「橅(木ヘンに無)」と書いて、「ぶな」と読む。
漢字の意味に従えば、「木では無い木」がブナということになる。諸説あるものの、その木材が腐りやすくて使いにくい(加工後に曲がり狂う)ということから来ているのだという。
この漢字が作られてからの時代はまだ浅いというが、ブナの木材としての価値が低いことは周知の事実である。薪炭材、下等品とされることも多いのだ。
しかし、ブナは現在、北は北海道から南は鹿児島まで、ほぼ日本全国に勢力範囲を広げている。木材としての価値は低かろうとも、ブナには卓越した生存戦略があるとみて間違いないだろう。
およそ2万年前の日本列島は氷河期の寒さに震えており、その厳しい寒さゆえに、ブナの生きられる場所は日本列島にほどんどなかった。かろうじて静岡、高知、鹿児島などに細々と生きていた。
寒い寒い日本列島に盛んに生えていたのは、松や杉などの「針葉樹」である。現在においても、標高の高い山で生き残れるのは針葉樹ばかりであり、蔵王(山形)に見られる樹氷の中身も針葉樹(トドマツ)である。

ブナなどの広葉樹が意気揚々と北進を開始するのは、凍てつく寒さが和らいでからのこと。およそ5,000年前には北海道へ上陸するまでになったという。
現在、ブナの「北限の地」とされるのは、北海道の黒松内町(同地の「歌才ブナ林」は北限のブナ林として天然記念物にも指定されている)。およそ680年前までに、ブナはこの地にまでたどり着いたということだ。
現在、日本の森の樹木の8割は、ブナなどの「広葉樹」であり、かつての王者「針葉樹」は、今や少数派となっている。

針葉樹と広葉樹の「戦略」は明確に異なる。
針葉樹のイメージは、「独立自尊」。厳しい寒さの中、独り耐える彼らには、どこか他を寄せ付けないようなオーラがあり、閉鎖的な側面がある。
それに対して、広葉樹のイメージは「社交的」である。広葉樹の中でも、冬に葉っぱを落とす落葉樹(ブナなど)の森は、とりわけ開放的である。
開放感あふれる広葉樹の森には、種々雑多な生物たちが入り込む余地がふんだんにあり、「来る者拒まず」といった感もある。
広葉樹の森は、それほどに「他を利する」ところがあり、同時に「他力を利用する」ところもある。
針葉樹の受粉や種子の拡散は、風などの限定的な力を利用するのみで、ほぼ「自力」で行われる。
それに対して、社交的な広葉樹は「他力」を存分に活用する。受粉にハチなどの昆虫を呼び込み、魅力的な「実」で小鳥や猿などの動物を誘い込み、彼らによって種子を遠くへと運んでもらうのだ。
氷河期の終わりとともに、広葉樹が爆発的に勢力図を広げた理由は、こうした広葉樹の社交性にもあるのだろう。
しかし、開放的すぎるブナには、いささか無防備なところすらある。
その種子が美味しすぎるために、そのほとんどが昆虫や小動物などに食べられてしまうのだ(ブナの種は脂肪分とタンパク質に富み、タンニンやサポニンなどの「アク(有害物質)」がほとんどない)。
ブナの種子の9割近くが昆虫によって食べられてしまう年もあるのだとか(ブナの種子を狙う昆虫の種類は、知られているだけでも27種と数多い)。

生き残ったブナの種の多くも、野ネズミなどにセッセと食べられる。
ところが、野ネズミには愛嬌のあるところがあり、貯め込んだブナの種を食べずに忘れてしまうこともシバシバだ。
野ネズミに埋め隠しておかれたブナの種は、翌年発芽することになる(ブナの種子は乾燥に弱いため、落ちたまま放って置かれると発芽しないことも多いのだが、野ネズミが地中に埋めてくれることにより、発芽率が高くなる)。
成熟したブナの木一本が生み出す種子の数は、数万〜数十万個。
昆虫や野ネズミのみならず、大型のクマまでを養うことができるほど、ブナ林は良質な食糧の宝庫となるのである。
その証拠に、ブナが凶作の年は、食に困ったクマが里まで降りてくることが知られている。
ブナのおこぼれに預かるのは、人間も然り。
ブナ林は「キノコの宝箱」とも呼ばれるほどに多種のキノコが生育する場でもある。とりわけ「舞茸」などは、「見つけた」ではなく、「当たった!」と表現されるほどに珍重されるキノコである。
北のブナは葉っぱが薄く大きい。それは、北国の弱い光を効率的に受け止めるためである。
薄く大きい葉っぱは、柔らかくて美味しい。それゆえ、やはりイモムシなどに盛んに食べられる。そして、そのイモムシを目当てに小鳥たちが集い、小鳥たちはのちのち、種の運び屋にもなる。

北のブナの葉は薄いために透明感があり、光を良く通す。そのため、葉っぱの繁茂する夏季も、森の足元には意外な明るさがあり、そこに小さな植物たちも葉っぱを広げることができるのだ。
また、ブナには「ギャップ」と呼ばれる樹冠の隙間が多く(20〜30%)、これまた地面に光が届きやすい理由でもある。
ブナの若木は、小さくとも巨木の隙間に暮らすことが可能となり、100〜200年で森のすべてのブナが世代交代することになる。

薄く大きいブナの葉は、散った後、意外にも分解しにくい。それゆえ、落ち葉は幾層にも積み重なり、昆虫たちの集合団地にもなる。
川に落ちた落ち葉は、巡り巡ってヤマメやアユ、サケなどを育むことになる。
海まで降るアユやサケなどは、森にはない栄養素を海から運んでくることが知られている。産卵を終えたサケは、山で力尽き、海から持ってきた貴重な栄養分を森に還元するのである。

水と言えば、ブナの幹は音をたてて水が上っていくというほどに、水を蓄える木でもある。
成木となったブナ一本は、田んぼ一枚の水を賄うことができるとも言われているほどだ。
ブナを巡る生態系は実に裾野が広い。「持ちつ持たれつ」、ブナは日本全土に広く種をまき、副次的な利益を他の生物たちにもたらしているのである。
そのブナの森に抱かれてきた民族が、その性質に習うことは自然なことであり、「和する」という資質もそんな性質の一つなのかもしれない。
日本民族の源流は、様々なところに求められるのかもしれないが、その源流の一つは明らかに「広葉樹の森」にも求められるだろう。
人間は時として「自らの源」に多大なる関心を掻き立てられることがある。
そんな時、ブナの森は何かを教えてくれるのかもしれない…。
出典:ワイルドライフ
「森の国 日本 緑の小宇宙に命響きあう」