2012年02月11日

植物か?動物か? 人類の悪行を精算しうる「ミドリムシ」の秘めたる可能性。


1675年に発見されたその単細胞生物は、美しい眼を持っていた。

それゆえに、「美しい眼」を意味するラテン語、「ユーグレナ」がその名となった。

r1.jpg


日本での通り名は「ミドリムシ」。

田んぼや池など、水のある大抵の場所に生育している生物である。

ラテン語の詩的な「ユーグレナ」という名前に比べて、日本名の「ミドリムシ」というのは、どこか無粋な感じがするものの、「ミドリムシ」という名前の方が、この生物の特性を明確に言い表している。



緑色をしているから「ミドリムシ」なわけであるが、この緑色は「光合成」をする葉っぱ(植物)の緑色と同じ成分でできている。

その緑成分(色素)は「葉緑素」であり、ミドリムシは光合成をできる唯一の動物である。

動物的要素は、「ムシ(虫)」という部分で表現されている。シッポ(鞭毛)をフリフリして泳ぎ回る様は、まさに虫(動物)である。

r2.jpg


「植物でもあり、動物でもある」ミドリムシ。地球上にはこんな生物もいるのである。

そして、この「ボーダーレスな感じ」が、ミドリムシを理解する上での最大のキーワードともなる。



「生産」という言葉は植物的であり、それに対して「消費」というのは動物的である。

植物は光合成によってエネルギーを「生産」し、動物は他の動植物を「消費」して生きてゆく。



そうした観点に立てば、ミドリムシは元々動物的(消費的)であったと考えられている。そんな動物的なミドリムシの食べる物の中には植物もあった。

普通の動物は食べたものを全て消化してしまうものなのだが、なぜかミドリムシは緑色の葉緑素を消化しようとはせずに、体内に貯めこむことにした。そして、その貯め込んだ葉緑素の産するエネルギーを使うようになった。

この方法であれば、外部から食物を取り入れる必要もなければ、消化するエネルギーも必要ない。ただ居ながらにして生存に必要な栄養が自然に体内から湧いて出るのであるから。



昔々の人類は「狩猟採集」という方法で食を得ていたが、いつの頃からか「畑」を作って、自ら食糧を生産する術を学んだ。

それと同様、ミドリムシも体内に畑(葉緑素)を持ち、そこでエネルギーを生産するようになったのである。

また、現代社会には貯め込んだ貯金の「利子」だけで生活する人々もいるが、ミドリムシにとっての貯金は「葉緑素」であり、その葉緑素はエネルギーという無限の利子を提供してくれるのである。



獲得した食物(葉緑素)を全部消化せずに取っておいたミドリムシは賢明であった。

その貯蓄が畑となり、自分では働かなくとも食に困ることがなくなったのだから。

月々の給料を使い切らずに、少なからずも貯蓄に回せば、後々の生活はミドリムシのように安楽なものとなるのかもしれない。しかし、動物的性質を色濃く持つ人間にとっての「消費」は、宿命のようなものなのであろう。



ミドリムシは「シッポの生えた葉っぱ」のようなもので、ラテン語「ユーグレナ(美しい眼)」が示す通り、その眼で光の強弱を感じ取り、シッポ(鞭毛)を使って明るい方へ明るいほうへと移動していける。

この移動できるという動物的要素は、光合成をより効率的なものとする。日陰になってしまった時でも、日向へと泳いでいけるのだ。

またまた資産的な発想に結びつけると、動き回れる資産というのは流動性が高いということになる。ある国の株式のパフォーマンス(リターン)が悪くなった時は、好調な新興国などへと資産を移動させて、より高いリターンを得ることもできるのだ。



動物であったミドリムシが、葉緑素を獲得したということは、人間が流動性の高い大いなる資産を獲得したようなものであり、それは極めて革命的な出来事である。

いまだかつて、この革命を成し遂げた生物はミドリムシ以外、地球上には存在しない。



ミドリムシがこの革命を起こしたのは、およそ5億年以上前の話。生命の起源を40億年前と考えれば、5億年というのはそれほど古い話でもない。

それを人間の歴史に無理やり換算するならば、ミドリムシの生物的革命は、イギリスの産業革命(18世紀)ほどの頃合いとなろうか。



「動き回る葉っぱ」という動植物の「ハイブリッド」と化したミドリムシは、体内に持つ「栄養素」までもが、動物であり植物である。

ミドリムシは動物のみが持つ栄養素「脂肪酸(DHA、EPA、オレイン酸、リノール酸)」、ならびに植物のみが持つ「アミノ酸9種類」を併せ持つ。



近年、ミドリムシはサプリメント(栄養補助食品)としても重宝されるようになっているが、その理由は、ミドリムシが動物・植物双方の栄養素をバランス良く含んだ完全栄養食品だからでもある。

ミドリムシのサプリメントを取れば、それは栄養素的に「野菜と魚」を同時に食したのと同じことになる。加えて、微量元素であるミネラルなども豊富に含む(亜鉛はクロレラの数倍)。




さらには、ミドリムシに「細胞壁」がないことで、人間の消化器官が簡単にミドリムシの栄養素を吸収することが可能になる。

普通の植物であれば、動けないというデメリットを補うために、自らの身を守る鎧のような「細胞壁」で細胞の周りを固く固めている。そして、残念ながら人間にはその固い守りを打ち崩せる酵素「セルラーゼ」が備わっていない。

ところが、動き回れ、逃げ回れるミドリムシには、植物ほどに防御を固める必要性がなく、ミドリムシを覆うのは「細胞膜」という柔らかい素材である。この柔らかい細胞膜ならば、人間の消化器官でも十分に分解が可能なのである。



ミドリムシは人間にとって貴重な食材ともなりうるということで、現在では盛んに「養殖(人口培養)」が行われている。

ミドリムシの繁殖スピードは恐ろしく速い。一日で倍になる。2日で4倍、3日で16倍、4日で256倍、5日で6万5千倍…。ネズミもびっくりである。

最初は透明に近い薄い緑色の培養液も、一週間もたつと、抹茶のように濃厚な緑色の液体となる。



光と酸素さえあれば、ミドリムシの無限増殖は可能である。

しかし、大型培養するには問題点もあった。その問題点は、「細胞壁がない」というミドリムシの脆弱性にあった。

守りが薄いため、他の生物に駆逐されやすく、自然環境下ではミドリムシだけの純粋培養ができなかったのだ。



この問題点を解消したのは、ミドリムシの類マレな「二酸化炭素に対する耐性」であった。

水中の二酸化炭素を40%の割合まで高めても、ミドリムシは生き続けることができる。

いやむしろ、二酸化炭素をエネルギーに変えることができるミドリムシは、その高CO2下においては、ただでさえ速い増殖スピードを20倍にまで高めるのである。



二酸化炭素濃度40%という異常な環境で生育できる生物は、ミドリムシ以外には存在しない。

普通の生物にとって、この異常な環境は「CO2地獄」であり、生存はおおよそ不可能なのである(極度に酸性化する)。



賢明なる読者諸氏は、ここで名案を思いついたかもしれない。

「ミドリムシをCO2削減の切り札とできはしまいか?」、と。



現在の大気中の二酸化炭素濃度は、地球の歴史上、異常な数値にまで跳ね上がっている。

その急上昇のキッカケとなったのは、イギリスにおける産業革命(18世紀)である。この革命は、世界の人々の生活を一変させただけでなく、二酸化炭素の濃度をも一変させたのである。

r3.jpg


この急激な二酸化炭素濃度の変化は、人類にとって好ましいことではない。

それが温暖化につながるかどうかは議論の紛糾するところでもあるが、生物的な進化の異様に遅い人類にとって、外部環境の急激な変化はいかなるものであれ「害悪」である。



増殖スピードが異常に速く、とんでもない量の二酸化炭素を食らうことができるミドリムシは、工場から排出される二酸化炭素をも果敢に酸素と水に変えてくれる。

火力発電所の排出ガス(CO2)を、ミドリムシの水槽に通すことで、大気中に放出するCO2の量を愕然と減らすことも実証されている。



18世紀の産業革命以降の300年程度で、人類は盛んに化石燃料を焚き続け、地球が何億年とかかって地中に固定していた二酸化炭素を、一気に大気中へと放出してしまった。

ところが幸運なことに、ミドリムシの恐るべき増殖能力とCO2吸収能力は、人類数百年間の悪行をも「清算しうる可能性」を秘めている。



現在、年間32億トンもの二酸化炭素が、「赤字」となって大気中に蓄積され続けているというが、それを黒字決済に変えるには、単純計算で日本の国土の1.3倍のミトコンドリアの水槽(深さ1m)があればよいのだという。

果たしてその面積をデカすぎると感じるのか、それとも思ったよりも小さいと感じるのかは人それぞれであろうが、世界が協力し合うのであれば、それほどのものとも思えない。

少なくとも、同じだけ二酸化炭素を吸収できる「森」を作るよりは、よほどに容易なことである。ミトコンドリアの単位面積当たりの二酸化炭素吸収量は、熱帯雨林の何十倍にも上るのである。

r4.jpg


最後に、ダメ押しの朗報までもがある。

ミトコンドリアは何と「燃料」にもなるのである。



光と酸素を遮断されたミトコンドリアは、光合成の道を絶たれるために意気消沈してか、「真っ白」に燃え尽きてしまう。

自慢の緑色の面影をなくした真っ白のミトコンドリアは、じつは死んではいない。

葉緑素を「油」に変えることで、エネルギーを創出して生き続けているのだ。その真っ白い姿は、油と化して生き続けているミトコンドリアの別の顔なのである。

そして、その油は化石燃料(石油など)の代わりとなり得るものでもある。

r5.jpg


産業革命以降の文明は、化石燃料に極度に依存しすぎたゆえに、そのバランスを著しく欠くものとなってしまった。

それは地球環境のバランスを崩し、世界の利権構造のバランスをも崩した。そして、今や崩壊寸前にまで傾き切っている。



もし、そのバランスを崩した巨人を、小さな小さな単細胞生物(ミドリムシ)が救うとしたら?

それはそれは痛快な物語ともなり得よう。柔よく剛を制す、ストーリー性に満ちた希望が溢れている。



そして、ミドリムシにはその能力が備わっている。

二酸化炭素をバクバク食らえもすれば、自らを燃料に変化(へんげ)させることも可能である。

残された問題はと言えば、バランスを崩した巨人たちの意志ということにもなるのであろう。



ミドリムシの「美しい眼」に映るのは、どんな未来なのであろうか?







出典:いのちドラマチック
「ミドリムシ 植物と動物のあいだ」



posted by 四代目 at 06:08| Comment(3) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは、いつも楽しく拝読させてもらっているものです。

今回のミドリムシの話も、今後の地球エネルギーを考えるうえで非常に興味深い内容で、素晴らしいものでした。

しかし本文中の「ミドリムシは光合成をできる唯一の動物」というところが、水中に棲むウミウシの仲間は入らないのかな?と思いメールしました。

以前見た記事http://gigazine.net/news/20081125_solar_powered_sea_slug/

ウミウシの場合は身体の中に外部から葉緑体を取り入れるので、ミドリムシとは若干異なるとは思いますが、ウミウシの場合もしっかりと光合成をして栄養分を作り出しているようなので、光合成ができる動物 に入れてもいいのかなと感じます。

突然で差し出がましいメールではございますが、ダイビングの仕事をしているので少し気になったのと、今後ウミウシの内容でこちらのブログに掲載されるような事があれば嬉しいなと、淡い期待を込めてメールしてみました。

これからも英考塾で教養を付けていきたいので、大変だとは思いますがブログ頑張って下さい。

Posted by 恩納村人 at 2012年02月12日 18:51
Posted by at 2015年07月21日 09:22
同じウミウシの記事でした。失礼しました。
Posted by at 2015年07月21日 09:24
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。