「『政策』ではなく、『政局』で政治が決まるのは、日本の特殊な現象だ」
経済学者の池田信夫氏は、そう語る。
「政局」というのは、政党や政治家の「動き」であり、そして、それらの「つながり方」でもある。
たとえば、元民主党代表の小沢一郎氏は、「公的には何の地位にも就いていない」にも関わらず、その去就が現在の政局の焦点となっている。
それは、とりもなおさず「彼を中心とする『非公式の人間関係』が、決定的に重要だからである(引用部分は池田信夫氏の記事より)」
具体的には、「消費税」賛成の野田首相に対して、それに反対する立場をとる小沢氏の去就に、アナリストたちは目を光らせているのである。
イギリスの政治経済専門誌「The Economist」の今週号の記事でも、小沢氏は「闇将軍(shadow shogun)」として、その復権が「消費税に反対」「TPP(自由貿易)に反対」「(アメリカよりも)中国との関係強化」に繋がるのではないかとの懸念をのせていた。
※「The Economist」2012年5月19日号、Banyan「Trading strategies」
山本七平氏の言葉を借りれば、小沢氏は政界内部に「地下茎(非公式の人間関係)」を張り巡らせていることになる。
その地下茎は、田中角栄氏や金丸信氏により育まれてきたのもであり、それは自民党時代の大きな遺産でもある。
しかし、こうした「地下茎」は、自民党のというよりは、日本の歴史に根付いた「伝統」と言った方が正確だ。
というのも、江戸時代までの日本は、西欧諸国に比べて「国家や法律」の力がそれほど強くはなかったのである。
典型的な例として「村八分(仲間外れ)」がある。
これは、江戸期の日本では、国家の法よりも、伝統的な「ムラの掟」の方が強い支配力を発揮していた証でもある。
村に生きる人々は国家の法よりも、村内の身近な人間関係の方に、より強く縛られていたのである。
そして、こうした人間関係の「つながり(時には束縛)」が、政治のみならず日本社会の「地下茎」を形成していくことになった。
※今でも「地域(かつての村)や家」の束縛は、ところによって少なからぬものがある。
そんなムラに「降って湧いた」のが、明治期の文明開化であった。
当時、「遅れた国家」としての劣等感を抱いていた日本は、西欧の文明国に「追いつき、追い越せ」と息巻いた。
「プロイセン(ドイツ)から法体系を輸入して、西洋を真似て膨大な法体系をつくった」のである。
当時のドイツは、ヨーロッパでは「後発国」であり、同じ後発国であった日本がドイツを真似たのは「一見すると合理的」であった。
しかし、「横並びの人間関係(ムラやイエ)」が強い拘束力を持っていた当時の日本社会にとって、「法律による上から支配」というのは、およそ馴染みにくいものであったようだ。
次第に「厳格な法律」と「ムラ中心の世の中」の乖離は大きくなり、地下茎(人間関係)は、より深い地下へと潜り込まざるを得なくなってしまった。
せっかく輸入した「膨大な法体系」は、ほとんど使われることがなく、「鹿鳴館のような飾り」だと揶揄される始末。
庶民には理解不能の複雑な法律。それを解することができるのは「優秀なエリート官僚」だけとなり、彼らはいわば特権階級となった。
西欧から降ってきた法律は、日本の土壌にさっぱり染み込まず、それらの法律は「上澄み液」のように、知る人(官僚)ぞ知るモノとして乖離していったのである。
奇妙なことには、西洋由来のはずの法律も、日本に来ると、それは日本化するようだ。
それぞれの法律が横へ横へと伸長し、「スパゲッティのごとく、絡み合ってしまった」のである。それはあたかも、日本伝統の絡み合う「地下茎」のごとくに。
そのため、一つの法案を改正するのでさえ、「多くの関連法案を同時に改正しなければならなくなった」。
たとえば、福島原発事故の賠償を行う時も、「予算措置は財務省、東京電力の監督は経産省、原発の安全基準は文部科学省、農協への補償は農水省…」というように多くの法律の改正が必要となるのである。
もし、一つの官庁でも「拒否」しようものなら、法の改正はそこでストップ。
それゆえに、関連省庁や政治家たちへの「根回し」が官僚の重要な仕事となり、それは官僚の仕事の8割を占めるとまで言われるほどである。
日本社会はどこへ行っても、こうした複雑な人間関係(地下茎)が自ずと形作られるようである。
日本民族がその長い歴史の中で育んできた「つながり」は、時として絡まり過ぎるようでもある。
明治維新という偉大な革命は、表面上、日本という国を大きく変えた。
しかし、その根底に根差す国民性というのは、そう易々と変わるものではないのかもしれない。むしろ、表面上の変化が急進であるほど、「本音」との乖離は著しくなるようでもある。
維新後に導入された西洋の法律は「付け焼き刃」的であったためか、乖離の起こりやすい隙間は、至るところに存在した。
たとえば、明治憲法には「内閣」の規定がなかった。国務大臣は天皇を「輔弼する(助ける)」という建前だったのである(内閣総理大臣も、国務大臣の一人として、他の国務大臣と同格であった)。
そのため、合意形成には有力者間の人脈が欠かせず、それは強力な「地下茎」を必要とすることになったのである。
たとえば、破格の元老であった山県有朋の権力の源泉は、「法律でも武力でもなく」、見えない地下茎にあったのだ。
この地下茎を「悪の温床」と考える機運が育つのも、また自然な流れなのであろう。
しかし、その地下茎を断つことが、よほどに危険であることは、現政権与党が計らずも証明してくれている。
「政治主導」を謳った民主党政権は、官僚との間の地下茎を自ら断ち切ってしまったがゆえに、重要法案の通る見通しが、ほとんどなくなってしまっている。
先に記したように、どこか一つの省庁でも「拒否」してしまえば、その法案は日の目を見ることがなくなってしまう。
優秀な官僚たちが、その主たる仕事であった「根回し」を積極的に行わずに、ただ「◯◯省の合意が得られません」と言ってしまえば、そこで終わってしまうのだ。
明治憲法に軽んじられた「内閣」の権限は、いまだに「求心力が弱い」。
日本の法律の8割は「官僚の書く法案」であり、国会はそれを「事後承諾する場に過ぎない」。
いかに地下茎の力が大きいか。
地下茎を軽んじた政権与党は今、地下茎を大切に育んできた「公式には何の地位にも就いていない人物」を恐れるハメに陥っている。
時代は変わったはずだったのに、やはり「全員一致」でないと動かない日本社会。
池田信夫氏はこう言う、「形の上では法治国家になった明治以降も、日本は法律や権力よりも人的な関係の強い『大きなムラ社会』のままだった」
地下茎(ムラの掟)を軽んずるものは、今の時代にも「村八分」にされてしまうのである。
「政策」ではなく、「政局」に左右される日本の政治。
その政局を仕切るのは、日本の古き伝統であったということか。
乖離していたと思っていた「本音(地下茎)と建前(法律)」は、いよいよ複雑に絡み合っていくかのようである。
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