「トラの子殺し」
虎の子供にとっての「最大の敵」は、オスの虎なのだというが…。
虎の子育てというのは、母トラが一手に引き受けるのであるが、母トラが引き連れる子トラたちは、他のオス虎に襲われ、そして殺されることもあるのだという。
なぜ、オス虎は子トラを殺すのか?
諸説あるものの、オス虎がメス虎と「交尾」をするためだという説が有力である。
メス虎が子トラに「乳」を与えている間、メス虎が「発情」することはない。
ところが、子育て中のメス虎でも、子トラを殺されてしまうと発情が始まる。そして、他のオス虎を受け入れるようにもなる。
つまり、オス虎が子トラを殺すのは、止まっていたメス虎の発情を促し、そのオス虎が己の子孫を後世に残そうとするためだ、と考えられているのである。
「トラの子殺し」は、インドに生息する「ベンガル・トラ」の観察から明らかにされた事実である。
子連れのメス虎をつけ狙う獰猛なオス虎は、ついに生後数週間という幼い子トラまでをも死に至らしめる。
また、幼い子トラを守らんと身を張った父トラも殺され、残された母トラも重傷を負ってしまう…。
生態系の頂点に位置しているとも言われる肉食獣最強の動物が、皮肉にも同種同士、さらには貴重な「虎の子」までをも自らの手にかけるのである。
その生き様は、はたして持続可能なのであろうか?
20世紀初頭には世界中に10万頭はいたとされる各種のトラであるが、現在では4,000頭も残っていないとされている。単純計算すれば、ここ100年間で、20頭に1頭も生き残れなかったことになる。
その要因は多分に人間活動の拡大に求められる。人間たちはトラたちの住む森を伐採し、そして、無数のトラを密漁によって殺してきた(毛皮のみならず、その骨までもが漢方薬として珍重されている)。
こうした外的要因に、トラ同士が殺し合うという要素も加われば、この種の未来は絶望的とさえ思える。

ところが、ロシアに住むという「アムール・トラ」は、少々様子が違うようである。
最近の調査によって、彼らの知られざる生態が明らかになりつつある。
「アムール」という名前が示す通り、このトラはアムール川の流れるロシア極東部に暮らしている。
アムール川の支流である「ウスリー川」を中心に広がる「シホテアリン山脈」では、とりわけ多くの野生のアムール・トラが確認されている(400〜500頭)。
ここはロシアと中国の国境でもあり、近隣の中国の地名である「虎林市」などは、古来よりトラが多く生息していたことを物語るものでもあろう。
ちなみに、第二次世界大戦時には、満洲国とロシアの国境ともなった場所であり、関東軍(日本)が対ロシアの拠点としたのが、この地に設けられた「虎頭要塞」である。
歴史的に「政治的な境界」となったことに加え、この地は自然環境的にも「南北の要素」が入り交じる不思議な土地でもある。
北方系の針葉樹林(マツ、モミなど)と、南方系の広葉樹林(カエデなど)が混在する「針広混交林」をはじめ、動物たちも北から南から集まり、他に類を見ないほど多様な動植物たちの楽園となっている。
南北の要素がせめぎ合う地点において、自然環境が信じられないほど豊かになる例は、岩手県三陸沖の漁場にも見られる。岩手県沖の海域は「寒流と暖流」の交わる地点であるため、この海域は世界最高の漁場の一つとされているのである。
アムール・トラの暮らす「シホテアリン山脈」は、世界的にも自然に恵まれた土地であり、それゆえに生態系の最上位に位置するトラをも十分に養うことができるのでもある。
緯度的には「北海道」と同程度であり、イメージ的には極寒のロシアというよりも、日本の北海道に近いものがある。

さて、そんな豊かな森のアムール・トラを定点カメラで観察していたところ、ある数枚の写真が研究者たちを戦慄させた。
その写真には、夜間の林道を歩くトラたちの姿が写し出されており、母トラを先頭に子トラが、一頭、二頭、三頭と連なっていた。
戦慄したのは、その最後に「オス虎」が写っていたからである。

冒頭に記した通り、トラには「子殺し」という習性があるとされている。
研究者たちは直感した。「ああ、あの子トラたちは殺されてしまう…」。
単独で暮らすトラが、親子で仲良く森を歩くなどという姿は想像できない。母と子は一緒でも、そこに父親までが参加することは考えられなかったのである。
その後、しばらく子トラたちの消息はつかめなかった。
研究者たちも、半ば諦めていた。彼らは自然の理(ことわり)に逆らえないことを承知している。しかし、それでも気になってしょうがなかった。
その子トラたちを引き連れていた母トラは、セリガと名付けられていた。
セリガとはロシア語で「イヤリング」を意味する。調査のために麻酔銃をセリガに撃ったところ、その針が耳元にささり、それがイヤリングのように見えたことが命名の由来であった。
そして、その調査によって判明したのが、「妊娠」という嬉しい事実であった。

写真に写されていた子トラたちの存在により、その時の妊娠は無事出産を終えたのだと研究者たちは安堵したのである。
しかし、その安堵も束の間。背後から不気味に狙うオス虎の存在により、その子トラたちの運命は小さな灯火となってしまったのだ。
諦めきった冬のある日、雪に覆われた森の中で「トラの足あと」が発見された。
そして、その足跡をよく見てみれば、なんと「小さな足あと」もたくさん混じっているではないか! 母トラ・セリガの子トラたちは、無事だったのだ!

しかし、なぜ?
あのオス虎は、子トラたちを殺さなかったのか?
事実は意外な方向へと向かっていく。
別の調査で、偶然にも「あのオス虎」が捕獲された。
そして、そのオス虎のDNAを調べてみたところ、なんと、このオス虎はあの子トラたちの「父親」だったのだ!
群れずに単独で暮らすとされていたオス虎。
しかし、アムールのオス虎は、家族と共に行動していたのだ。これは従来の常識を覆す新発見である。
さらに意外な事実も次々と判ってくる。
オス虎とメス虎の縄張りというのは、個々別々ではあるものの、個々の縄張りは重なり合う領域も多い。その「重なり」は、家族同士であることもあれば、まったく赤の他人のオス虎のものでもあったりする。
縄張りが重なり合っている他人のオス虎は、子トラたちにとっての脅威である。「子殺し」の可能性が一気に高まるためである。
母トラ・セリガの縄張りには、父トラの縄張りも含め、その他「5頭もの他オス虎」の縄張りが重なっていた。
従来の「子殺し」という常識から考えれば、母トラ・セリガの子トラたちは、他オス虎5頭の大きな脅威に晒されている極めて危険な環境である。
しかし、それでも子トラたちは元気に育っている。それはなぜ? 偶然にも子トラたちは他のオス虎たちに出会っていないのか?
GPS追跡調査や、定点カメラの画像を詳細に分析していくと、母トラ・セリガは他のオス虎とも頻繁に出会っていることが判ってきた。
しかし、それでも子トラたちは生きている。
これはもはや、「トラの子殺し」がアムール・トラには当てはまらないと考えるほうが自然であった。
インドのベンガル・トラは、頻繁に同種同士の争いが見られたというのに、ロシアのアムール・トラでは、それが見られない。なぜ?
ロシアという寒さ厳しい自然環境がアムール・トラたちに互助精神を育んだのであろうか?
アムール・トラたちは、父親を含んだ家族で行動し、さらに他のオスとも頻繁に接触しているのである。
単独で生きるのは「強さの証(あかし)」であり、群れて暮らすのはお互いの「弱さを補うため」でもあろう。
肉食獣最強のトラといえども、種存続の危険を感じれば、助け合ったりもするのであろうか。
逆に「子殺し」や「同種殺し」が見られる動物たちは、強さを持て余しているということであろうか(現在の人間たちのように…)。
そう思えば、強くなりすぎた種は自らを弱め、弱った種は協力して強さを取り戻してゆくとも考えられる。
そして、それは自然が備えたバランスをとるための作用であるのかもしれない。
平家物語のいう「盛者必衰」は、自然の理(ことわり)なのでもあろう。
トラの命運に一喜一憂する前に、我々人類は「強くなりすぎた自らの運命」を自覚しなければならないのかもしれない。
強さが「醜い争い」の誘い水となる一方、弱さは「他者との優しい触れ合い」につながる。
強さを強調すればするほど、自らの首を締めることにもなりかねず、逆に弱さを自覚することの方が自らを助ける可能性がある。
誰しもが自らの内に強さと弱さを併せ持つ。
ある人は、ことさらに自分の強さを「誇示」するかもしれず、ある人は自らの弱さを「謙虚」に受け止めるかもしれない。
大自然の理(ことわり)は、はたしてどちらの者に味方するのであろうか?
出典:ワイルドライフ
「ロシア沿海州 ウスリータイガ 原生林に幻のトラを追う」

