これら4種の金属は「コンフリクト・ミネラル(Conflict Minerals)」と呼ばれる鉱物である。
日本語にすれば、あの悪名高き「紛争鉱物」ということになる。
なぜに、「紛争」と「鉱物」が関係するのか?
それは、これら鉱物資源のもたらす「莫大な富」が、武装勢力の「資金源」となっており、それらの武装勢力が不安定なアフリカ諸国を一層不安定にしているからである。
カネのなる鉱山の多くは、政府の手の及ばない武装勢力によって支配されてしまっている。
山賊のような彼らが取り仕切る鉱山では、貧困にあえぐ人々が過酷な労働を強いられ、さらには年貢のような税金までをも支払わせられている。
働けど働けど、年貢(税金)の取り立てが厳しく、労働者たちはいずれその鉱山から抜け出られなくなってしまうのだという。一儲けしようと思って鉱山に足を運んだはずが…。
アフリカ中央部に、赤道をまたいで位置する「コンゴ民主共和国」は、そうした「紛争鉱物」の宝庫であり、過去15年間で500万人が「犠牲」になっているのだともいう。
この国の紛争は、国名が「ザイール」から「コンゴ民主共和国」へと変わった「第一次コンゴ戦争(1997)」以来、翌年の「第二次コンゴ戦争」を経て、今なお、その長い尾を引きずったままである。
公式には和平がなされたとはされているものの、政府が全土を掌握しているわけではなく、「依然として戦争状態」にあると言われている。
とりわけ、東部は「無法地帯」と化しており、鉱山を根城とする武装勢力たちの跋扈する荒野ともなっている。
こうした無法地帯は、決まって「鉱物資源」の宝庫でもある。
コンゴほど「鉱物資源」に恵まれた国も珍しい。
アフリカ大陸を左右に引き裂こうとした「大地溝帯(Great Rift Valley)」の形成過程において、膨大な量の鉱物資源が地表に露出し、採掘可能となったからである。
金、銀、銅、ダイヤモンド、ウラン、コバルト、カドミウム、亜鉛、マンガン、スズ、ゲルマニウム、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱石、石炭…。
コンゴの輸出の約9割を鉱山資源が占め、コバルトに至っては世界の約65%を埋蔵していると言われている(ちなみに、日本へ投下された原爆の原料もコンゴ産だったのだという)。
莫大な鉱物資源は、コンゴを潤わせるはずであった。
ところが、現実にはそうなっていない。人々はその「奪い合い」に終始するばかりだったのである。
内戦続きのコンゴでは経済が壊滅。今や世界最貧国に転落してしまっている。
「紛争鉱物」の一つである「タンタル(Ta)」の奪い合いを制したのは、反政府武装勢力であった。
コンゴとお隣りのルワンダの産するタンタルを合わせれば、世界市場の「17.2%」をも占める。そして、これらの国々の輸出するタンタルで、武装勢力の手が触れていないモノは「まずない」。
武装勢力には幸運なことに、タンタルの価格高騰は激しさを増すばかり(2000年には、一年間で価格が10倍にまで急騰している)。
それもそのはず、聞き馴染みの薄いタンタルというレアアースは、お馴染みの「携帯電話」にとっては欠くべからざる素材なのである。
なぜ、携帯電話がこれほどまでに「小型化」したかといえば、それはタンタルの功績なのである。
具体的に言えば、タンタルは「コンデンサー」として使われ、タンタル・コンデンサーは、アルミニウム・コンデンサーの約60分の1の小ささでありながら、同程度の性能を有している。
タンタルを使わなければ、携帯電話は今の数倍以上の大きさにまでなってしまうのだという。
電子機器の小型化に欠かせないタンタルは、今後ともに需要が増し続けることは確実であり、その価格も上昇を続けるのであろう。
つまり、携帯電話が世界に普及すればするほど、コンゴの武装勢力の未来は、より一層明るく安泰なものとなるのである。
今では明らかとなりつつある「紛争鉱物」の利益構造であるが、これらの実態を明かすことは大企業にとってはタブーであり、長らく秘されたままであった。
生き馬の目を抜かなければならない携帯電話産業においては、競合他社との価格競争がより重要なのであり、コンゴの山奥で不当に酷使される子供たちにまで目を向けているヒマはなかったのである。
携帯電話の華やかな急成長の陰となった劣悪な鉱山の暗い穴の中では、その歪(ひず)みに苦しむ人々がうごめいていた。
彼らが懸命に働けば働くほど、武装勢力の武器は近代化してコンゴ政府を苦しめると同時に、罪なき女子供にまでその銃口は向けられることとなった。
幸いにも、世界には良い目もあれば、良い耳もある。
ヨーロッパの大企業は見て見ぬフリをした「紛争鉱物」も、アメリカの議会は見逃さなかった。
2010年7月にオバマ政権下で成立した金融規制改革法(ドット・フランク法)の1502条では、アメリカ株式市場に上場する大企業に「紛争鉱物」に関与しているか否かを情報公開することが義務付けられた。
それでも、この法律は「紛争鉱物」の使用を禁止するものではないため、その強制力は疑問視されたままである。
ただ、アメリカが紛争鉱物に目を向けたという事実は大きい。今まで長らく秘されていた歪(ひず)みに大国アメリカが光を当ててくれたことで、世界の関心は否が応にも高まった。
民間レベルでも「ケータイforコンゴ」などが行われ、不要携帯電話を回収することで、少しでも紛争鉱物に対する依存を減らそうという動きも活発化している。
先日、新しいiPadが発表されたばかりだが、毎年のように発売される魅力的な電子機器は、我々に必要以上の買い替えを求めてくる。
全力で走り続けなければ大企業とて生き残れない。そして、消費者サイドも全力で追いつこうと必死である。
しかし、無理がたたってか「疲れ」も見え始めている。
「ガジェット疲れ(gedget fatigue)」というがそれであり、メーカーが矢継ぎ早に世に送り出す新製品を買い続けることに「もうクタクタ」なのである(ガジェットとは小型電子機器のこと)。
コンゴの鉱山労働者も「もうクタクタ」であろう。働けども、その旨味は新しい武器となって、同胞を殺すばかりである。
はたして、この世の中は一体誰のために機能しているのだろうか?
皆が懸命に走り続けるばかりで、その恩恵(blessing)はどこに還元されているのだろう。
英語の「mixed blessing(ありがたいような、ありがたくないような…)」という言葉は、そんなジレンマを示す。
そして、コンゴの紛争鉱物の代表格たるタンタルの「語源」もまた、似たようなジレンマを抱えている。
その語源は、「タンタロス」というギリシャ神話に登場する王様である。
神々に愛されていたタンタロスは、普通の人間には決して味わうことのできない神食や新酒を堪能し、「不老不死」という恩恵を手に入れた。
しかしある日、タンタロスは自分の息子を殺して、神々の食卓に供するという暴挙を敢行する。当然、神々は怒り、タンタロスは神々の罰を受けることになる。
首まで水中に沈められたタンタロスは、水を飲むことが許されない。頭上には美味しそうな果実が実るものの、それを食べることも許されない。
不幸にもタンタロスは不老不死。彼は永遠に飢えと渇きに苦しむことになってしまうのである。
神々の仕業たる大地溝帯の生み出したコンゴの鉱物資源は、この国の民を十分に養えるほどの可能性を秘めていた。その鉱物の中には、タンタルという未来に欠くべからざる宝物までが含まれていたのだから。
ところが、なぜか人々は争い合った。タンタロスが自分の息子を殺したように、富を求めた人々は同胞たちを散々に殺してしまった。
そして現在、コンゴに眠る鉱物資源は、コンゴの民がその恩恵を受けることが許されていない。目の前にカネのなる鉱物がありながら、その美味しさを味わうことができないでいるのだ。
不思議にシンクロする神話と現実の世界。
太古の人々が寓話に込めた教訓は、今の世の中にも生かされていないかのようだ。
遠い先進国にあって、コンゴを他人事のように眺める我々も、この寓話と無縁ではいられない。
我々が疲れるほどに買い続けるデジタル製品の中には、彼らが採掘したタンタルがちゃんと入っているのである。
どうやら、スマートフォンという革命は一部の人々に便利さを提供する一方で、一部の人々を不幸にもしてしまっているようである。
携帯電話が明るく鳴るたびに、暗い坑道の中では呻(うめ)き声が響いているのかもしれない…。
これらの事実が、「携帯が人を殺す」と讒訴される由縁である。
出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
受賞作品 「血塗られた携帯電話」