「石油」になりきれなかった落ちこぼれが「天然ガス」で、そのまた落ちこぼれが「オイルサンド」や「シェールガス」だと言うが…。
そもそも、石油や天然ガスなどの燃料は「化石燃料」というだけあって、死んだ動植物が海底などに蓄積してできたものである。
なぜ、死滅した動植物が海底に大量蓄積したのかと言えば、昔々の海底には「酸素」が十分になかったために、動植物の死骸を分解する生物が住んでいなかったからである。
そのため、分解されない動植物たちの屍(しかばね)は延々と積み重なり、分厚い堆積物が海底を覆うことになったという。
それらの大量の堆積物は、ゆっくりと熟成されて「石油」となった。
石油となるための条件は意外と厳しく、適正な温度や圧力、貯留場所などの幾多の条件がそろった堆積物だけが、晴れて「石油」となれたのである。
当時、「テチス海」という大海が存在していたのだが、その大海は偶然にも石油が熟成される好条件を全て備えていた。
そのテチス海こそが、現在の中東地域である。カスピ海や黒海はテチス海の名残りであり、アラブ地域一帯は、干上がったテチス海なのである。
さて、惜しくも条件がそろわずに「石油」になりそこねたモノたちはどうなったのか?
一部は深く海底に潜り込み、高温にさらされた結果、「天然ガス」となった。
石油にも天然ガスにもなりそこねたモノたちは、「岩や砂」などに紛れ込んだまま、長い間放置されていた。
最近騒がれている「シェールガス」は、岩(頁岩・シェール)に紛れ込んだ天然ガス成分であり、「オイルサンド」は、砂(砂岩・サンド)に潜り込んだ石油成分である。
つまり、石油というのは最高に良い条件かで生成されたものであり、天然ガスはそれに準ずるものである。
そして、シェールガスやオイルサンドは、まとまった形では生成されなかったが、それなりの範囲に散らばって存在することとなったわけだ。
当然、まとまりのある石油や天然ガスを採掘する方が、容易であり効率的である。
一方、散らばって存在するシェールガスやオイルサンドは、採掘が非効率・困難であるため、採掘過程で排出される二酸化炭素の量は、原油の3倍近くにも上り、環境への負荷も大きなものとなる。
しかし、非効率だからといってシェールガスやオイルサンドの採掘に二の足を踏んでいる暇はない。なにせ、従来型の石油や天然ガスには限界が見え始めているのだから…。
地球の歴史を遡れば、石油や天然ガスは大気中の炭素が固定化されてできたものであることが判る。
その時代の二酸化炭素は、現在の4倍も5倍も高濃度で存在しており、そのために地球が大いに温暖化し、多くの生物たちを死滅にも追いやった。
その大量の亡骸(なきがら)こそが、石油や天然ガスとなったわけだ。大量の二酸化炭素が大量の生物を殺し、その大量の死骸が石油・天然ガスなのである。
大量の犠牲の末、多すぎた二酸化炭素は石油や天然ガスとして固定化され、大気中の二酸化炭素は減少し、生物たちの生存に適した地球環境が出来上がる。
生物たちを死に至らしめた多すぎる二酸化炭素は、ある意味、生命にとっての悪役でもあったわけだが、その悪役は石油や天然ガスという形で、地中深くに封じ込められたことにもなる。
そして現在、我々はその封じ込められた悪役の封印を解き、再び地球上にまき散らすことに忙しい。
その結果…、温暖化は再び加速を始めているのかもしれない。
今や、悪の親玉的存在の石油・天然ガスのみならず、子分的存在のオイルサンドやシェールガスまでが、その封印を解かれ始めている。
かつて、生物たちを死滅させたという二酸化炭素。
石油・天然ガスとして封印されたと思っていたら、人類はセッセと掘り返し始め、見事に掘り尽くそうとしている。
はたして、今後の地球環境はいかに変容するのであろうか?
我々の知恵は、化石燃料に頼る程度にしか発達していないのであろうか?
過去に依存する限りにおいては、地球規模の大々的な堂々巡りが再び繰り返されることになるのかもしれない…。
関連記事:
「火のつく水」は、シェールガス汚染の象徴。アメリカの飲料水を汚染する資源開発。
不遇なカナダ原住民。タールサンド採掘の静かな悲劇。