2012年02月28日

相手がいないと思うからこそできる「独り占め」。盲(めくら)になった現代金融。



「お金のない世界」

カメルーン(アフリカ)の「バカ族」は、そんな世界に生きている。

男たちは森で狩りをし、女たちは果物や木の実を集める、いわゆる「狩猟採集」の世界である。



男たちが獲物を仕留めてくるや、その獲物は即座に解体されて、村のみんなに分け与えられる。獲物を獲ってきた人たちの取り分が多いわけではなく、獲物の様々な部位は「几帳面なほど平等に」分配されている。そして、村で待っていた人々は、「当然のように」それらの分配に預かる。

「みんな平等」、それが彼らのルールである。

彼らの中には、「独り占めしよう」という人間はいないのだ。「独り占めなんかしたら、みんなに軽蔑されますよ」

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さて、こうした世界に「お金」が入ってきたら、一体どうなるのか?

お金の持つ、その特有の価値に気づいた人々は、きっと驚いたに違いない。「何とでも交換できるではないか!」

その時の彼らの脳ミソの中を覗けるのならば、きっと「腹側線条体」が活発に活動しているはずである。腹側線条体というのは、人間の快楽を司る部位であり、人間の「果てしない欲望」を刺激する部分でもある(中毒症状にも関係が深い)。お金を儲ければ儲けるほど、腹側線条体の活動は増々活発化していく。

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バカ族のムテさんは、森で「ペケの実」を集めてくるのを得意としていた(ペケの実は調味料になる)。この貴重な木の実を集めるのには、森の奥を広範囲に探し回らなければならず、数ヶ月もかかるという大仕事だ。

そんな大仕事から帰ったムテさん。いつもなら、みんなの家に「平等に」ペケの実を配って歩く。ところが、今日ばかりは様子が少し異なるようである。彼の向かった先は、都会から移住してきた商人のもとであった。

そして始まったのが「値段交渉」。

「いくら?」と商人が聞く。「2000」と答えるムテさん(2000セーファーフラン=400円)。「もっと安くしてよ」と商人。「ダメだ」と無下な回答のムテさん。初めての交渉を強気で押しまくったムテさんは、結局最初の言い値で交渉を成立させる。



「ペケの実を売ったのは初めてです」、とムテさん。

「村の人々には、申し訳なく思っています。でも、どうしてもお金が必要だったのです」、とも。

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お金を手にしたムテさんの向かった先は、とある商店。その店で、「石けん」と「塩」を買い求め、家へと戻る。

夫の持ってきた「便利なもの」に満足気の妻。「まだ、お金が残っていて幸せです」



ムテさんは、さらなる野心を抱き始めている。「カカオ」を栽培して、それを高値で売るという野心だ。

いつもは一緒に狩りをする仲間たちを呼んで、カカオの木々の下草を刈るように指示するムテさん。今までは、「平等な狩り仲間」だった関係が、いつのまにか「主従のような関係」になっているようだ。

狩猟採集という生活スタイルにおいては、「何でも平等」という横並びのルールに何の疑問も抱かなかったバカ族の人々。ところが、そこに「お金」が紛れ込んできたことによって、明らかな「上下」の概念が芽生え始めたのだ。俗にいう「持つ者」と「持たざる者」による、格差関係である。



狩猟採集生活では、獲物や収穫物を保存して貯めておくには限界がある。そのため、「独り占め」する者がいたとしても、それには明らかな限界があった。ところが、「お金」という便利なものは、「ほぼ永久に」保存して貯めておくことが可能である。

お金が入ってきたことで、「その日暮らし」に終始していた狩猟採集スタイルから、「明日を考える」未来型の発想が生まれてきたのである。そして、その「明日」は際限なく未来へと拡張されていく。未来が拡張すればするほど、より多くのお金が必要になる。幸いにもより多くのお金を手に入れることができた人々の欲望は、野火のような広がりをみせる。



幸か不幸か、人類はある時、お金のもつマジックに気が付き、それにすっかりと魅了された。

「アテネ(ギリシャ)」は、お金のもつマジックによって大いに栄えた都市国家である。紀元前487年、アテネ郊外で発見されたラウレイオン銀山は、コインの原料となる「銀」を大量に提供してくれたのである(昔は金よりも銀の価値が高く、金にも銀メッキが施されたほどだとか)。

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銀により栄えたアテネ(ギリシャ)は、銀の衰えによって衰退した。

そして、次に頭角を現すのが「ローマ(イタリア)」である。当然、ローマの銀にも限界があった。ところが、彼らが賢かったのは、コインに占める銀の割合いを下げていっても、その通貨価値を落とさなかったところである。

当初100%近かった銀の含有率が、300年近く経つと、たったの「2%」になっている。通貨それ自体が持つ銀の価値ばかりではなく、「ローマという信用」がその通貨価値を支え続けたのである(ローマという信用は、銀の価値を50倍にも高めたことになる)。

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このローマが用いた手法は、現代金融の原点でもある。

いわゆる「レバレッジ」という概念ということだ(レバレッジとは本来「てこ」を意味する)。この「てこ」を使えば、たった「2の力で100を動かす」ことも可能になる(レバレッジ50倍)。ローマのレバレッジが、それである。

ここで注意しなければいけないのは、このレバレッジによる信用は「水もの」であるということである(元々本来の価値を「水増し」したものであるのだから、それは当然のことである)。この「水増し」がバレなければ、さほどの問題は起きない。しかし、その化けの皮がはがれた時が、さあ大変。

銀行の取り付け騒ぎや、現在のユーロ危機などが、その最悪の事例である。ユーロ危機の震源地が、かつてのアテネ(ギリシャ)だというのも、じつに皮肉な話であるのだが…(さらにそれはローマに飛び火した)。



初めてコイン(お金)を手にした人々は、その「永遠性」に魅了されたはずであった。そして、人間の限りない欲望は、その永遠を「さらに先へと」伸ばそうとした(レバレッジの発明)。

ところが、人間たちが欲張り過ぎた結果、その永遠の命は「水増し」され「水もの」となり、逆に不安定なものとなってしまった。お金によって安定させたはずの未来は、単なる架空の未来、つまり「獲らぬ狸の皮算用」となり下がってしまったのだ。



お金のもつ魔力は、度が行き過ぎると「不安定な未来」を生み出してしまう。さらに、格差が行き過ぎると「いらぬ争い」までをも巻き起こす。

はて、人々はお金を発明し、「安定」を求めたはずではなかったか? いつの間にやら、諸刃の剣は好ましくない方向、つまり自らを傷つける向いてしまっているようである。



レバレッジが効き過ぎて、水増しされ続ける現代の金融事情。

不安定化してしまった未来を、無理矢理に安定させるため、無限に発行され続ける貨幣(一日に発行される貨幣の量は、世界中で8兆円にも上るのだという)。これほど水増しされた貨幣価値を、現代の為政者たちが保ちうるかといえば、そこには大いなる疑問がある(実際に、ユーロ圏内は破綻をきたさんばかりではないか)。

貨幣が増えれば増えるほど、その安定性は脅かされるというのに、その矛盾を解消する手立てを未だ人類は見い出せずにいるのである。なんと希望のない話が展開されていることだろう。



最後に、希望のある話を一つ。

先に述べたように、人間の脳内にある「腹側線条体」というのは、お金を獲得することで人間の無限の欲望を刺激する。ところが、その同じ腹側線条体は、「他人と平等であること」をも望むともいうのだ。



とある実験。

2人の人物がくじを引き、「金持ち役」と「貧乏役」を決める。「金持ち役」の所持金は80ドル、「貧乏役」のそれは30ドルである。

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さて、ここには別の「50ドル紙幣」がある。もし、この50ドル紙幣を「金持ち役」に渡せば、「貧乏役」との差はますます広がる。その反対に、もし「貧乏役」に50ドル紙幣を渡せば、両者の所持金は同額となり、その差は全くなくなる。

はたして、人間はどちらを好むのか?

金持ちがさらなる金持ちになることか? それとも、両者が平等になることか?



この実験結果を見ると、ほとんどの人々が「平等」であることに快楽を感じている。その証拠に、両者が同額のお金を手にした時に、「腹側線条体」が活発に活動している。つまり、とても喜んでいるのだ。

この実験の示唆するところは、人間の脳は「他者との平等を好む」ということである。ではなぜ、現代の人々は「独り占め」をしようとするのか?



その一つの回答を、エリザベス博士はこう解説する。

「脳の腹側線条体は、お金を儲ければ儲けるほど反応すると考えられていました。ところが、実験結果を見ると『全く逆』の反応が見られています。それは、本来儲かることを喜ぶはずの脳が、『公平かどうか』をとても気にしているからです。人間の脳には、『お金以外のもの』に価値を置く仕組みが、確かにあるのです。」



「お金以外のものに価値を置く仕組み」が正常に作動するには、「いくつかの条件」が必要だとも博士は指摘する。その「いくつかの条件」の中でも最も重要な条件は、「相手が目の前にいる」ということである。

自分が得した分を、その分損した相手を目の前に見ることで、お金以外の価値観が自然と浮上してくるのだ。その価値観とは、「分かち合おうとする心」であったり、「協力し合おうという心」だったりする。

生物としては弱すぎた人間が現代を謳歌しているのは、そうした価値観が心の底にあったからこそ、助け合うことができたからなのであろう。



ところが現代、他者の姿は見えなくなりつつある。自分が得した時に、損する相手がいることなど、頭の片隅にも思わない。必然、独占欲も生まれ、格差が助長され、社会は大きく歪んでいくこととなった。

さらに、現代においては、未来のお金までおも使い込まんとする勢いだ。当然、未来の人々の姿は肉眼で見ることなどできない。腹側線条体は、徒(いたずら)な欲望ばかりを刺激され、間違っても「未来の人々と平等であろう」などとは夢想だにしないだろう。

世界が広がるほど、相手の姿がおぼろげになってゆく…。



お金が発明されたことで生まれたのが、「個人」という概念でもあるそうだ。

狩猟採集スタイルでは、一人で生きていくことはまず不可能だった。ところが、お金の発明により、お金さえあれば、一人で生きていくことも可能になった。個人主義が、貨幣の起こりとも軌を一にするのである。

「個人」の関心は当然、自分の足元に集中し、他者とのバランスは二の次となる。こうした個人主義にグローバル化が加われば、他者など「どこにいるか」すら定かでなくなってしまう。得をする人々は、その分損をする人々を知らず、また同様に、損をする人々は、その分得をする人々を知らない。



一体、どこでバランスがとれているのか?

実際問題、そのバランスはとれていないのだろう。各国政府が盛んに紙幣を増刷するのは、盲(めくら)になってしまった脳が必死でバランスを模索しているからなのでもあろう。皮肉にも、非伝統的な金融緩和(紙幣増刷、および国債買取など)が問題を解決へと向かわせているとは限らないのだが…。

隣人の姿が見えなくなった時、我々は次なる一歩をもう少し慎重に踏み出すべきだったのかもしれない。ところが、警戒すべきその状況で、誰も見てないことをいいことに暴走してしまった。そして、時代とともにその速度は加速度的に増加し続け、いまや目隠ししたまま高速道路を突っ走っているかのような危うい状況へと追い込まれてしまっている。



その先が「崖」になっていたとしても、もう止まれない。ただ、その崖の先に、「突き出た岩棚」があって、奇跡的に命拾いすることを期待するだけである。コメディアン(ビル・ヒックス)の冗談そのままということか(ledge beyond the edge)。

しかし、英国エコノミスト誌に言わせれば、「いくつかの国を岩棚から突き落とさなければならない(They might first push some countries off the ledge)」ということにもなるのだが…。




出典:NHKスペシャル ヒューマン
 なぜ人間になれたのか 第4集 そしてお金が生まれた


posted by 四代目 at 06:26| Comment(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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