2012年01月23日

医師でもあった革命家チェ・ゲバラ。キューバに今も受け継がれるその想いとは?


今からおよそ50年前、カリブ海に浮かぶ「キューバ」という国で、奇跡的な「革命」が成就した(1959)。

革命以前のキューバは、アメリカの傀儡である独裁者「バチスタ」が絶大な権力を握っており、バチスタはアメリカ政府・企業・マフィアとともにキューバの富を独占していたのだという。

ここに立ち上がった男たちの一人が、後に革命家の象徴ともされる「チェ・ゲバラ」である。

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チェ・ゲバラたちの挙兵は、じつに「無謀」であった。

たった80数名の仲間たちとともに、キューバへと漕ぎ出していったのだ。そして、キューバに上陸した途端に、バチスタ軍の集中砲火を食らい「壊滅」。その惨劇の中で生き残れたのは、わずか10数名に過ぎなかった…。



ところが、その2年後、なんとチェ・ゲバラたちの革命軍は、強力なバチスタ政権を打ち倒してしまう(1959)!

圧倒的に劣勢だった織田信長が、桶狭間の戦いで日本の歴史をひっくり返したように、チェ・ゲバラたちも、たった10数名でキューバの歴史を大きく変えたのだ。

この痛快な快挙は、否が応にもチェ・ゲバラを伝説の人物へと一気に押し上げることとなった。



チェ・ゲバラは革命家としての印象が極めて強烈なのだが、元はといえば「医者」だったのだという。

アルゼンチンの裕福な家庭に育った彼は、ブエノスアイレス大学の医学部を卒業し(25歳)、革命軍には当初「軍医」として参加していたのである(28歳)。



若き日のチェ・ゲバラは、南アメリカ大陸をフラフラと旅して回っていた。ボリビア、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラ…。




放浪の果て、グアテマラの地で、チェ・ゲバラは医師としてひとまず落ち着くこととなる。彼はグアテマラの政府(アルベンス政権)を高く評価していたというのが、その理由であった。

折しも、グアテマラでは数年前に革命が起こり、長年独裁によって虐げられていた国民たちが、理想の社会づくりに向けて、前向きな一歩を踏み出していたところであった。



ところが、革命的だったグアテマラのアルベンス政権は、アメリカに武力援助を受けたアルマスによって、崩壊へと追い込まれてしまう(1954)。

アルマスは、チェ・ゲバラに対しても暗殺命令を出したため、チェ・ゲバラは「失意と怒り」とともにグアテマラの地を去ることになる。



チェ・ゲバラは「理想」に生きた人間だったという。

南米各地で貧困や飢餓、病気を目の当たりにしてきた彼は、医師として「こうした人々を助けたかった」と自身の手記に記している。

しかし、グアテマラにおいて、理想的だった政権がアメリカの武力により敗れる様をも目の当たりにした彼は、「武力による革命」の必要性をも痛感することとなる。



人命を救うことと、武力により革命を成すこととの間には、大きな「矛盾」が存在する。

武力革命という行為を前向きに捉えれば、「より大きな生命」を救うことにつながることになるのかもしれない。しかしそれでも、その過程においては、多くの人命を殺していかなければならないのだ。



チェ・ゲバラは、キューバへ向かう小舟の中で大いに「葛藤」したのであろう。

彼が明らかに「革命への道」を選択するのは、キューバ上陸後の集中砲火の中である。



彼の手記には、こうある。

「まさにその時、私の足元には、『医薬品のギッシリ詰まったカバン』と『一箱の弾薬』が転がっていた」

銃弾が飛び交う状況で、彼一人が持てるのは「どちらか一つ」だ。彼は大いなる選択を迫られていた。「医師(医薬品の詰まったカバン)か? 革命戦士(一箱の弾薬)か?」

「どちらを選ぶかのジレンマに直面させられた一瞬であった」と、手記にはある。



結局彼が手にしたのは、「一箱の弾薬」である。

この瞬間から、彼は革命家への一本道を死ぬまで駆け続けることとなった。



弾薬を選んだチェ・ゲバラであったが、深い山奥で2年以上も展開したゲリラ戦において、彼の医学の知識・技術は大いに役立った。

山奥に設けられた野戦病院は、負傷兵の治療のためであったのだが、医者がいるということをどこからか聞きつけた近隣住民までが、その野戦病院を頼りにするようになったのである。

革命軍が陣取った山(シエラ・マエストラ山脈)は、キューバの中でも極貧の地域であり、見捨てられた土地でもあった。圧政下のキューバにおいて、当然そこには医療の暖かい手などは皆無だったのだ。

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当時のチェ・ゲバラに治療されたという村民たちは、今もこの土地に生きている。

当時1歳だったある男性は、高熱を発し、身体がただれ、瀕死の状態だったという。

「あの頃の村には病院がなく、来てくれる医者もいませんでした。頼れるのは唯一、革命軍の野戦病院だけだったのです。」



野戦病院は混み合っていた。それでも、チェ・ゲバラは他の患者を差し置いて、一歳の幼児の治療を真っ先に行なってくれたのだという。

「子供を詳しく診察したチェは、発熱の原因を突き止め、一本の注射を打ってくれました。その注射はたいへんよく効いて、2日後には歩き回り、遊べるようにまでなりました。ついでにチェは、貧血の母のためにシロップまでくれました。」



山に篭(こも)っていた2年間、チェ・ゲバラの医療活動は続いた。

そして、多くの村民たちが、「痛みを取り除いてもらった」と感謝の思いを彼に抱くようになる。「歯の痛みでも、どんな痛みでも、チェを頼りました」と老婆は語る。

革命以前のキューバでは、「お金のない者」は治療を受けられなかったのである(現在は無料)。そんな中、チェ・ゲバラは山奥で無償の医療行為を続けていたのである。



この2年間は、チェ・ゲバラの心をも変えた。

「農民に診療を重ねるごとに、当初は感情的であった決意が、より平静沈着な、これまでとは異なる力に変わっていった。

住民との融合は、もはや理屈ではなくなった。(チェ・ゲバラの手記)」




こうした活動を続けるうちに、革命軍は農村からの支持を拡大してゆく。

上陸直後に10数名に激減していた革命軍は、この2年間で300名を超えていた。もともとは軍医だったチェ・ゲバラも、軍司令官としての能力が高く評価され、革命軍のナンバー2にまでなっていた。

「祖国か? 死か?」。決戦の時は目前である。



1958年12月、キューバ第2の都市「サンタ・クララ」を革命軍300名は襲撃。対するバチスタ軍は6,000名以上(20倍!)。

革命軍に奇跡的な勝利を呼び込んだのは、敵の支援物資を積んだ貨物列車を脱線させてからだった。また、革命軍を支援する多数の市民の加勢も、力強い後押しとなっていた。

以後、バチスタ政権はなし崩しとなり、独裁者バチスタはドミニカ共和国へ亡命することとなる。革命軍は主を失った首都・ハバナに入城。ここに名実とも、革命は果たされたのである。



革命軍が道を敷いたキューバでは、現在も医療費が「無料」である(医学部も無料)。

医療水準は日本のほうが高いのかもしれない。しかし、キューバでは「ファミリー・ドクター」と呼ばれる医師が3万人以上おり、一人あたりの医師の数は世界一多い。




ファミリー・ドクターとは、全国各地に配置された医師のことで、地域住民の健康状況を把握することがその役割である。

ファミリー・ドクターの持つファイルには、地域住民すべての家族のデータが記載されており、病気のケアのみならず、日々の健康状態をも定期的に管理しているのだという。

「カルロス(ファミリー・ドクター)は、私たち家族の一員なのです。私にとっては息子も同然です」と、ある老婆は語る。

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ファミリー・ドクターは高度な医療機器を持たない。そのため、聴診器を当てたり、血圧を測ったり、触診したりと、医療行為は限られる。

「それで充分です」とファミリー・ドクターのカルロスは語る。高度な医療が必要な場合は、専門の病院に任せればよいのである。より大切なのは、地域の住民に「医師が寄り添っているという安心感」を与えることである。

「カルロスは、何も言わなくても分かってくれるんです。私たちは彼がいてくれることに、とてもとても満足しているのです」と、先の老婆は続ける。



チェ・ゲバラの手記にも、こうある。

「医師はいつも患者の近くにいて、心の奥底を察知し、その痛みを誰よりも感じ取って、それを鎮めようとするのだ」

未熟児として生まれた彼自身、2歳で重度の喘息(ぜんそく)と診断され、死ぬまで喘息には苦しめられ続けたのである。

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革命が成った後も、チェ・ゲバラは「理想」への道を歩き続けた。

ところが、彼の思想は「理想的すぎる」として遠ざけられることも少なくなく、革命キューバの首脳陣たちから次第に孤立していくこととなる。ただ、革命キューバを率いていたカストロは、チェ・ゲバラを「道徳の巨人」として好意的に扱っていたという。

「バカらしいと思うかもしれないが、真の偉大なる革命家は、偉大なる愛によって導かれる」とは、チェ・ゲバラの言葉である。



彼の理想はキューバで止まらなかった。

遠くボリビアの地を新たな革命の地として選び、その身を再び山中に投じた。

しかし、チェ・ゲバラは不幸にもボリビア政府軍に捕らえられてしまう。そして、その収容先には暗号「パピ600」が届く。この暗号の意味するところは…、「ゲバラを殺せ」であった。



「落ち着け、よく狙え、お前はこれから一人の人間を殺すのだ」

この言葉は、チェ・ゲバラへの銃撃を躊躇していた兵士に対して、彼が最期に放った言葉だと伝わる。



チェ・ゲバラは、理想の方向を向いたまま倒れた(39歳)。

そして、彼の倒れた方角は、革命への羅針盤ともなった。その示す方角は、微塵もブレることがなく、今なお正確に人々の心を理想へと向かわせている。

チェ・ゲバラは絶大な人気を誇るカリスマであり、終焉の地となったボリビアの人々の中には、チェ・ゲバラを「聖人」として称える人々もいるほどである。




自身の死を予感していたチェ・ゲバラは、事前に家族の子供たちへ手紙を送っていた。その一部には、こうある。

「世界のどこかで誰かが被っている不正を、心の底から悲しむことのできる人間になりなさい」



革命家、そして医師。

両極のような2つの顔を持っていたチェ・ゲバラ。



「彼は死んでいない。今も生き続けているんだ♪」と、キューバの弾き語りは歌う。「彼は公正な社会をつくるために闘ったんだ♫」

「明瞭に残されたもの、それは一点の曇もない愛に包まれた君の姿 戦士チェ・ゲバラの姿♪」

キューバの人々は、チェ・ゲバラが大好きだ。

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出典:旅のチカラ
「医師ゲバラの夢を追う キューバ 作家 海堂尊」


posted by 四代目 at 08:14| Comment(1) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんわ

このBSの番組でキューバの人が今でもゲバラを愛していることが伝わってきますね。
イデオロギーは我々と違いますが、彼のような理想を抱いた医師が日本にもいたらなぁって感じさせられます
Posted by venceremos at 2012年01月25日 22:47
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