲殻類)であるが、これらが密集して船底に張り付かれると厄介だ。船の速度は遅くなり、燃費は落ちる。

かつての日露戦争の折に、延々と海上でロシア艦隊を待ち受けていた日本海軍は、その船底にフジツボが付くことを非常に気にしていたという。なぜなら、軍艦らの速度低下は、そのまま戦力の低下に直結していたからである。



今の民主主義国という船は、「その底をフジツボに覆われ、その重みに耐えかねて沈みかけている」と、英国エコノミスト誌は書いている。

彼らがフジツボとたとえるのは、国家の債務(借金)のことである。



◎静かに溜まっていく借金


民主主義国の借金は、静かに静かに溜まっていく。それは、国民一人一人の税負担がそれほど大きなものではなく、それに反対する大きな理由が見当たらないためである。何より、納税により国家から受けられる社会サービスの恩恵は多大である。

しかし残念ながら、最近の民主国家が国民に提供するサービスは、収入の限度額を超過してしまっている。国家の収入(歳入)から使ったお金(歳出)を引いたものを「財政収支」というが、ここ30年でそれが黒字になっているのは、日本ではわずか数年間(1988〜1992)しかない。しかも、そのプラスの額は氷山の一角のように、いと小さきものである。

財政収支の推移(1980〜2012年) - 世界経済のネタ帳



ここ30年間で静かに降り積もった日本の借金の総額は、およそ1200兆円以上。

国家の数字は現実離れしていて何の実感も沸かないことが多いのだが、それを国民の数で割れば少しはリアリティーも出てくる。国民一人あたりにすれば、950万円の借金だそうである。ちなみに、日本のサラリーマンの平均年収というのは、400万円程度である。



◎安定した国家の不安定な債務


日本と同様、世界の民主主義国も赤字赤字である。それはいち早く民主化した国家、つまり先進国ほど、苦しい状況にある。

なにせ、民主主義の時代が長いほど、借金が溜まっていくという皮肉な構図があるからだ。それはあたかも、海上に浮いている時間が長いほど、フジツボがたくさん付いてしまうかのように…。



こうした結果を、エコノミスト誌はこう皮肉る。「安定した民主主義国は、多くの不安定な国がかつて成し得たことがないほど、膨大な債務を積み上げることができた」。

かつての専制君主国家や独裁国家よりも、今の民主国家のほうが多額の借金を抱え込んでいると言うのである。それほどに、民主国家の国民は寛大だと。

歴史上、民主主義が主流となったのは、今の時代が初めてである。第二次世界大戦後、世界中で民主化が進んだ結果、今や「世界の人口の半数近くが民主主義国に住んでいる(エコノミスト・インテリジェンス・ユニット)」。



◎民主主義への恐れ


昔々、古代ギリシャの哲学者・プラトンは、民主主義は「破滅を招く」と恐れていたという。そのプラトンはこう言った、「民主主義は金持ちからカネを奪い取る。民衆に分け与えられるカネは、政治家たちが懐に入れた後の残りのカネだ」と。

プラトンと同じように、アメリカ第2代大統領、ジョン・アダムズは、「金持ちに対する重税」を危惧した。一生懸命働いた人々のカネが、「平等」という名のもとに、怠け者や乱暴者たちによって放蕩の限りを尽くされるのではないかと懸念したのである。



こうした先人たちの警鐘は、当たったような、外れたような…。なぜなら、アメリカやイギリスなどでは、過去30年間で「格差」が拡大している。つまり、金持ちがカネを奪われるどころか、金持ちは増々金持ちになったのである。その一方、フードスタンプ(食糧配給)を受けるアメリカ国民は急増している。その数、いまや4,600万人以上(国民の7人に1人)。

それでも、「民主主義の平等」の名のもとの不利益は、いまだ本格的には顕在化していないのかもしれない。今は国家の債務(借金)という形で、何とか吸収されているのである。

その不利益が顕在化するのは、国家がその債務に耐え切れなくなった時なのかもしれない。たとえばギリシャなどのように。



◎デフォルト


民主主義国には、自国の債務問題を軽減するために、いくつかの方法が許されている。

たとえば、「インフレ」。物価が上昇すれば、過去の借金の価値は相対的に減る。極端な話、今の物価が10倍になれば、過去の借金は10分の1になるのである。

最悪の手段は「デフォルト(債務不履行)」。もう借金は返せないと宣言するのである。第二次世界大戦終結以降、世界では60カ国近くがデフォルトしている。かつて、デフォルトする国家は途上国が圧倒的に多かったわけだが、最近では、先進国と分類されるギリシャも事実上デフォルトしており、その債務の半分が帳消しとなっている。



先進国のデフォルトは、過去の例がなかったわけではない。たとえばアルゼンチンは、第二次世界大戦に直接関わらなかったこともあり、かつて「先進国」に分類されるほど豊かな国家だった。

しかし、1980年代にデフォルトするや、経済は「なし崩し」となり、現在では、新興国より格下の「途上国」にまで転落してしまっている。ちなみに、世界で最多の破綻回数を誇るのも、このアルゼンチンである。



◎外国の貸し手(対外債務)


アメリカ建国の父の一人であるジェームズ・マディソンは、「デフォルトへの誘惑」を民主主義国の欠点として挙げている。アルゼンチンの例をみれば、その不利益が如実にわかる。

デフォルトで最も怖いのが、外国からの借金を踏み倒すことである。アルゼンチンはそれを3回もやっている(1982・1989・2001)。自国民からの債務をチャラにすることは、ある程度許されても、外国の貸し手に対してそれをやってしまった時は、かなりヤバイ。

そのヤバイ一線を超えようとしているのが、今の欧州各国であり、それがユーロ債務危機の根本的な問題である。そして、ギリシャは一足早く、その一歩を踏み出してしまったのである。



民主国家の船底に付着したフジツボは、速度が落ちるだけであれば、まだ進んでいける。この状態が、国家の債務を国民が負担できている状態である。しかし、そのフジツボを放っておくと、船が傾きかける。これが今のギリシャであり、外国からお金を借りすぎている民主国家の泣き所である。

「デフォルトしたくても、デフォルトできない」。それが外国からの借り入れであり、超えてはならない一線なのでもある。しかし今、多くの民主主義国がその一線を足元に見始めている。

独裁国家であれば、とうの昔に破綻していたであろう借金を、今の民主主義の国民は許容してきた。しかし、それにも限界がある。他国の国民は、自国民ほどに寛大ではないのだ。



◎テクノクラート


この問題を解決するため、今のヨーロッパでは新たな試みが行われている。それは「選挙で選ばれていない政治家」に政治を任せるという方法である。テクノクラート(実務家)と言われる政治家たちは、国民に選ばれたわけではなく、国家の財政を立て直すために選ばれた専門家集団のことである。

ギリシャで一時政権を率いたルカス・パパデモス氏は、元中央銀行家であり、その肩書きを聞くだけで頼もしいような気がしてくる。イタリアで今、国を率いているマリオ・モンティ氏もやはりその手の専門家であり、EUの元欧州委員である。



こうしたテクノクラート(実務家)たちに政治を任せるメリットは、「国民に不人気な決断」を積極的に下してくれることである。選挙が絡んだ政治家たちには、どうしてもそれが出来ない。ついつい人気取りに走ってしまうからだ。

かつて、「金融政策(紙幣発行や金利決定)」が政治家たちの手から離されて、独立した中央銀行に委ねられるようになったのと同様、苦境に陥った民主国家では今、「財政政策(お金の使い道)」が政治家たちの手からもぎ取られようとしているのである。



選挙のことを考えなければならない政治家たちは、どうしても国民に「アメ」ばかりを与えてしまう。それが民主主義の欠点でもあり、衆愚政治に陥る危険でもある。

一方、選挙のことを一切考えなくて良いテクノクラートたちは、果敢に「ムチ」を振るうことができるのだ。



◎民主主義に反する側面


ところで、国民に選ばれていない人たち(テクノクラート)が政治の方向性を決めることは、民主主義に真っ向から反しているようにも思われる。まるでそれは独裁国家のようである。

しかし、テクノクラート政権の下す決断は、議会の採決にかけられることになるので、「民主主義が完全に放棄されるわけではない」。

国民に「アメ」ばかりを与えていると、その船はフジツボだらけになってしまう。そこで、テクノクラートにそのフジツボを取ってもらおうというわけである。一時的に。



今世紀に入ってからの一連の金融騒動は、民主主義という体制の欠点を浮き彫りにしてくれた。今まで静かに静かに借金がたまってきたのは何故だったのか。それが今、抜き差しならぬところに差し掛かっているのである。

日本という国を見れば、その国家債務は膨大であるといえども、まだ国内問題といえば、国内問題である。その借金の大方が国民の負担なのであるから。しかしそれでも、船底に張り付いたフジツボは、その数を増し続けるばかりである。



◎新たな船出


エコノミスト誌の言うとおり、民主主義の歴史はまだ浅い。そして、その欠点もある。それゆえ、今後ともに改善・革新を必要なのであろう。フジツボが付き過ぎないように。

そういう意味では、民主化への歩みは、先進国と言えども、終わったようでいて終わっていないのかもしれない。昔からの先進国ほど逆に、その弊害が顕著に現れてきているのだから。



世界経済が停滞している今、フジツボの付き過ぎた船は、いったん港に戻らなければならないのかもしれない。

それは後退ではないのだろう。また船出するための前進である。かつての日本海軍も、いったん港で船底をキレイにしたからこそ、世界最強と目されていたロシアのバルチック艦隊を殲滅できたのである。

もし、あまりに無理を押すならば、その船は港にも帰れなくなってしまうかもしれない…。先進国という巨大な船を曳ける船は、そうそうない。それゆえ、巨大な船ほど、自らに頼むより他にないのである。







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出典・参考:Buttonwood: Democracies and debt | The Economist

posted by 四代目 at 07:22| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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