「紅茶が先か? ミルクが先か?」
「ミルク・ティー」を美味しく飲むために、イギリス人たちが100年間もこの問題で悩み続けたのだという。
そして2003年、英国王立化学協会(the Royal Society of Chemistry)は、その結論を遂に出した。

「完璧な紅茶の淹れ方(How to make a Perfect Cup of Tea)」と題されたその論文にある結論とは…?
「ミルクが先」であった。「Pour milk into the cup FIRST(原文でも大文字で強調)」。
なぜ、ミルクが先なのか?
最も重視されたポイントは、ミルクの「温度」であった。
ミルクのタンパク質は「75℃以上」で熱変性(denaturation)してしまい、不味(まず)くなってしまうのだ(tastes bad)。
もし、熱々の紅茶にミルクを注いでしまうと、注がれたミルクが熱々の紅茶によって「一気に加熱されて」、変質してしまう(ミルクの温度は75℃を超えてしまう)。
ところが、あらかじめカップに入れられたミルクの上から紅茶を注ぐのであれば、注がれる紅茶は「熱を失いながら」ミルクと混ざっていくので、ミルクはギリギリ75℃以下のままで保たれる。

ミルクの味を損なうのは、75℃以上に加熱された結果できる「変性タンパク質(denatured proteins)」。
そのため、販売される段階で「あらかじめ高温処理されているミルク」の使用は奨励されていない。
※UHT牛乳というのは、120℃で2秒間殺菌された牛乳(Ultra High Tempearture)であり、当然タンパク質は変質してしまっている(マズイ)。それに対して、LTLT牛乳というのは、63℃で30分間殺菌された牛乳(Low Temperature Long Time)であり、タンパク質の美味しさは損なわれていない(イギリスでは低温殺菌のLTLT牛乳が主流であるが、残念ながら日本では超高温殺菌のUHT牛乳がほとんどである)。
ミルクの温度だけに限らず、紅茶道においては、あらゆるシーンで「温度」が味の命運を分けることになる。
たとえば、紅茶葉に注ぐお湯の温度は?
沸騰したお湯(100℃)か? 沸騰直前のお湯(95℃)か?
沸騰してしまったお湯(100℃)を紅茶葉に注ぐと、茶葉は死んだように下に沈んだまま、ピクリとも動かなくなる。
一方、沸騰直前のお湯(95℃)であれば、茶葉たちはお湯の表面に勢いよく浮上し、しばらくすると(約2分後)、ゆっくりと下に沈み、そしてまた浮上する(ジャンピング)。
その躍動的な様は、お湯の中を茶葉が優雅に踊っているようであり、茶葉がティーポットの中を踊り動き回る間に、「紅茶らしい味」が十分に引き出されることになる。

その結果として、「100℃」と「95℃」とでは、紅茶の味が劇的に変わってしまうのである。
このたった「5℃の差」は、いったい何の差なのか?
それは、お湯の中に含まれる「酸素の量」の差ということになる。
水の酸素濃度を「20℃」の時に100%とすれば、温度が上がるにつれて酸素の割合は低下していき、「95℃」では「およそ20%」、「100℃」では「10%以下」になる。
つまり、100℃と95℃という温度にして「5℃」の差は、酸素量にすると「倍以上」の差となってしまうのである。
茶葉がティーポットの中を上へ下へと動き回れる(ジャンピング)のは、茶葉の回りにくっついた酸素が「浮き輪」のような役割を果たしてくれるからである。
だからこそ、酸素の豊富な95℃のお湯(沸騰直前)で茶葉は踊り回り、酸素のほとんどなくなった100℃のお湯(沸騰済み)では、浮き上がるすら叶わなくなってしまうのである。
温度が低ければ低いほど、酸素の含有量が増すのであれば、95℃よりも低いお湯のほうが良いのではないかとの見解もある。
酸素だけに着目すればもっともな見解ではあるが、残念ながら90℃以下では「紅茶の成分」が溶け出てこない。
酸素の量を重視するのは、酸素が茶葉を盛んに動かして紅茶成分を十分に出すためであるのだから、温度が低すぎて紅茶成分が出ないとなるのは本末転倒である。
また、一度沸騰してしまったお湯を95℃に「冷まして」使っても意味はない。
なぜなら、一度沸騰してしまえば、お湯の中の酸素はすでに失われているからである。
「あらかじめ沸かしたことのない新鮮なお湯(freshly drawn water that has not previously been boiled)」を用いることは、英国王立化学協会の強調するところである。「混入酸素(dissolved oxygen)の有無」が「紅茶の風味(the tea flavour)」を左右することになるのだから。

さて、次に考察するのは、「紅茶を飲む温度」である。
紅茶を淹れる温度もさることながら、飲む温度によっても、紅茶の味は大きく変わってしまうというのだが…。
結論から言えば、「60〜65℃」の紅茶を飲むのが、もっとも美味しく感じるということだ。
「60〜65℃」という温度は、カップに唇を当てて、すすらなくとも飲めるくらい熱々の温度であり、紅茶をカップに注いでから1分以内の温度である。
ここで注意しなければならないのは、紅茶が熱いからといって「ズズーッ」とすすって飲む(slurping)のは英国人の嫌うところだということである(最適な温度であれば、音を立ててすすらなくとも飲めるはず)。
英国人は、熱すぎる紅茶に対して、冷たいティースプーンを入れて、紅茶の温度を調節したりもするらしい。
ところで、「60〜65℃」よりも紅茶の温度が低くなると、なぜ不味(まず)くなるのか?
それは、「渋み」が増えすぎてしまうからだそうだ。
紅茶の渋みは「タンニン」という成分であり、苦味は「カフェイン」ということになる。
紅茶の温度が低くなると、渋いタンニンと苦いカフェインが結合して、「より大きな複合体(タンニン・カフェイン複合体)」を形成する。
大きな分子ほど舌などに付着しやすく、口の中に残りやすい。その結果、後味が渋く苦く、いつまでも残ってしまう。まさに苦渋の状態である。

紅茶の理想的な渋みというのは、「パンジェンシー(心地良い渋み)」である。
心地よい渋みとは、紅茶研究家の磯淵猛氏に言わせれば、「瞬間的にキュッと感じるけど、スーッと切れていく感じ」ということになる。
つまり、渋みは感じるけれども、いつまでも口に残らずに渋みは消えていくのである。
最適な温度(60〜65℃)の紅茶であれば、渋味のタンニンが小さいままなので、スーッと消えていく。
ところが、それより低温の紅茶となると、大きなタンニン(渋味)が口の中に残りやすくなる。
一口ごとに嫌な渋みが積み重なっていってしまい、大変に不快な渋みとなる。そして、ついでに苦味のカフェインもが舌を嫌がらせることにもなる。
このように、英国王立化学協会の示す「完璧な紅茶」は、科学的な考察を踏まえた理性的な文章なのであるが、英国人は「ウィット」を交えずにはいられないようでもある。
個人的な化学(Personal Chemistry)として、紅茶を楽しむための「下準備」が以下のように記されている。
「冷たい横殴りの雨(cold, driving rain)の中を、少なくとも30分間は重い買い物袋とともに犬を散歩させる。
この下準備は、一杯の紅茶を『この世のモノとは思えない味(out of this world)』へと変えてくれるだろう。」
ちなみに、完璧な紅茶とともに読むべき「理想的な本」としては、ジョージ・オーウェルの『Down and Out in Paris and London』が、英国王立化学協会により推奨されている。
ジョージ・オーウェルといえば…、
参考・出典:一杯の完璧な紅茶のために
アインシュタインの眼
「紅茶〜“心地よい渋み”を楽しむ」