2012年02月16日

民間の伸ばした手が「宇宙」に届いた時。「スペースシップ・ワン」を生んだ「バート・ルターン」の物語。


「飛行機の墓場」

そう呼ばれているのは、荒涼としたモハベ砂漠(アメリカ)にある「モハベ空港」のことである。

この墓場には、使い古された航空機100機以上が死んだように並べられている。



ある飛行機は頭の部分を切断されていたり、心臓部であるエンジンが抜き取られていたり(エンジンは一番のお金になる)…。

重機に切り刻まれた巨大な機体は、コンテナ数個に収められるほどに解体され、中国などに売られていったりするのだという。



心ある飛行機愛好家たちは、「飛行機が泣いている…」と悲しむ。

そんな悲しみの中で、ANA(全日空)の機体に書かれた「ありがとう!素晴らしい飛行機だった」という文字が、ことさらに哀愁を誘う(おそらくは、パイロットか整備士が書いたのであろう)。




飛行機たちにとっての「この世の終わり」であるモハベ空港。

じつはこの空港には180°も異なる全く別の側面がある。その別名は「宇宙空港(Space port)」。

そう、この空港は世界で初めて「民間の宇宙船」が宇宙に飛び立った、名誉ある空港でもあるのである。



飛行機の墓場から宇宙船が生まれたのは偶然ではない。なぜなら、解体された飛行機のスクラップが再利用されて、宇宙船が組み上げられたのだから。

「ゆりかごから墓場まで」という表現があるが、ここモハベ空港においては、「墓場からゆりかごが生まれた」のである。



その栄えある民間第一号の宇宙船の名前は「スペースシップ・ワン」。

2004年に宇宙に到達したスペースシップ・ワンには、アメリカ政府から1,000万ドル(およそ8億円)の報奨金が与えられた(エックス・プライズ)。

その立役者となった人物は、バート・ルターン氏。彼はこの偉業によって「モハベの伝説」と呼ばれることとなる。



アメリカ国家が強力な後ろ盾となる「NASA」とは違い、ルターン氏の宇宙船開発は資源や資金面で大きな制約を受けていた。

しかし、それらの不足はルターン氏の類まれなる熱意によって、すべてがプラスへと転じていく。大きな制約が、次々と大きな発想の転換を生んでいくのである。



かつてルターン氏がデザインした飛行機は、9日間無着陸・無給油で世界一周を成し遂げたことがあった(1986)。

「小さな力で、どれだけ大きな浮力を得られるか」、というのがデザインの基本概念だったのだという。



この発想は、「民間」という小さな力で宇宙にまで届く大きな浮力を得たルターン氏の生き様を如実に表しているようにも思う。

正面から受ける抵抗は航空機にとって決して敵ではない。むしろ、その抵抗があるからこそ、大きく浮上する力を得ることもできるのだから。



ルターン氏が実際に宇宙船を造り始めたのは2001年(この後、わずか3年で宇宙に到達する)。

当時のスタッフはたったの20名程度。「ジャンク・ヤード」から部品を集めながらの宇宙船造りであった。




常に開発の壁となったのは「低コスト」という命題。

通常のロケット・エンジンは「液体酸素」と「液体水素」を反応させて爆発的なパワーを出すものだが、低コストの壁の前には、この定番エンジンを採用することができない(構造が複雑すぎて高コスト)。

そこでルターン氏は、低コストのロケット・エンジンを独自に開発することとなる。そして、出来たのが「ハイブリッド・エンジン」。



このエンジンは、固体燃料(合成ゴム)が入った筒の中に、液体燃料(亜酸化窒素)を流しこむという、固体燃料と液体燃料のハイブリッド・タイプである。

従来のエンジンに比べて不安定さは否めない(完全燃焼が難しい)ものの、そのシンプルな構造のおかげで、そのコストは格段に抑えられた。



限られた出力で宇宙に到達するために、ルターン氏が「これしかない」と思い定めていたことが一つあった。

それは、「空中発射」という未だかつて試みられたことのない画期的な打ち上げ方法であった。



まず地上を飛び立つのは宇宙船本体ではなく、その宇宙船をお腹に抱えた輸送機である。

その輸送機(ホワイトナイト)は、1時間かけて上空15kmに到達した時点で、宇宙船(スペースシップ・ワン)を切り離す。

切り離された宇宙船は、およそ80秒間のハイブリッド・エンジン燃焼で、大気圏(上空100km)を突破することになる。



高度15kmにおける大気の密度は、地上の「9分の1」。つまり、宇宙船が受ける空気抵抗は格段に少なくなる。

それに加えて、宇宙船は高度15kmまで輸送機に運んでもらうことで、そのための燃料を節約することもできる。

その結果、上空15kmでの「空中発射」は、地上から打ち上げるのに比べて、宇宙船のサイズ・重量、そしてコストが「半分以下」で済むことになる。

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ところで、ルターン氏の宇宙船(スペースシップ・ワン)の目標とした「高度100km」というのは、いかなるラインなのであろうか。

このラインは「カーマン・ライン」と呼ばれるもので、このライン(高度100km)を超えた向こうが「宇宙」、それ以下が地球の「大気圏」と定義されているものである。

そして、このカーマン・ラインこそが、宇宙飛行達成の境界線であり、その先の空間では「無重力」を体感できる領域となる(このカーマン・ラインを突破するには、「マッハ3」以上のスピードが要求される)。



この境界線を突破する難儀もさることながら、地球に戻って来るときの「大気圏・再突入」も相当の至難である。

かつて、スペースシャトル(コロンビア号)は、大気圏・再突入の際に空中分解を起こして、宇宙飛行士7名が全員死亡するという大惨事が起きている(2003)。



大気圏・再突入の際、スペースシャトルが受ける空気抵抗はマッハ25(時速3万km)の空気圧。そして、その強烈な抵抗により発生する熱エネルギーは、機体を1,500℃以上の猛烈な高温にさらす。

強烈な空気圧が機体の姿勢を撹乱し、猛烈な熱波が機体を焼け焦がそうとする。そのため、姿勢保持の操作は高い技術力が要求され、高温を少しでも和らげるためにS字飛行をしながら、熱を左右両脇に逃す。

スペースシャトル(コロンビア号)が空中分解を起こしたのは、翼に空いた「小さな穴」が原因で、正しい姿勢が維持できなくなったからである。



さあ、ルターン氏はこの大気圏・再突入の難題をどうクリアーするのか?

この大気圏・再突入に対して、ルターン氏には苦い記憶がある。空軍時代の友人が、大気圏・再突入に失敗して死亡してしまったのだ。その原因は、再突入の姿勢が保持できなかったことであった。



大気圏・再突入の姿勢保持は、それほどに困難な操縦技術である。

そこでルターン氏が考えたのは、「操縦することなし」に自然に再突入の姿勢を維持することであった。



ルターン氏の見ていたものは、「バドミントンの羽(シャトル)」。

バドミントンの羽は、重力によって「必ず同じ向き」で落下する。この原理を応用すれば、宇宙船を落下に任せるだけで、同じ姿勢を保持できるのではないか、とルターン氏は考えたのである。




その実行計画は奇抜であった。

なんと宇宙船の翼が「上向きに立つ(65°)」のである(フェザリング)。

羽が立つことで、落下姿勢がバドミントンの羽のように安定するのと同時に、大気圏・再突入の際に抵抗を受ける表面積も減らせる。抵抗を受ける面が少なくなることで、発生する熱エネルギーも大きく抑えられることになる。

さらに、ルターン氏の宇宙船の軽量・小型さは、大気圏・再突入のスピードをスペースシャトルの「7分の1」にまで抑えることに成功した。

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大気圏を無事通過した後(高度17km)、立っていた翼は元の通り「横」に戻る。

そうすることで、飛行機のように滑空しながら着陸することが可能になる。



着々と飛行実験を繰り返した「スペースシップ・ワン」。

いよいよ、その日がやって来た。宇宙にチャレンジする運命の日である。

その日のモハベ空港には、世界初の民間宇宙船打ち上げの生き証人になろうとする観客たち1万人以上によって埋め尽くされていた。



ゆっくりと姿を現す輸送機「ホワイトナイト」。そのお腹には夢の宇宙船「スペースシップ・ワン」が大事そうに抱えられている。

輸送機「ホワイトナイト」のフライトは極めて順調であった。予定通りの一時間後に無事、高度15kmに達し、見事に宇宙船「スペースシップ・ワン」の切り離しに成功した。

切り離された宇宙船「スペースシップ・ワン」もおおむね良好に見えた。自慢のハイブリッド・エンジンへの点火もじつにスムーズであった。



ところが、マッハに達したスペースシップ・ワンの軌道がどこかおかしい。

本来、垂直に上昇する予定のスペースシップ・ワンが、しっかりと垂直の軌道を描けていない。



この時、操縦室のパイロットは必死の形相であった。

機体は激しく横揺れし、機体を真上に向けたくとも、機体は思うように言うことを聞いてくれないのだ。

大いに「まごついた」スペースシップ・ワンは、斜めの軌道のまま上昇し、その飛行距離が予定よりも伸びてしまっていた。このままでは、高度100kmに到達できないかもしれない。

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操縦桿と格闘を続けていたパイロットは、さらなる悲劇に真っ青になる。

突然の「エンジン停止」である。

管制室で見守っていたルターン氏の耳に、パイロットの悲壮な声が響く。「何もしていないのに、エンジンが停止した!」。

高度はまだ55km。予定よりもずっと早いエンジン停止である。軌道が大きく伸びてしまっていたためであったのだろうか?

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それでも、ルターン氏が開発したハイブリッド・エンジンの威力は並みではなかった。

エンジン停止後の余力のみで、十分にカーマン・ライン(高度100km)を突破してしまったのだ!



パイロットを苦しめた重力との格闘は終わった。

もはや、カーマン・ラインを過ぎたこの空間に重力が存在しないのだ。

歓喜したパイロットは、隠し持っていた小さなチョコレートをポケットから取り出す。重力の束縛から解放されたチョコレートたちは、花吹雪のように操縦室を舞い上がる。

無重力に舞い上がる多数のチョコレートは、民間の宇宙船が宇宙空間に到達した確かな証(あかし)でもあった。



この至福の時間は、わずか3分30秒。

ふたたびパイロットの眼には緊張が走る。

いよいよ最大の難関、大気圏への再突入だ。この再突入だけは、試験飛行をしていない初めての試みである。



「Gが来た!5Gだ!」

パイロットは体重の5倍もの重圧を感じながら、大気圏へ再突入していく。

降下速度はマッハ2.9。猛スピードで大気を切り裂きながらスペースシップ・ワンは落下していく。



その姿勢は、バドミントンの羽のように美しい姿勢を保っている。ルターン氏の考え出した重力を味方につける「フェザリング(翼を立てる動き)」が見事に決まったのである。

その立った翼は、地上が近づくとともに元に戻り、すんなりと滑走路への着陸を成功させた。

体操競技であれば10満点が出るであろう、非の打ち所のない美しい帰還であった。



飛び立ってから1時間半。

世界初の民間宇宙船「スペースシップ・ワン」は宇宙を見て、再びモハベ空港へと戻ってきた。

歓喜に沸く一万人の大観衆。彼らは期待通り、歴史の生き証人となれたのだ。



思えば、航空史の偉業は、民間の手で成されたものも多い。

ライト兄弟(初の動力飛行)もそうであり、リンドバーグ(大西洋無着陸横断)もそうである。

そして、ここにまた、新たな歴史がスペースシップ・ワンによって刻まれたのである。実際、この偉業はライト兄弟に匹敵するとまで高く評価されている。



大歓声の中、滑走路を堂々とウイニングランするスペースシップ・ワン。

その機体に立ち上がったパイロットの手には、観客から渡されたプラカードが掲げられていた。

そのプラカードには、「Government Zero(政府の支援なし)」と書かれていた。



「民間では無理」とされていた宇宙の扉。

その固く閉ざされていた扉を、スペースシップ・ワンは見事に打ち破ったのである。



航空史に燦然と輝くスペースシップ・ワンの偉業。

その喜ばしい光の陰で、消えていく光もあった。それを象徴するのが、スペースシャトルの退役である。

国家が主導していた宇宙計画は、国家の衰亡とともに頓挫し、その座を民間に譲り渡すより他に道がなくなってしまっていたのである。




宇宙計画に初期において、アメリカや旧ソ連などの巨大な力が果たした功績は多大なものがあった。しかし、その巨大さは時が経つとともに、大きすぎるお荷物ともなっていった。

一方、民間の小さな力は、巨大な宇宙の扉の前に、その前進を阻まれ続けていた。

それでも、その小さな力は諦めることを知らなかった。挑んでは消えていきながらも、その屍(しかばね)を乗り越えようとする後続は後を絶たない。



そして遂に、ルターン氏の伸ばした手が宇宙に届いたのである。

ルターン氏は小さな力を逆に味方につけて、常識という型を次々とブチ壊していった。空中発射という奇想天外な打ち上げ、バドミントンの羽のように落下する大気圏・再突入。

小さな力だからこそ、多くの外圧を味方につけなければ、遠い宇宙へは届かなかった。ルターン氏のような発想は、決して巨大組織「NASA」では生まれることのなかったものばかりだ。



かつては国家の「下されもの」であった宇宙技術が、現在では逆に民間から国家への技術供与がなされるまでになった。

昔、軍事のために開発されたコンピューターやインターネットが民間に解放されたことで、今ではアップル社などの民間企業の技術を国家が利用するようにもなっている。

大きな力が成せることもあれば、小さな力だからこそ成せる業もあるということか。



栄光の歴史を刻んだ「スペースシップ・ワン」の技術は、やはり民間のヴァージン・グループに引き継がれ、「スペースシップ・ツー」の開発に結びついた。

「スペースシップ・ツー」は民間人の宇宙旅行を可能にするものである。

その費用は一人20万ドル(およそ1,600万円)と高額であるが、400人以上もの予約が殺到しているのだという。




「今日の希望は、明日の現実である」と、ルターン氏は語る。

確かに、宇宙への荒唐無稽な希望は、数々の不可能を現実化してきた歴史がある。

その希望がある限り、「宇宙旅行」という途方もない夢想も、いつの日か現実のものともなるのであろう。



希望が現実をつくるのならば、逆に失望が現実をつくることもあるのかもしれない。

我々はどんな未来を望むのか?

失うことを望む(失望)のか、希(まれ)であることを望む(希望)のか。



希望の「希」とは、「めったにない」ことを表す。

何が「めったにない」のかと言えば、天から離れた人間たちが、再び天まで到達することが「めったにない」とのことである。



「滅多になかろうが、少しは望みがあるのだろう」、ルターン氏ならばそう言うのかもしれない。

彼の一縷の望みは、多くの人々を宇宙(天)へと到達させてしまう可能性を示すことができたのだから。

「今日の希望」がある限り、宇宙は着実に近づいてきているのである。






出典:コズミック フロント〜発見!驚異の大宇宙〜
砂漠のスペーストラベラー 到来!宇宙旅行時代





posted by 四代目 at 09:50| Comment(0) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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