2012年01月26日

奥能登に住まうという凄まじく強い神、そして弱くも有り難い神。


その神聖なる御神輿は、屈強な男たちの手によって「海中」へと放り投げられた!

さらには、焚き火の「火中」へも幾度となく投じられ、御神輿には炎が燃え移り黒コゲとなる。

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それでも、男たちは御神輿を痛めつける手を休めようとはしない。「ちょうさっ!」「ちょうさっ!」と叫び狂い、御神輿を川の中に打ち捨てるや、それを追って飛び込み、橋の硬い礎石に御神輿を「これでもかっ!」と叩きつける。

あらん限りの乱暴狼藉をはたらかれ続ける御神輿は、もはや原形すらも怪しくなってゆく…。

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これらの光景は、奥能登に古くから伝わる「あばれ祭り」の一コマである。

男たちに痛めつけられる御神輿に載っているとされるのは「スサノオノミコト」。スサノオノミコトは、荒ぶる(暴れん坊の)神様である。

荒ぶる神様なのだから、「手荒に扱えば扱うほど、喜んでもらえる」、それが御神輿を徹底して嬲(なぶ)り倒す理由である。



この「あばれ祭り」の起こりは、今から300年以上前の江戸時代にまで溯る。当時、奥能登では「疫病」が大流行していた。

困惑した人々は、わざわざ京都の祇園から「牛頭天王(ごずてんのう)」を勧請して来て、疫病の終息を願った。牛頭天王とは、身の丈2mを超え、頭だけでも1m、さらに1mの赤い角を持つとされる恐ろしい神様であり、朝鮮半島から来たとされる異国の神様である。

当時の考えでは、「疫病は異国から来るものである」と信じられていたため、疫病を収めるには、異国の神様の力が必要とされたのである。



ところが、牛頭天王に来てもらったはいいが、「大きな蜂」が大量に現れ、次々と人々を刺して回り、「痛い痛い」と大変なことになった。

すると…、あら不思議、蜂に刺された人々の病気はみるみる回復していくではないか。なるほど、あの蜂は「神様の化身」であったのかと、人々は大いに納得し、感謝しきりであった。



以来、この地域では牛頭天王が大変に有り難がられ、毎年夏にはお祭りが行われるようになった。その名残りが、冒頭の「あばれ祭り」である。

御神輿にスサノオノミコトが乗るのは、スサノオノミコトの「本地」とされるのが牛頭天王だからである(ちなみに、京都の祇園祭も牛頭天王を祀る祭りである)。



奥能登は冬期間、「シベリアおろし」と呼ばれる厳しい寒風に曝(さら)され続ける地域でもある。その半島が日本海に突き出ているだけに、よけいにその風当たりは強い。

そうした厳しい自然環境は独特の地域性を育み、「あばれ祭り」という過激な祭りが性に合ったのかもしれない。

御神輿を叩き壊す男たちの姿には、荒々しくも深い祈りが込められているのである。



一転、「これでもか」と大事にされる神様も奥能登にはいる。大切な大切な神様とされるのは、「田の神様」である。

奥能登の厳しい冬を田んぼで過ごすのは辛かろうと、冬が寒さを増す前に、農家の人々は「田の神様」を家の中へと招き入れる(旧暦11月5日、現在は12月5日)。



正装した家主は、田の神様を田んぼまで迎えに行き、「田の神様、お迎えに参りました」と丁重に神様をお呼びする。

田んぼから家までの道のりも、家主は始終腰をかがめて、神様に気を遣い続ける。「ここは、道がぬかるんでおり、危のうございます」。じつは田の神様は「目が不自由」なのである。長い間、暗い土(田んぼ)の中で苦労して働かれたがゆえである。



ようやく家に着くと、「田の神様、お風呂になさいますか?それともお食事を召し上がりますか?」とお伺いをたてる。田の神様は必ずお風呂を先にすることとなっているのだが、こう聞くのが礼儀なのである。

もちろん、家主といえど田の神様の姿形が見えているわけではない。あたかも、見えているかのように振る舞っているのである(一人芝居)。これもまた、田の神様に対する礼儀なのである(お風呂には実際にお湯をはる)。

一年間の土と汗を落とされた田の神様は、座敷に招かれ、お食事をされる。そして、そのまま、田の神様は2月9日(旧暦正月5日)まで、暖かい家の中でユックリされることになる。

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この行事は、「アエノコト」と呼ばれる神事であり、お米の収穫に感謝し、来年の豊作を願う古くからの年中行事である。

奥能登という地域は、田作りではことさらに苦労してきた歴史を持つ。ほとんど平地がないために、山の斜面に田んぼを作らざるを得なかったのだ。苦労して拓いた棚田も、土砂により埋まってしまうことも少なくなかったという。

江戸時代に開墾された棚田は8,000枚以上とされるが、現在にまで残るのは1,000枚程度。残された貴重な棚田は「白米(しろよね)の千枚田」と呼ばれ、観光地としても広く知られている。

奥能登の人々は苦労して苦労して米を作ってきた。それゆえに、田の神様は一際大切にされることともなったのである。

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神様と一口に言えど、日本には様々な神様が存在する。強い神様もいれば、弱い神様もいる。

御神輿をこれでもかと叩き壊されて喜ぶ神様もいれば、視力を失って人の手を借りなければならない神様もいる。



自然環境の厳しい地域ほど、いろいろな神様を持つのかもしれない。

奥能登はその好例でもあろう。強い神様には徹底して強く当たり、弱い神様にはさらに腰を低くする。

奥能登の人々には、厳しい日本海の寒さに耐えながら、逞(たくま)しくも果てしない優しさを神様たちに示してきた歴史があるのである。



その冬の朝、能登の海には「けあらし」が出現した。

「けあらし」とは、北海道のような厳寒の海に見れれる特異な自然現象で、氷点下20℃以下の大気が海や湖に触れたときに「霧」となって立ち昇る現象である。神々しくも厳冬の厳しさを示すのが「けあらし」である。

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「けあらし」が現れるとき、人々はそこに神様を見るのかもしれない。そして、その厳しさを乗り越えたときに、ふたたび神様を見ることになるのかもしれない。

畏怖、苦悩、感謝…、人々の想いの数だけ、神様は現れる。

前を向いた先にも神様はいるであろうし、苦難に耐え切れずに打ちひしがれ、下を向いた先にも神様はいるのであろう…。



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出典:新日本風土記 「奥能登」
posted by 四代目 at 06:21| Comment(1) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
八百萬の神とは…
自然信仰でもあり、
『何だか分からないけど畏れ多いもの』『お蔭様』に感謝する心でもあり。

今でも『お蔭様』という言葉は使うけど、昔の人が使っていた重さ・有り難さ・親密さからは掛け離れてしまってる。

伝統のあるお祭りは、その風化してしまった本来の意味を、考え直させてくれる最後の砦…そんなカンジがします。
Posted by hanna at 2012年01月27日 00:44
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