「トラウトサーモン」という魚がスーパーにいる。
トラウトが「マス(鱒)」を意味し、サーモンは「サケ(鮭)」を意味することを考えれば、トラウトサーモンという呼称は「矛盾」しているようにも聞こえる。
「マスなのか? それともサケなのか?」
その答えは、「マス」である。正確にはニジマスである。
じつはマスとサケに厳密な区別はない。何となく、「川(淡水)」にずっと住むのがマスで、「海(海水)」に降りていくのがサケということになっている。しかし、マスの仲間でも海に降るものもいれば、サケの仲間でも一生を川で過ごすものもいるのが実際のところである。
養殖魚であるトラウトサーモンは「川」で生まれるが、生後2年したら「海」に移される。この点、マスでありながらも、サケ的なのである。それゆえに、マスサケ(トラウトサーモン)なのである。
そもそも、サケとマスとは「同根」である。
時代を5000万年遡れば、サケ・マス共通の祖先である「エオサルモ」という種に行き着く。そして、エオサルモは「川」に住んでいたと考えられている。
長い長い歴史の中では、地殻変動により海が隆起して湖や川になったり、逆に地盤が沈下して湖沼が海になったりもしたのかもしれない。
そうした激動の歴史が、サケやマスを分化させ、柔軟にさせたのだろう。彼らは淡水でも海水でも生きていける身体を与えられることになったのだから。

普通、淡水に暮らす生物は、海水に入れると死んでしまう。
それはナメクジに「塩」をかけると縮んでしまうようなものだ。「塩」が体内の水分を吸い取ってしまうのである。
それなら、なぜサケやマスは淡水(川)でも海水でも平気の平左なのか?
それは、彼らが体内に入った余分な塩分を強力に排出することができるからだ。その器官はエラであり、腎臓である。
それゆえ、養殖されるトラウトサーモンは川で育つニジマスでありながらも、海で育てることも可能になるのである。
ところで、なぜトラウトサーモンをわざわざ海へと移すのか?
じつは、ここにトラウトサーモンの「秘密」がある。海へ移すことで、トラウトサーモンはいきなり「巨大化」するのである!
通常、日本のニジマスは体長30cm程度であるが、海へ移したトラウトサーモンは、通常の2倍を超える体長60cm以上にまで巨大化する。体重はおよそ8倍の4kgとなる。

なぜ、海に入れると巨大化するのだろう?
それは余分な塩分を必死で排出するために、「成長ホルモン」が盛んに分泌されるからだと考えられている。つまり、身体が巨大化するのは、いわば塩分排出の副作用のようなものである。
この巨大化する原理を見出した人間たちは、トラウトサーモンを盛んに生み出し、大きな商業的成功を成し遂げた。量り売りされる市場にあって、身体が大きいことは直接の利益に結びつく。
現在、チリやノルウェー、タスマニアなどでの養殖が活発であり、日本への輸出量も年々増加傾向にある。
日本では「海峡サーモン」という商品名のトラウトサーモンが、青森県むつ市で生産されている。しかし、国産モノとなると値段は輸入モノの2〜3倍になるのだという。

長野県の「信州サーモン」も、近年注目を集めている。
信州サーモンの場合は、海に移さずに「淡水で巨大化させる」技法が用いられている。
どのようにするかと言えば、「卵を産ませないようにする(不妊化)」のである。卵を産むエネルギーというのは膨大であり、卵を作り産むことでニジマスは一気に衰弱してしまう。
「イクラ」を見れば判るように、サケやマスの卵は他の魚類たちよりも一際大きい。マグロの卵が体重の0.2%程度であるのに対して、サケやマスの卵は体重の15%を占めるほどになる(マグロの30倍の比率)。
このように、サケやマスは普通の魚たちよりも卵に割いているエネルギーが尋常でなく大きい。
不妊化された信州サーモンは、この卵を作る莫大なエネルギーが、自身の身体を巨大化させるエネルギーへと転換されることになる。
この「不妊化」というのが、信州サーモン最大の特徴であり、巨大化のカギとなった。

どのように不妊化したのかと言えば、この辺の工程は少々複雑である。
結果から言えば、染色体の数が「奇数(3本)」になるように操作したのである。
染色体というのは、通常は「偶数(2本)」である。偶数であるのは、オスとメスから1本づつ(半分づつ)子供に与えるためである。ところが、染色体が奇数(3本)の場合には、うまく半分に分けられないので、子供ができないことになる。
染色体が奇数(3本)の個体を生み出すには、事前にその両親の染色体数も操作しなければならない。
具体的には、メスの染色体数を通常の倍の「4本」にした。すると、メスから子供に行く染色体が4本の半分の「2本」になり、オスからもらう「1本」と合わせて「3本(奇数)」にすることができる。
信州サーモンづくりに最も苦労したのは、染色体数が4本(通常の倍)のメスを作り出すことだったという。
薬剤を用いる方法もあるというが、信州サーモンの場合は、受精卵に「圧力」をかける方法が用いられた。
卵は分裂しながら育っていくが、分裂の直前に染色体数は倍の4本になる。その4本の染色体が半分半分になって2つの細胞となり、分裂した染色体は通常の2本に戻る。
「圧力」をかけるタイミングは、染色体数が4本になった瞬間であり、細胞が2つに分裂する直前である。すると、染色体数が4本のまま、細胞は2つに分裂できずに、一つの細胞の中に4本の染色体が存在することになる。
このタイミングこそが絶妙で、受精後6時間、650気圧を6分間かけることにより、染色体数が倍(4本)の信州サーモンの親が誕生することになる。
この技法は1,000個の卵に一個もできないほどに、難しい技術であるという。
さらに美味しさを増すために、信州サーモンは「メスのみ」が生まれるようにも操作されている。オスよりもメスのほうが、ずっと美味しいからだ。
具体的には、両親をメスとメスにすることで、メスのみを生み出すのである。
「?」。メスとメスからメスを産む?
信州サーモンの父親となるのは、「ブラウン・トラウト」というヨーロッパから来た強い個体である。
「メス」のブラウン・トラウトの稚魚を、「雄性ホルモン剤」に浸し、エサにも雄性ホルモン剤を混入することにより、なんと「オスになってしまう」のだという。
つまり、信州サーモンの父親は「オス化したメス(オッサンのようなオバサン?)」なのである。その遺伝子はメス型(XX)であるため、生まれる子供たち(信州サーモン)は必ずメスになるという仕掛けだ。

科学的に見ていくと、信州サーモンはじつに奇異な生物のように思える。染色体数と性別を操作された「子供を産めないメス」なのだから。
それでも、味の評価は上々である。食する際には、科学的な話を知らぬ方が良いのかもしれない…。

トラウト・サーモンという矛盾したような名をもつ魚は、名前のみならず、その生育過程も示唆的であった。
彼らは淡水と海水を行き来できるのみならず、オスとメスの垣根をも越えることができるのだ。なんと柔軟性のある生物であることか!
しかし、人間が生物を操作することに不気味さを覚える人々も少なくない。実際、こうした魚に対する評価は賛否両論である。
倫理的な話を抜きにすれば、トラウト・サーモンは生命の大いなる可能性を示しているとも言える。
というのは、生命というのは人間が考える以上に柔軟性に富んでいるのである。
自然界において、オスとメスが入れ替わるというのは、何も珍しいことではない。
カクレクマノミという魚は一番大きな個体がメスとなり、次に大きな個体がオスとなる。もし、メスが死んだら、オスだった個体がメスとなる。
オスとメスに分化したのは、より多様な種を育んで、いかなる環境変化にも対応していこうという姿勢の現れである。
その証拠に、地球上に発生した生物たちは、長らくオスを必要としなかった。最初の10億年間は、オスが存在しなかったのだ。
オスが必要とされるようになったのは、環境が変化してきて、それに対応する必要が生じてからの話である。そして、環境が安定すれば、再びオスは不要とされ消えていったのだ。
安定を司るメス、変化に対応するためにオス。
こんな構図が自然界にはあるのであり、それは人間の性別による特性にも通じているのである。
社会的に生きるには倫理感も大切であるが、本当の生死がかかった世界では、オスだのメスだのは言っていられないのだろう。そして、海水だの淡水だのも選り好みできないのであろう。
ただ、トラウトサーモンが誕生したのは、単なる美食のためであり、商業的成功のためではあるのだが…。
しかしそれでも、そうした技術が何からの形で人類を救うことにもなるかもしれない。肯定的に考えれば、そういう見方もできるだろう。
試行錯誤というのは、環境に適応していくためには避けては通れない道なのである。
問題は人間が環境適応できるかどうかであろう。
トラウトサーモンは海水でも淡水でも、オスになってもメスになっても、染色体数が変化しても平気かもしれない。
しかし、それを食する人間にどんな影響が出るのかは、まだまだ私たちの知らない世界なのである。
出典:いのちドラマチック
「ニジマス もっと大きくもっとおいしく」
でしょ
もぎっちも
きもかわいいもんね
でも
もぎっちのあたまがしんぱいだって
高名な精神科医がかいてたよね
面白いし知識が広がります!
また遊びに来ます!!