タンザニアという国は、かつてそれほど「金」の採れる国ではなかった。10年以上前の数字を見ると年間10トンにも満たない。
ところが2000年以降、その伸びたるや目覚ましい。倍々ゲームで金が積み上がり、一気に年間40トン、一時は50トンをも超えるほどになった。現在、タンザニアはアフリカ第3位の堂々たる金産出国である(1位・南アフリカ、2位・ガーナ)。
金増産の最大の牽引役は外国企業。カナダ、オーストラリア、南アフリカなどの大手企業の参入とともに、タンザニアは「黄金の国」となったのである。
この金バブルは、タンザニアのGDP(国内総生産)をここ10年で2倍にも急増させ、「アフリカの優等生」の名に恥じぬグローバル化を同国にもたらすこととなった。
◎富の集中と格差
グローバル化という現象は、従来の垣根を取り払いながら進む一方で、新たな垣根を各所に築いていくものでもある。経済の自由化がなされ、外国資本が急激になだれ込むと、タンザニアのような貧しい国では、富は一極に集中し、その格差は大きく広がってしまった。
その結果、タンザニア第一の都市・ダルエスサラームには富が集中し、住民の平均所得は、地方の3倍にまで膨れ上がった。
そしてその一方、国民のおよそ3分の1にあたる1,500万人が1日1ドル以下という極貧の生活にとどまったままである。
どうやら、経済的な富というのは自由化されるほどに、その動きを鈍く偏ったものにしていく傾向があるようだ。
◎残土の金
地方の貧しい村では、1日の生活費が600シリング(30円)以下ということも珍しくない。ところが、金の鉱山で働けば、少年でも4000シリング(200円)はもらえる。そのため、人々は当然のように金鉱山を目指すようになった。
金鉱山に押し寄せた人々に与えられる仕事は、単調かつ重労働、そして危険なものばかりである。おいそれと外国企業で働けるわけではない彼らに与えられるのは、外国企業が金を取り終わった後の「残土」である。
残土とはいえ、その中には微量ながらも金が残されている。外国企業にとってはゴミの山も、地元の住民たちにとっては、文字通り「金の山」なのである。
その岩を一日中ハンマーで砕き続け、それを水で濾過して金を浚えば、1〜2グラム程度の金が得られる。金1グラムの相場は6万3000シリング、日本円にして3000円ちょっと。
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◎太刀打ちできない国内企業
タンザニアの金鉱山が外国企業によって次々と押さえられて、残土ばかりが住民たちに残されていく中にあって、「ニャマフナ金鉱山」は珍しくもタンザニア人が経営する金鉱山である。
しかし、その経営は極めて厳しい。外国企業の手がける鉱山に大型機械が入り、巨大なダンプカーがひっきりなしに行き交う中、この鉱山の仕事は、そのほとんどが「手作業」なのであるから。
この鉱山に36ある坑道のすべては、鉱夫たちの手で掘られたものである。小型のドリルも持たぬ彼らは、ツルハシ一本のみで手ずから掘り上げたのだ。
掘り出された岩石は、これまた小さなハンマーだけでひたすら砕かれて、粗い粉状にまでされる。それらを水にさらして濾過した後、水銀を用いて金を取り出す(素手で)。水銀には金と結びつく性質があるため、微量の金の粒子でも水銀に吸着させて集めることができるのである。
ハンドタオル大の漉し布で水銀を漉しとると、その漉し布の中には豆粒ほどの金が残されていた。その豆粒を焚き火の炭の中で熱することにより不純物が取り除かれ、ようやく売り物になる。
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その日の成果は20グラム。グラム相場が6万3000シリング(3千数百円)であったため、手取りで7万円ほどの収入だ。
この鉱山で働く人夫はおよそ300人(7万円を頭割りしても、一人200円程度)。とても経営できるような生産量ではない。しかし、ここ最近はこの程度の金しか採れなくなってしまったのだという。
このニャマフナ金鉱山の最盛期には1日200グラム、つまり、現在の10倍は金が採れた。それが、ここ数年めっきり採れなくなってしまったのだ。
◎呪術師の急増
金の産出量が減っているのはニャマフナ金鉱山ばかりではなく、タンザニア全体の傾向でもある。2000年以降にはじまった急激な金の増産は、2005年で頭打ちになっている。
次々と新たな金鉱山を開発していく外国企業は利益を上げ続けることができるが、その土地にとどまらざるをえない地元住民にとって、金脈の尽きは運の尽きでもある。
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金の生産が頭打ちになるのと呼応するかのように、タンザニアでは急に「呪術師」を名乗る者たちが大量に現れた。呪術師に祈ってもらえば、枯れた金鉱山からも、ふたたび金が湧くというのである。
その呪術は、現金にも「富を生むための呪術」なのである。
◎呪われた鉱山
金生産の激減した先のニャマフナ金鉱山にも、例によって呪術師が招かれた。
その呪術師は厳かに香を焚き始め、その煙に赤いインクでビッシリと文字のつづられた紙をかざしている。その文字の内容は「金がよく採れますように」というものらしい。
煙に清められたその紙を水に漬けると、ジンワリと赤いインクが水に溶け出す。その赤い水に悪霊のお好むという「海水」、そして悪霊を追い払うという「オイル」が混ぜられる。
その呪術師によれば、金が採れなくなったのは「金の坑道に魔術がかけられ、悪霊が住み着いてしまったから」だというのである。
そこで、先に調合した「薬」を坑道に撒けば、悪霊をおびき寄せ、それを退散させることができるというのだ。
「このクスリが金を引き寄せてくれるからね。必ずご褒美はやってくるから」。そう言い残して、その呪術師は金鉱山をあとにした。
◎にわか呪術師たち
さて、その結果は…。
残念ながら、金の生産量は一向に上向かなかった…。
どうやら、かの呪術師は「にわか呪術師」であったようだ。
近年のタンザニアでは、こうした「にわか呪術師」が後を絶たない。さらに悪いことには、「急に」呪術師となった彼らが、国内各所で社会問題を引き起こしているのである。
数年前の事件では、子供が殺され、その身体の一部が呪術のクスリとして用いられていた。いまだ「魔女狩り」も行われる同国では、人々の信心を悪用することが割りと容易なのである。
こうした状況に、「伝統的な」呪術師たちは苦言を呈する。
「人間の身体でクスリを作ったりすることなど、聞いたことがありません。彼らは呪術を売り物にするばかりで、本当の呪術を知らないのです」と。
彼らはさらに訴える。「呪術は金儲けではありません。呪術は『人を救うため』にあるのです」
◎生け贄
どうやら「にわか」呪術師に騙されたようであるニャマフナ金鉱山。今度は土地の信頼も厚い「伝統的な」呪術師にお払いを依頼することとなった。
新たに招かれたその呪術師は、鉱山に足を踏み入れた途端に眉を曇らせた。そして、鉱山を歩き続けるほどに、その表情は険しいものとなってゆく。
そして一言、「生け贄を捧げたのですか?」
じつはこのニャマフナ金鉱山では、にわか呪術師の助言により、生け贄を鉱山に埋めていた。悪霊退散のための生け贄が、逆にこの金鉱山を窮地に陥れていたのである。
◎身の丈に合わない服
はたして呪術師は「悪魔」なのか、「天使」なのか?
それと同様、外国企業はタンザニアにとって「悪魔」なのか、「天使」なのか?
外国資本の流入はその国のGDP(国内総生産)の数字を押し上げ、見かけ上は豊かになる。しかしその実、外国資本に彩られたその衣装は、身の丈に合わぬブカブカのものであり、結局、大多数の国民は寒い思いをするしかない。
先の呪術師は言う。「今のタンザニア人たちは、自分の身の丈に合った服を捨てて、外国人の服を着ようと競い合っている。そんな服は似合うわけがない。
我々には我々の『服』があるはずなのに、白人のマネばかりして『あるべき姿』を見失ってしまったんだ…」
◎失敗した社会主義
思えばタンザニアの独立は、西側諸国の反発によるものであった。長らく植民地としてイギリスの下に留め置かれたタンザニアには、西側諸国に対する不満が鬱積していたのである。
それゆえ、独立後の政体は西側諸国と対峙する「社会主義」を選択したのである。ソ連よりも中国との友好を選んだタンザニアは、白人支配の弊害を受ける南アフリカ(人種差別)、ローデシア、モザンビークなどと対立を続けることになる。
しかし残念ながら、農業を主体としたタンザニアの社会主義体制は、うまく機能しなかった。ウジャマー村と呼ばれた集団農場は、たびたびの干ばつにあえぎ、日用品や飲料水まで事欠く始末であった。
こうして、タンザニアには社会主義への疑問が醸成され、ついには大統領の交代を機に、自由化へと舵を切ることとなる(1985年、IMFの勧告を受け入れて)。その後の1990年代には多くの国営企業が民営化され、国内経済は急成長。「アフリカの優等生」と西側諸国に褒められるまでになったのである。
◎疑念
そして今、その優等生は再び疑問を感じ始めている。
「結局、得をしたのは誰だったんだ? 外国企業や投資家か? それとも政府か?」
その答えは少なくともタンザニア国民ではなかった。統計数字が上がれば上がるほど、その格差は広がっていったのだ。
一時的に与えられた金鉱山の仕事も、金が尽きればお役ゴメンとなる。その跡に残されるのは、掘り返した残土の山。そのゴミの中から「なけなしの金」を絞り出すよりほかにない。
社会主義の夢に敗れたタンザニアは、自由主義の道を歩まざるをえなかった。しかし、その道の先は細く険しくなるばかり…。一握りの上澄み層以外の人々にとっては、先がないも同然であった。
◎古き良きパートナー、中国
枯れかけたニャマフナ金鉱山が、最後に頼ったのは中国資本であった。未だタンザニアには本格的な中国資本の進出はなく、中国人はタンザニアにとっての新たなパートナーだったのである。
独立以来、長らく中国と友好関係を築いてきたタンザニアにとって、中国との提携は悪い話ではない。しかし、中国企業がタンザニアの鉱山を食い逃げしない保証はどこにもない…。
もともと、タンザニアで社会主義が失敗したのは、その政策が伝統的な社会制度をまったく無視した机上のものにすぎなかったためと言われている。
そして、市場開放のあとは、あまりの急激な成長のために、その伝統的な社会はさらに大きく歪んでしまったようだ。
掘ればいずれなくなる金。
そこに残されるのは、残土の山と歪んだ社会。
キリマンジャロの高峰は、その様をゆったりと静観しているかのようである…。
Source: safari-blog.com via Joan on Pinterest
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出典・参考:
ドキュメンタリーWAVE
「タンザニア ゆがんだ大地〜金バブルと呪術のはざまで」
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