今から100年以上前、「飛行機」は存在していなかった時代に、ケルヴィン卿はこう断言した。
「空気よりも重い飛行機械は、不可能である(1895)」
そして、同時代の空気力学の専門家たちも、こう考えていた。
「1,000万年後だったら、空飛ぶ機械も作れるかもしれない(1903)」
彼らは知らなかったのだ。飛行機時代の夜明けが、もうそこまで来ていることを…。
そのわずか2ヶ月後である。ライト兄弟が空に浮いたのは…。
飛行時間はたったの12秒、その距離は40mにすぎなかったのだが、100年後に生きる我々は、その小さな一歩がどれほど偉大なものだったのかを十分に理解することができる。

それでも、その時代の人々は夜明けに気付かなかった。ライト兄弟の小さすぎる一歩は、依然として嘲笑われていたのである。
フランス陸軍のフェルディナント・フォッシュ将軍は、こんなことを言っている。
「飛行機は面白いオモチャだが、軍事的価値はない」
100年後の未来から見れば、その「面白いオモチャ」がどれほど攻撃的になれるのかを簡単に知ることができるのだが…。
こうした「不可能発言」は、過去に幾度となく出されている。
そして、その時代に不可能と思われていたことで、現代の「常識」となっていることも少なくない。上述の飛行機の例のように。
現代に生きる我々は、過去の人々の「先見の明のなさ」を笑うことはできない。
なぜなら、我々だって「現代のライト兄弟」を信じずに、彼らを笑うのであろうから。
たとえば、マッハ20で飛ぶ飛行機を想像できるだろうか?
マッハ20と言われてもピンとこないかもしれないが、その速度はアメリカ大陸の東の端(ニューヨーク)から西の端(ロサンゼルス)まで10分しか要せず、一時間もあれば、地球上のどこへでも行けることなる。
確かにそんな「極超音速」はいまだ実現しておらず、それは「不可能のカベ」の向こう側にある話にすぎない。
それでも重要なのは、その不可能に挑んでいる「現代のライト兄弟」が存在しているということである。
マッハ20という世界において、飛行機の翼は2000℃もの高温に晒される。
その高温は、並みの翼の金属を溶かすには十分な温度であり、太陽に向かって飛んだイカロスのように、翼は溶解する温度である。
マッハ20を夢見る人々たちは、そんな不可能な話にトンと無関心なのかもしれない。
彼らはその飛行機をロケットに乗せて助走をつけて、大気圏に向けてブッ放したのである。
その結果は…、見事に太平洋に落下。それでも、この暴挙を実行に移したことで、机上で30年間考えていたことよりも多くの果実(データ)が得られている。

夢見る人々は、一般人が言う「失敗」にも関心がなさそうである。
懲りない彼らは2回目も計画し、再びその飛行機を太平洋へと墜落させた。
彼らは同じ轍を踏んだのか?
そうではない。太平洋に落下する前の3分間、機体は完全に制御されていた。
それは言わば、ライト兄弟のたった12秒間の飛行のようなもの。バカにするのは簡単であるが、この小さな一歩が後世にどう評価されるのか?
今はその答えが分からないだけである。
「かつて行われたことのない途轍もないことをするには、実際に飛ばすしかありません。
飛ぶことなしにマッハ20の飛行について学ぶことはできないのです」
極超音速の高みを目指す彼らは、同時に小さな小さなムシの目をも持っている。
「ハチドリ」という鳥は、後ろに飛べる唯一の鳥である。後ろどころか、上下左右、たとえ身体が逆さまになってもハチドリがコントロールを失うことはない。
そんな鳥の世界でも高い運動能力を持つハチドリ。その飛行を模倣した「ハチドリ・飛行ロボット」の試作機が完成している。

本物のハチドリとの違いは「蜜を吸わないこと」。その重さは単三乾電池よりも軽量である。
この不可能を実現するために、失敗した試作機は数知れず。最初の成功例は2008年、飛行時間はたったの20秒。
それでも懲りない面々はその結果を前向きに受け止めることしか考えていないようである。
「コップに水が『半分しかない』と考えるのか、それとも、『半分もある』と考えるのか。
いや、彼らはコップの底にわずかしかない水を見て、このコップには『空気がいっぱい入っている』と考えるのだ」
空中に静止したり回転することもできる「ハチドリ・ロボット」は、現在10分以上飛び続けることができるまでになっている。
「飛ぶ方法を学ぶには、飛ばす以外にないのです。
失敗を恐れていたら、新しく凄いモノを作るのは不可能です」
かつて、クレマンソーはこう言った。
「人生は失敗したときに、面白くなる。
失敗は『自分を超えたという証し』だからだ」
しかし、常識的な大人たちにとって、失敗を恐れないことはできない。
「不可能のカベ」に行く手を遮られる前に、早々に「不可能宣言」を出しておく。
ここに、こんな問いかけがある。
「絶対失敗しないと分かっていたとしたら、どんなことに挑戦しようと思うだろう?
What would you attempt to do if you knew you could not fail?」
常識的な「先見の明」は、失敗を予見するのみであり、まさか不可能が可能になるとは考えない。この先見の明を「大人心」とも言うのだろう。
ところが、その大人心に対して、「子ども心」ばかりは「絶対に失敗しない」と思い込んでいたりもする。その自信にまったく根拠がないとしても…。

そんな「子ども心」は、すぐに何かに夢中になって、失敗という可能性は眼中から消え失せるのであろう。
実際、この「夢中になる力」が失敗を恐れないコツでもあるようだが…。
子ども達は、夢中になるのに忙しい。
「空飛ぶマントにアイロンをかける時間くらいしかないからね。すぐに空に戻らなくちゃいけないんだ。
There is only time enough to iron your cape...and back to the skies for you」
彼らの心の中のスーパーヒーローは何でもできる。
不可能のカベも簡単に乗り越え、失敗するかもしれないなどとは考えない。

本当は大人心でも「不可能が可能になること」くらい知っている。このインターネットで起きている奇跡を、実際に目の当たりにしているのだから。
40年前の一番最初のインターネットで送れた情報は、「たった2文字」だけだった(1969)。「Login」という単語の最初の2文字「LとO」を送信したところで、システムがクラッシュしてしまったのだ。
それが今や、世界を動かす原動力となっている。
失敗を回避する能力に長けた大人心は、こう考える。
「きっと他の誰かがやってくれるだろう。
もっと頭が良くて、もっと能力があり、もっとお金に恵まれた誰かが…」
「他の誰か」とは?
あの日のライト兄弟であろうか。
失敗の先頭に立つことは、たいへんに難しい。
しかし、それをフォローすることくらいは出来るかもしれない。わざわざ先回りして「不可能宣言」を出して、「他の誰か」の行く手を遮る前に…。
もっとも、「夢中になって空を飛んでいる子ども心」には、その宣言すら耳に届かないのかもしれないが…。
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出典:
TED talks レギーナ・ドゥーガン 「マッハ20のグライダーからハチドリロボットまで」