「え〜っ、そんなモノ食うのは、『蛇』と『日本人』だけだよ。」
ヨーロッパの人々が驚く「そんなモノ」とは?
なんと、単なる「生卵」。彼らには卵を生で食べる習慣がないのである。

生卵食いを「ゲテモノ食い」と断じる彼らヨーロッパ人はと言えば…、「ニワトリの『トサカ』」を生で食う。
今度は日本人が驚く番である。「コリコリして美味しいよ」と言われても…。
肉食の民は、獲物のあらゆる部位を余さず食べるのが基本らしい…。それでも卵は生で食べない。

日本人の生卵食いに驚くのは、「中国人」も然り。何でも食べそうなイメージがある中国人でさえ、生卵ばかりは食わない。
日本人が生卵を食べると聞くと、中国人たちは「アイツら(日本人)は頭がおかしい…」、と思うのだそうだ。
そんな中国人たちは、「サソリ」を平気で食べる。養殖してまで食べる。
素揚げにすれば、川エビの唐揚げのようなものだという。「毒をもって毒を制す」のか、「鎮痛剤」にもなるとのことだ。

毒を持つサソリを中国人が食べれば、日本人は毒をもつ「フグ」を食う。しかも、最も毒性が強いとされる「卵巣」まで食べる。
「発酵」させれば毒は消えるのだが、そのメカニズムは科学的に解明されてはいない。万が一「当たった」際には、毒消しもない。

「発酵」という変化は、「腐敗」と紙一重。というか、両者に明確な区別はない。むしろ、化学的には「同一の作用」である。
体感的に言えば、「食べられる」のが発酵ということになるのだろう。
「すし」を30年間発酵させれば、その様はヨーグルトのようなドロドロの液体になる。その大元となる「すし」は、塩漬けにした魚とご飯を樽に詰めたもの。和歌山県に伝わる「本なれずし」のことである。

元々、「すし」は保存食品だったのだという。腐りやすい生魚を保存するための知恵だったのだ。
ところが、江戸のせっかちな人々は、すしが発酵するのを「待てなかった」。その場で酢をぶっかけて、「握り寿司」にしてしまったのである。現在主流の「すし」は、ファストフードということになる。
スウェーデンに伝わる「シュールストレミング」というニシンの缶詰も、なれずし同様、生魚を発酵させたものである。
2ヶ月間塩漬けにしたニシンを、加熱・殺菌せずに缶に詰める。その缶の中で発酵が進むため、缶はパンパンに膨れ上がる。
シュールストレミングは、何よりも「臭い」のが特徴だ。日本のなれずしの10〜15倍も臭い。世界一臭いという話でもある。

それほどのクサさにも関わらず、スウェーデンの人々は平気でシュールストレミングを食らう。
シュールストレミングの解禁日は、毎年8月の第3木曜日と定められており、スウェーデンの人々はその日を「心待ち」にしているのである。
その心境は、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日を待ち焦がれる日本人と同じなのであろうか?
世界中を見渡せば、奇食・ゲテモノが幾多と見つかる。
しかし、他人がゲテモノと思うものでも、それを日常的に食する人々にとって、それは美食でもあったりする。
我々日本人は、生卵を「ゲテモノ」だとは寸分も思っておらず、むしろ朝の楽しみですらあるのである。
「毒」であれ、「発酵」であれ、それらは人間にとって「食の限界」でもある。
「死」を遠ざけるために食するはずが、その食の毒がキツすぎれば、逆に「死」を近づけてしまう。それは発酵も同じことで、もし腐っていたら食中毒だ。
それでも、人間はその「限界」を押し広げてきた。
そしてそれは、毒があるかもしれない、もしくは腐っているかもしれないモノまで食べなければ、生きていけない状況に追い込まれてきた結果なのだろう。
食べずに死んでしまった人もいれば、食べたがゆえに死んでしまった人もいたはずだ。食の歴史を振り返れば、死屍累々なのであろう。
「こんなものまで食べるのか」と思うものを食べる民族ほど、その食の歴史は苦難の歴史だったとも考えられる。
世界の奇食を食べ歩いた「石毛直道」氏は、子供の頃に「土」を食べていたのだという。
終戦間もない頃の食糧難の時代、ひもじすぎて「土」を口にした石毛氏、それが意外に「うまかった」。特に土壁の「土」がうまかった。自分の家のみならず、他人の家の土壁までコッソリ食べていたという。
ちなみに、世界の民族の中には、土を食らう民族は少なくない(アメリカ、カナダ、アフリカ、インドネシア、ベトナム、ニューカレドニアなどなど)。

我々日本人は、密林の中で「イモムシ」を食う人々の姿を見ると、「エーーッ!」と驚く。
ところが、その彼らは日本人が「生で魚を食う」と知ると、「オエーーーッ!」となる。
石毛直道氏に言わせれば、
「自分が食べるものが『まっとう』で、食べないものは『ゲテモノ』」となる。
とどのつまり、「文化を測る『これが正しい』というモノサシ」はないのである。
出典:爆問学問 奇食屋台
小生はNHKラジオでフリーで番組制作(ディレクター)を担当しているものです。
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また、プロフィールというプロフィールも持ち合わせません。小生は平凡な農民の一人です。