2012年02月23日

「種をまく」とはどういうことか? 人類が大地に種をまいた時。

「餓死(うえじに)するか、盗人(ぬすびと)になるか?」

雨降る羅生門のもとで、下人はそう思い悩み、なかなかその答えを見い出せずにいた。

その答えを与えてくれたのは、羅生門の上で死人(しびと)の髪の毛を抜いていた老婆。その老婆とのすったもんだのやり取りの末…、下人は「盗人(ぬすびと)」となることに迷いがなくなる(芥川龍之介・羅生門)。




先進国に普通に生きる我々にとって、「餓死(うえじに)」という言葉は、どこか遠い世界の出来事のようにも思われる。しかし、人類の歴史を概観すれば、人間という種は常にその危険に晒され続けてきたことが、明らかに判る。

「種をまく」という行為は、人間たちが編み出した「生きる」ための術(すべ)である。「種をまけば、食物ができる」という原理は、恐ろしく単純なことでありながら、人類がそれを始めるのは、意外なほど遅い。

それは、この単純な原理に気づかなかったというよりかは、わざわざ種などまかずとも、そこかしこに食物となるものが豊富に存在していたからかもしれない。



そのことを裏付けるように、「農耕」の始まった地域というのは、ある種の「ストレス」に晒された地域なのだという。そのストレスの一つには、「寒さ」がある。農耕の起源とされる中東地域や揚子江(中国)一帯は、人間たちが何もせずとも快適に暮らせた北限の地域でもあった。

これら北限の地域は、1万5,000年前頃から暖かくなり始めた。それは、長らく続いた寒い寒い氷期が終わりを迎えたからである。ヌクヌクとした暖気に気を許した人類たちは、北へ北へと歩を進めていくことになる。



ところが、突然の猛烈な寒気は、その3,000年後にやって来た(ヤンガードリアス寒冷期)。

すっかり北上していた人類は、大いに慌てたであろう。そして、多くが凍死・餓死したことでもあろう。一瞬で凍りついたマンモスが出土するのも、この時代のものが多い。




「種をまく」という必要性は、こうした自然環境の厳しさから生まれたものだとされている(ストレス説)。中東地域では「麦」、揚子江(中国)地帯では「稲」が、それぞれ栽培を開始されることになる。

ごく初期の麦や稲は、現代の我々が知るものとは大きく異なる。その最も大きな違いは、「脱粒性」である(脱粒というのは、実った穂から種子(麦・米)が自然に落ちること)。昔々の麦は極めて脱粒しやすく、風が吹くだけで種子が飛び散ってしまった。あたかも、タンポポの種が風で舞い散るように。

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これでは、まとまった収穫がおぼつかない。種子が落ちにくい品種を、人類は長い年月をかけて選抜していく必要があった。

※ご存知の通り、現在の稲などは、思いっきり引っ張っても、なかなか米粒を穂からむしりとることができないほどに、種が落ちにくくなっている。



また、「種をまく」という選択は、人間をしてその場に「定住」させることになった。そして、米麦をしても、穂の上にしがみつかせることを強要した。

狩猟採集の民は、アッチコッチと居を変えながら生活していたのであろう。そして、野生の頃の米麦も、自由にその種を散らしていたのである。

ところが、もはやそれらの自由は、「種をまく」という農耕がスタートするや、人間・米麦ともに許されることはなくなった。



定住という選択は、「逃げられない」という状況に人類を追い込みもした。是が非でも、自らの農地を守らなければならないからだ。敵が襲ってこようが、それを撃退し、自然環境が変動しようが、それを克服する必要も生まれた。

定住という選択は、「争い」を生み、そして「知恵」をも生むことになったのである。



狩猟採集というスタイルに比べると、農耕というスタイルは、現代の「工業的な発想」に近い。

単位面積当たり、いかに収量を増やすか。そして、いかに毎年の収穫を安定してものとするか、という発想であり、風まかせ、自然まかせの狩猟採集スタイルとは、大きく異なる発想である。



この点でも、人類は自らを追い込んでしまったとも言える。

農耕による安定収穫は、人口増をもたらし、そして、その人口増が、毎年の確実な収穫を強要することになったのであるから。




昨年、ロシアは「小麦」の輸出を禁止した。それは、猛暑による干ばつによる大凶作が原因であった。ロシアは世界第3位の小麦輸出国。この小麦大国が輸出を禁止したという異例の事態は、世界中を大きく揺るがすことにもなった。

世界中の小麦が不足したことにより、その価格は暴騰。折しも世界は金融危機(2008)から立ち直らんとして、必要以上の量の紙幣を発行していただけに、そのことが余計にインフレの火を煽る結果ともなった。

食料価格高騰に泣いたのは、貧しい国の人々だった。前の日に10円だったパンは、次の日には100円になり、その次の日は、もうお金を出しても買えないという惨憺たる状況だ。昨年、中東地域では「アラブの春」という民衆革命が巻き起こったが、こうした食糧不足がその大きな一因となったと主張する人々も少なくない。

多少の圧政には耐え忍べても、「餓死(うえじに)」が目の前をチラついたからには、「盗人(ぬすびと)」にもならざるを得ないであろう。



いまや、世界の人口は70億人を超えたのだという。昨年の例を見るまでもなく、その巨大な人口を食わせ続けるために、人類はたった一年とて食料生産の量を減らすわけにはいかない。むしろ、まだまだ増え続ける人口を養い続けるためには、さらなる増産をも必要とされているのである。

ここまで追い込まれている我々は、一度初心に帰る必要もある。「土がなければ生きられない」ということは、土から離れすぎた人々の忘れがちなことでもある。

そして、土があっても「水がなければ、種は芽を出さない」。



工業的な発想の農業は、時として不可分であるはずの「土と水」を切り離してしまうことも少なくない。

いわゆる灌漑農業というのは、水を撒かなければ作物が育たない環境でも農耕を可能にしたわけだが、それは、人間が水を与え続けなければ持続不可能なスタイルでもある。

昨年のロシアやオーストラリアが干ばつでダメになったのは、工業スタイルの農業の粋(すい)でもある灌漑農業がその限界を超えてしまったからでもある。

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本来の水は、山から与えられるものである。河川の源流というのは山中にあるのが常で、巨大山嶺を「〜の屋根」と称するのは、その山脈が巨大な屋根のように、大量の雨水を集めてくれるからでもある。

ところが工業型農業は、生命の源泉である山々を軽んずる傾向がある。凸凹で斜度のある山々での生産は、まったくの非効率である。むしろ、それらを平らに切り崩してしまったほうが、よっぽど生産性が上がるのだ。



工業的な発想に従い、太古の人々も山の木々を斬り、平地を増やしながら、食料の生産性を増していった。

しかし、平らな土地が増えるほどに、十分な水が得られなくなるというジレンマにも陥る。なぜなら、水の源泉でもあった山々がすっかりハゲ頭になってしまっていたからだ。過去に文明が栄えた地域というのは、例外なく乾燥地帯と化してしまっているのは、じつに示唆的である。



地球の耕土に限りがある限り、無限の食料生産は夢物語である。

それは、無限の人口をこの星に養い切れないということでもある。

結局、我々はどこかで「手を打たなければならない」のだ。



パプアニューギニアのマルケ村の人々は、今なお昔ながらの農耕を続けているのだという。

そのスタイルは、工業型農業とは無縁の極めて生産性の低いものである。どこが畑かも分からぬほどであるが、よく見れば、サツマイモやジャガイモがテンでバラバラに植えられている。もちろん、わざわざ作物に水をやる必要もない。

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マルケ村の隣には、ポカリ村というのがあるが、この隣り合う両村間に「争い」が耐えることはない。お互いの農地を守るため、その境界線においては、死をも厭わないのである。

それでも、両村の人々は、お互いを全滅させるまで攻め立てることは決してしない。村の戦士たちは、戦い方を学ぶと同時に、「折り合いのつけ方」をも学ぶのだ。戦い続ければ、両者が滅ぶということが明白でもあるのだから。

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マルケ村とポカリ村の関係は、原始的でありながらも、先進的である。

土に種をまき、定住を選択した人類にとって、「争い」は不可避のものとなった。しかし、争ってばかりでは、お互いに繁栄することができなくなる。必ず、どこかで「手を打たなければならない」。

マルケ村とポカリ村は、争いながらも、お互いの利害をよく認識しているのでもある。



増えすぎた人類は、人類同士の争いに手を打つ必要があると同時に、自然環境との争いにも手を打つ必要がある。

いつまでも自然環境に敵対してばかりでは、いずれの「共倒れ」は明白である。



羅生門の悩める下人は、結局「盗人(ぬすびと)」になることを選択した。

その選択は、死人の髪の毛を抜く老婆の言葉が、背中を押したからでもある。



その老婆は、こう語った。

「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。

なるほどな、死人(しびと)の髪の毛を抜くという事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。

わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。」



「されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。

これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。

じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする 事も大目に見てくれるであろ。」



この老婆の言葉を冷然と聞いていた下人は、「もう迷わなかった」。

老婆の着物を剥ぎとるや、一目散に「黒洞々(こくとうとう)たる夜」に駆け去っていった。



「下人の行方は誰も知らない」



そして、現代の人類の行方も「誰も知らない」。



はたして、我々の農業は「作物を育てている」のであろうか?

それとも、自然から「作物を盗んでいる」のであろうか?

その違いは不明瞭でありながらも、その結末は大きすぎるほどの違いを生むことにもなるであろう。




出典:NHKスペシャル ヒューマン
 なぜ人間になれたのか 第3集 大地に種をまいたとき


posted by 四代目 at 06:30| Comment(0) | 農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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