中国にはトンでもない「棚田」がある。
世界の棚田をつぶさに見聞したフランス人学者・オーイェナー氏は、その壮大な棚田を目にして絶句してしまったという。
「ここの棚田に比べれば、他の棚田などは『小さな田んぼ』に過ぎない…。」
その群を抜くほど広大な棚田は…、中国雲南省(元陽県)にある「紅河ハニ棚田」と呼ばれる棚田である。

現在、棚田として「世界遺産」に登録されているのは、フィリピン(コルディリェーラ山脈)の棚田(1995)がある。
しかし、ここ中国雲南省(元陽県)の「紅河ハニ棚田」は、そのフィリピンの棚田を面積・段数・斜度などのあらゆる面で凌駕している。
コルディリェーラ(フィリピン)の棚田の面積は2万ヘクタール。対する紅河ハニ棚田(中国)の面積は5.4万ヘクタール(2.7倍)。この広さは日本の大きめの県庁所在地ほどの規模である(神戸市・鹿児島市など)。
段数にいたっては、コルディリェーラが800段に対して、紅河ハニ棚田は何と3,000段以上(3.7倍)である。そのケタ違いの段数は、山の険しさをも物語っている(15〜75°)。
そして、両者の決定的な違いは「生きているかどうか」にある。
フィリピンの棚田は若者たち(イフガオ族)の耕作放棄の末に「崩壊寸前」であり、世界遺産であると同時に「危機遺産」にも登録されている。
ところが、紅河ハニ棚田は元気に「生きている」。「ハニ族」と呼ばれる民族が1,300年間にも渡って、栽培技術と棚田を保持・管理し続けているのだ。
「ハニ族」というのは、55ある中国の少数民族の一つであるが、「棚田づくり」と言えば「ハニ族」と即答されるほどに棚田に精通した民族である(約150万人)。
1950年代に行われた中国の「民族識別工作」は、この棚田の民をもってして「ハニ族」と識別したほどである。
元々は「四川省」の急峻な山岳地帯に暮らしていたという「ハニ族」であるが、追われ追われて、6世紀ごろに現在の雲南省元陽県に棚田をつくり、定住したようである。
ここ元陽県は、もはや「ベトナム」と言ったほうがしっくりくるほどに中国の南端の南端である。住む地をここまで移してきたというのは、そこにハニ族の苦難の歴史が隠されているからでもあろう。
ハニ族は中国国境をも越え、ベトナム、タイ、ラオス、ミャンマー(ビルマ)にまで拡散している。
現在の元陽県には7つの少数民族が暮らし、その半数以上(53%)が「ハニ族」である。そして彼らの9割以上(95%)が棚田の耕作に携わっている。
広大な棚田の9割近く(88%)は標高800m以上に位置し、高い所となると標高1800mを超える。
各所に点在する小さな村々が周辺の棚田を所有しており、たいていの村は棚田の最も高い場所に位置している。
村人たちはたいてい高い所と低い所の両方に農地を持ち、田んぼの遠近による不公平が出ないような仕組みになっている。
なんせ、一番下の田んぼから一番上の村まで、歩いて3時間以上もかかってしまうのである。元々が険しい山岳地帯であるため、車両や機械の入れる田んぼなどはほとんどないのである。
さて、それらの村の一つ、「大魚塘村」を見てみよう。
先祖代々この村に暮らす「盧(ろ)さん」は、全部で20アール(100m × 20m)ほどの棚田を耕作している。
稲穂が黄金色に実り、そろそろ収穫が待ち遠しくなる季節である。
さあ、「稲刈り」だとなると、親戚縁者、手伝いの村人たちが盧さんの家に集う。
集まった人々に「白酒(焼酎の一種)」が振舞われ、晴れの日の景気づけが行われる。
「稲刈りは重労働だから、酒で『力』をつけるんだ」と上機嫌の盧さん。
田んぼまでの道のりは延々一時間。
ようやく着いた田んぼには、意外にも「水」が張ったままだ(日本では稲刈りのだいぶ前に水を抜いてカラカラにしておく)。
紅河ハニ棚田では、稲刈りの当日以外、田んぼの水を抜くことがない。なぜなら、田んぼに「鯉」を飼っているためである。その鯉はコメの収穫とともに、食糧として捕獲されるのだ。

稲を刈るのは「女性」の役目。そして、刈られた稲を脱穀する(稲から米粒を落とす)のが「男性」の役目。
ここのコメは板に叩きつけるだけで、米粒がポロポロと落ちる(日本のコメは櫛状のもので”すかなければ”、米粒は落ちない)。
脱穀されたおコメは、その場で袋に詰められる。さあ、これからが「白酒」でつけた力の見せ所。
一袋40kgを超える米袋は双肩にズシリと重い。キツイキツイ上り坂の始まりだ。頼れるのは当然自分の力のみ。機械などの入る余地は一切ない。一時間で下ってきたとはいえ、重い荷を背負った登りは、どれほど時間がかかるのか…。

ハニ族の男たちのなんと壮健なことか。
稲刈りの期間中、毎日のようにこの米俵の運び上げがどこかしこで行われることになる。あっちを手伝い、こっちを手伝い…。
かつて、日本の米俵は60kgあった(今は半分の30kg)。
そして、それをヒョイヒョイと担ぎ上げていた日本人たちがいたのである。今の日本人では、60kgもの米俵を持てるのかどうかすら危うい。
ここに想うのは、稲作がどれほど人間の心身を鍛えてきたかということである。そして、効率化の名のもとに、確実に失われてしまったものがあるということである。
中国の故事に出てくるある老人は、井戸の底に降りて、甕(かめ)に水を汲んで畑に水をやっていた。それを見た子貢(孔子の弟子)は、「今は釣瓶(つるべ)という便利な機械がありますよ」と教えてあげた。
すると、老人はこう答える。「ワシもそれを知っている。ただ、恥じて使わぬだけじゃ。」
「機械ある者は、必ず機事あり。機事ある者は、必ず機心あり(荘子)」
この老人が機械を拒絶したのは、機械に囚われる心(機心)に頼ってしまうと、人の心は不安定になり、「道」が宿らなくなると考えていたからである。
機械が使いたくとも使えない紅河ハニ棚田は、ある意味「幸福」でもあったのか。機心が起こらないハニ族の人々は、重労働の果報を存分に享受しているようにも思える。
鍛え抜かれた心身は健全であり、親たちの重労働を知る子供たちは、コメ一粒に至るまで決して粗末にしようとはしない。

我々日本人にも、そうした心は少なからず残っている。食物を前にすれば、自ずと「いただきます」と手を合わせ、コメ一粒も残さずに「ごちそうさま」と感謝する。
ハニ族は、かつて「和夷・和蛮」と呼ばれていたというが、ここにも奇妙な偶然が感じられる。彼らが食べるおコメも、珍しく日本と同じ「短粒種」でもある。
ただ、今の日本民族は精神的なコメ作りをすっかり忘却してしまっている。国民性に変化が現れることは必然である。それに対して、ハニ族のコメ作りは現在進行形であり、その精神は確実に世代を超えて継承され続けている。
それを想えば、機心に囚われ切った先進国の民族が弱体化することも、また必然なのであろう。「道」は宿る場所を選ぶのであろうから…。
「道」を行くハニ族は棚田を頑なに守りながら、民族としての「強さ」をも同時に育んでいるとも言える。棚田を作る彼らは、棚田によって「作られてもいた」のである。
効率化したと思っていた機械化稲作は、じつは非効率でもあった。「人間を作る」という意味では実に非効率だったのである。
さて、収穫したての新米は天日に干さなければならないが、収穫の祝いに少量の新米が混ぜて炊かれる。
そして、お祝いの炊きたてのおコメを真っ先に持っていく先は…、なんと「犬小屋」である。神聖なる新米を最初に口にするのは、他ならぬ御犬様なのだ。
ハニ族の伝承によれば、彼らに棚田の技術を伝えたのは「天女」であったという。しかし、その天女は天界の掟を破ってハニ族に米作りを伝えたために、「犬」に姿を変えられてしまったのだという。
それゆえに、ハニ族の人々は「犬」に感謝し、最初の新米を捧げるのである。
ハニ族の稲作は、収穫が終わって終わりではない。今度は棚田の補修が待っている。畦(あぜ)の草を全て削り取り、その上に新たな泥を塗り重ね、来年の畦(あぜ)を作るのだ。
この作業を手抜きすれば、棚田の崩壊はあっという間だ。崩壊寸前のフィリピンの棚田(コルディリェーラ)では、ミミズが繁殖しすぎて土手が流出してしまっているのだ。
ハニ族の規則正しい棚田を目にした人は、その美しさに声を失うことだろう。
そして、その一つ一つの小さな棚田すべてが、丁寧に丁寧に時間をかけて形作られていることを知れば、その美しさの秘密に再び声を失うはずである。
卓越した技術で補修された土手は、職人の左官が仕上げたかのように整然とした美に輝いている。

ハニ族の棚田に本当に驚くのは、こうした美しさが地域全体を循環する生態系に基づいているということである。
村々が棚田の上に位置するのは、人々の生活ゴミや家畜の糞尿を下に流して、下の棚田に還元させるためである。そして、村の上には大木の茂る森が大切に保全されている。
「山が高けりゃ、水も高い」という言葉が伝わるが、この言葉は棚田に欠かせない水を山の上の森に蓄えておくべきことを諭している。
標高が高いこともあり、この地には霧が立ち込めやすい。そして、大きく両手を広げた森の木々は、その霧を再び山へと戻す役割をも果たす。

下に流れた廃棄物は稲の栄養となり、再びコメとなって人の口に戻される。棚田が吐いた霧は森に受け止められて、再び清水となって棚田を潤す。
このように、ハニ族の棚田は持続可能性に満ちている。
そして、実際に1,300年もの長期間にわたり存続している。
「毎年毎年、重労働を繰り返すことに嫌にならないのか?」
この問いに、盧さんはこう答えていた。
「毎年毎年、同じことを繰り返すことにこそ『意味』があるんだよ。それこそが『歴史』じゃないか。」
ハニ族は文字を持たなかったものの、独自の言葉を持っていた。
現在では語られなくなったその言葉も、田植歌などの「歌」の中に残されている。
そうした歌に宿された「土地の響き」を耳にすると、中国という大国がいかに多様な人々によって成り立っているのかが窺い知れる。これは、ほぼ単一民族である日本とは決定的に異なるところでもある。
収穫されたおコメは「黄金」のように眩しい。
本当の金(Gold)は口にすることはできないが、おコメの黄金は民族の生命を直接育むことができる。
実際、アジア民族の多くは「稲作」を生命の拠り所としてきたのである。そして、それは日本も同様であり、その共通性が「共感」をも生むのであろう。
「紅河ハニ棚田」は歴史そのものであり、稲作によって形成された民族意識を思い起こさせてくれるものでもある。
しかし、工業化された農業にあっては、そうした共感はすでに過去の遺物である。
「機械・機事・機心」が激変させた稲作の形は、今後一味違った精神を育むことになるのかもしれない。
それでも、機械を使うから機心が生じてしまうわけでもないだろう。
何を用いるにしても、人の心はその「持ちよう」によって、いかなる形にもなるはずである。ハニ族の棚田を賞賛するのと同様の心で、機械化された稲作をも賞賛することができる。
我々は現在の文明を肯定した上に、新しい時代を築く必要があるように思う。
「この棚田をどう思うか?」
この問いに、盧さんの息子はこう答えた。
「いとおしく思う」
すべての作業を自らの手で行うハニ族の棚田。その美しさを支えているのは、彼らが棚田に感じている「いとおしさ」なのかもしれない。
アジア、日本、コメ…。
この地域は、確実につながっている。
アジアの民の力強さは、なんと心強いことだろう。欧米ほどには体格に恵まれてはいないかもしれないが、底堅さにおいては格段に優っているようにも思える。
ハニ族の棚田の堅強さは、将来への希望をも我々に与えてくれるものである。
来年(2013)、この地の棚田は世界遺産に登録される予定である。
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出典:世界一番紀行
「世界で一番大きな棚田」〜中国・雲南〜

