2012年02月27日

科学技術が明らかにしつつある「アマゾン」の全貌。幸あれば禍あり。


「投資ゼロ」と呼ばれる「放牧」が、アマゾン(ブラジル)で横行しているのだという。

その名の通り、投資金はいらない。なぜなら、人跡未踏の国有林を不法に占拠するからである。



どの地図にも載っていないというトランス・イリリ街道は、その「投資ゼロ」を支える重要な街道である。

まず、行われるのが不法占拠した国有林の「伐採」。この木材を売るだけでも大きなお金になる。



次に、そのお金で「肉牛」を買う。

そして、森林伐採により形成された土地にその牛を放牧するのである。ブラジルの牛肉輸出量は世界一。この牛を売れば、さらに大きなお金となる。

こうした放牧目的で伐採されるアマゾンの熱帯雨林は、全伐採量の80%を占めるほどだという(この40年間で、アマゾンの森林は20%減少している)。

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過去、アマゾンの熱帯雨林の「消失」が最大となったのは、2002〜2003年と言われている。

その一年間で、「秋田県」と「岩手県」を足したほどの広大な面積の熱帯雨林が失われた(2万7,700平方キロ)。

近年においては、その消失面積は減ったとはいえ、「高知県」ほどの面積のジャングルが、毎年失われているそうだ(7,000平方キロ)。



もし日本であれば、投資ゼロのような森林伐採は不可能であろう。日本のような小さな国では、すぐに見つかってしまう。

ところが、アマゾンのスケールは我々の想像を遥かに超えるものがある。

「空白地帯」と呼ばれる未知のジャングルは、日本の国土の5倍以上(200万平方以上)あると言われるほどなのである。

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人間の眼が及び切らない広大なアマゾンにおいて、違法な森林伐採は引きも切らない。



さらに、その空白地帯に「どんな人々が住んでいるか」さえも把握し切れない。

「見えざる人々」と呼ばれるのは、密林の中に暮らす先住民族たちのことである。

世界中には、100以上の「未接触部族」がいるというが、このアマゾンにもその多くが暮らしているのである(今月初めにも、「マシコ・ピロ」という部族の存在が新たに確認されている)。



近年、科学技術や宇宙技術の発達によって、航空機や人工衛星から、「知られざる密林」の調査が進められている。

アマゾンの密林は一年の半分以上も「雲」で覆われる地域もあり、従来の上空調査はその雲に阻まれることも多かったというが、最新のレーダーを用いれば、雲はおろか、木々で覆われた河川や谷までをも見通すことができるようになったのだという。



そうした最新技術の調査により、「見えざる人々」は年々見えるようになってきている。

そして、ブラジル政府はそうした「見えざる人々」の所在を確認し、彼らに居住許可証と土地を保証する活動を行なっている(ここ半年で、およそ5万戸に居住許可証を発行し、30万人に戸籍を与えた)。



政府によるこうした活動が活発化したことの背景には、ある先住民族の「悲劇」があった。

その先住民族は「ラポサ・セラド・ソル(ロライマ州)」に、ずっと昔から住んでいた。

ところが、突然のように白人たちが彼らの土地に押し入って来て、土地を切り拓いて「コメ」を植え始めたのだ。

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白人たちは「銃」を持っていた。

そして、21人の先住民族のリーダーたちが殺された。

それでも、先住民族たちは暴力による仕返しを行わなかったのだという。



経済的にも勝り、政治力もあった「新しい入植者たち」。

彼らは「金とコネ」を駆使して、決して罰せられることがなかったため、先住民族の同胞たちには、おおよそ勝ち目がなかった。



ところが、先住民族のうちの一人が命懸けで撮影した映像が、ブラジルの最高裁において動かぬ証拠となり、先住民たちの逆転勝利が確定した。

同地を訪れた前ブラジル大統領「ルラ」は、暴力に頼らなかった先住民族たちの行為を大いに讃える演説を行なっている。

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裁判で負けて土地を去ることになった入植者たちは、その憤懣やるかたない怒りをブチまけるかのように、全てを破壊してから土地を後にしたとのことだ。



大いなる経済発展を謳歌しつつあるブラジル。

一気に都市化した街が増える一方で、自然と密着して暮らす人々も密林の中には、まだまだ数多い。ブラジルには200以上の少数民族が存在し、約60万人が600以上の地域に暮らしているのだという。

「地球の肺」とも称せられるアマゾンの密林は、地球上に多量の「酸素」をもたらすと同時に、その懐(ふところ)には、多くの少数民族を優しく包みこんでいるのである。



しかし、経済偏重の波は、アマゾンを「アマゾンのまま」でいることを許してはくれないようだ。

経済的な眼で見れば、広大な森林が大きなお金に見え、その地下に眠る膨大な鉱物に、思わず触手が伸びる。

河川を塞き止めれば、大きな電力が得られるとも発想する。



アマゾン川最大の支流である「マデイラ川」には、2つの巨大ダム建設が進んでいる(サント・アントニオ・ダム、ジラウ・ダム)。

それらが完成した暁には、ブラジル国内の電力の10%をまかない、近隣諸国へも電力供給を行うことができるほどになる予定である。

しかし、巨大ダムによって水没する先住民の村も数多い。

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巨大ダムの建設に関しては、賛否が両論であるようでいて、その実、賛成が多数である。

なぜなら、大規模な建設工事によって新たに生み出される「雇用」は、多くの人々が求めるところなのである。



しかし、その膨大な雇用が「一時的」であることに留意する人々は少ないようだ。

かつて、大規模コメ生産者が入植する口実としたのは、村に新たな雇用を生み出し、土地に税金を収めるという大義名分であった。

ところが、先住民を労働力とするのは良いが、その賃金はまともに支払われないことも多く、土地の税収も増えなかった。さらに、彼らは機械を駆使していたために、思ったほど仕事は多くなかった。



都市化とともに生まれる雇用(仕事)の問題。

その経済が昇り調子であれば、都市化も進み、雇用も増える。

ところが、ある程度都市化が進んでしまうと、その維持・管理には従来ほどの雇用を必要としなくなり、逆に失業率の上昇が新たな都市の問題となる。

日本は高度経済成長期に多くの雇用を生み、多くのお金が動いたが、それらが一段落してしまえば、あとは静かなものである(幸い、日本の失業率は世界に比して低いほうである)。



都市化というのは、人間を自然から遠ざけることでもある。

自然から遠ざけられた人間たちは、もはや自然に還ることは叶わず、なんとかして人の波の間に生きていくしかなくなる。



アマゾンの「見えざる人々」は、現在それほど他人の手を必要としていない。自然とともにある彼らには、その宿主である大自然から十分な恩恵を分け与えられているのである。

ところが、都市化により自然から遠ざけられてしまえば、そうもいかなくなる。必然的にお金が必要になり、ある種の中毒のようにお金なしでは生きていけなくなってしまうのだ。



日本のように高度に文明化・先進化した国は、その過程において大いに熱狂したことであろう。

ところが今、「幸せって…?」と悩む人々も少なくない。そうして悩んだ挙句に、結局は自然への嗜好を強める人々も多くいる。



人々は自然から遠ざかり、そしてまた、近づこうとする。

病気になって分かる健康の有難さのようなものであろう。



そうした苦い体験を持つ人々は、親切にも途上国と呼ばれる国々に対して警告を発する。

「我々の踏んだ轍を踏んではいけない」、と。

ところが、新たな豊かさに歓喜する人々の耳に、その言葉は届きようもない。



経済的な繁栄は、嬉しくも禍(わざわい)な面がある。

巨大なダムが完成した時に解雇される人々は何と思うであろうか。

洪水の被害が軽減すると思っていたのに、逆に自然環境が乱れてしまったとしたら、そのトバッチリは誰が受けるのであろうか。



人間の編み出した知恵が、1000年を超える繁栄を謳歌したことは未だかつてない。

我々の知恵と思うものは、自然の叡智に対して、一体どれほどのものなのであろう。





出典:BS世界のドキュメンタリー
「アマゾン〜宇宙からの監視計画」



posted by 四代目 at 06:47| Comment(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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