「マシュマロ・テスト」という、ある有名な実験がある。
幼い子供(4歳)の目の前に、さも美味しそうな「マシュマロ」を置いておいて、「食べてはダメだよ」と言うのである。
そして、「もし、食べないで待てたら、マシュマロを『もう一個』あげるよ」とも付け加える。
子供たちの待つ時間は、「たったの15分」。
はたして、どれほどの子供たちが食べるのを我慢できるのか?
子供たちは悶絶しながら、食べるのを耐え堪える。その様は、(失礼ながらも)かなり滑稽だ。

さて、目の前のマシュマロを食べずに我慢できたのは…、およそ30%であった。
他の7割の子供たちは、耐え切れずに思わずマシュマロを食べてしまった。
多くの子供たちは、目の前の「誘惑」に敗れ去ったのである。

かのオスカー・ワイルドは、こう言っている。
「誘惑から逃れる最も良い方法は、誘惑に屈することだ」
7割の子供たちは、その言葉通り、誘惑に屈したのであった。
この実験の示唆するところは、人間の「感情」と「理性」のどうしようない「葛藤」である。
「理性(頭)」では、少し待てばマシュマロがもう一個もらえることが分かっている。でも「感情(心)」は、目の前のマシュマロを食べてしまいたい!
大人たちも、誘惑に負けた子供たちを決して笑うことはできない。
たとえば、「今1万円あげる」と言われるのと、「一ヶ月後に1万2,000円あげる」と言われた場合、どちらを選ぶのか?
多くの大人たちは、一ヶ月後に20%増しになる1万2,000円よりも、今の1万円を選択するのだ(もらえる額が2,000円減ったとしても!)。
お金の場合は、様々な要素が介在してくるために、一様の比較は難しくなるが、これも結局は「今欲しいという感情」が、「一ヶ月後の理性」を打ち負かすことが大きな要因だ。
その証拠に、「感情 vs 理性」の対立は、次の例ではきれいに消え失せる。
「一ヶ月後の1万円」と「2ヶ月後の1万2,000円」では、どちらを選ぶ?
こうなると、2ヶ月後の1万2,000円を選ぶ大人たちが多勢を占めることになる。
つまり、「今」と「先(一ヶ月後)」の比較では、感情と理性がぶつかり合うものの、「先(一ヶ月後)」と「より先(2ヶ月後)」の比較では、感情が引っ込んで、理性と理性で比べることになるので、より賢い選択が可能となるのである。
要するに、感情は「後先考えられない」のである。逆に、理性は「先のことを考える」。
感情は「今のみ」を見て、理性は「先」を見る。
両者の視点は、一長一短である。感情(直感)に従った方がうまくいく場合もあれば、理性に従った方が得をする場合もある。
たとえば「恋愛」に関しては、理性(頭)的な判断はおおよそ当てにならず、感情(心)的な判断が的を得ることがシバシバなのだとか。
冒頭のマシュマロ・テストには後日談が続く。
当時4歳の子供たち(1960年代)を「追跡調査」し、その後の子供たちの人生を50年以上検証しているのである(現在も継続中)。
さて、誘惑に打ち勝った子供たちと、誘惑に屈服した子供たちの、その後の人生の顛末は?
その結果は衆目の予想通り、より自制心の効いていた子供たち(マシュマロを我慢できた子供たち)は、誘惑に負けた子供たちよりも、よりよい人生を歩んでいる。薬物や非行に走ることもなければ、学力・仕事の能力も高かった(当然、肥満も少なかった)。
ここでいう「自制心」というのは、感情を理性で抑える心といった意味となろう。
言い換えれば、「今の欲望」に負けずに、「将来増える利益」を待てる心でもある。
このマシュマロ・テストの結果は、ある種「絶望的」でもある。
なぜなら、4歳の頃に自制心の効かなかった子供たちは、その後の人生においても、たえず感情に負け続けることを示しているからである。
しかし、別の検証では「希望」もあることが分かる。
たとえば、マシュマロ・テストのビデオをあらかじめ子供たちに見せておくと、目の前のマシュマロを我慢できる子供が増えるのだ。
目の前の誘惑に敗れる主因は、あまりにも目の前のマシュマロに集中(フォーカス)してしまうからである。そこで、あらかじめ結果の分かるビデオを見せておけば、15分後にマシュマロが2倍もらえることに集中(フォーカス)できるのである。
これは、ある種のテクニックでもある。
感情は「目の前」をみる習性があるが、少し先を「リアルにイメージ」できれば、感情はそこを見ることも可能になるのである。
実は、感情に「今」という感覚はないのかもしれない。ただ、より「リアル(現実的)なもの」を「今」と感じるのであろう。
もし、10年後をリアルにイメージできれば、強い感情の力はそこへ向けて放たれる。
成功哲学などでいう「思想は現実化する」などという文言は、感情と理性を対立させることなく、両者のエネルギーを同じ方向へと向かわせる手法であろう。
多くの人々が、感情と理性をぶつけ合って消耗させている中、その2つのエネルギーを統合できれば、いかにも大きな事が成せそうである。
感情を理性で抑えるという発想は「苦行」のようでもある。それが、たとえ将来のためであったとしても…。
この発想のもと、人類は幾多の葛藤に敗れ続けてきた。おそらく、これからも敗れ続けるであろう。
しかし、いまや現実は「今」だけとは限らない。
巷には「バーチャル(非現実)な世界」が溢れている。昔は本や映画などしかなかったが、今やインターネット全てがバーチャル(非現実)であり、リアル(現実)でもある。
お陰で、人間の感情は本当の「今」に惑わされることも少なくなった。いや、少なくなったというよりも、「今以外」に集中するテクニックが使いやすくなったと言うべきか。
もし、「感情と理性、どちらが強いエネルギーを持つと思うか?」と問われれば、それは「感情だろう」と答える人の方が多いのではなかろうか。
人間の歴史が理性に支配されているのであるならば、現在がこうなっているのは可笑しな話である。
それほどに人間は感情豊かな動物であり、それが魅力でもある。
その高エネルギーの「感情」をうまく操るコツは、「今(リアル)」を拡大解釈することにあるのかもしれない。
目の前のマシュマロだけに集中(フォーカス)するのは、あまりにも惜しい。
10年前を「今」のように思い起こすこともできれば、10年後を「今」のように楽しむこともできる。いや、それは100年前だろうが、100年後だろうが可能だろう。
夢も現(うつつ)も紙一重。
それなら、紙を一枚破いてみても良いではないか。
人間の理性は、そんなことも出来るのである。
理性を使って感情を抑えるのではなく、理性を使って感情の遊び場を広げてみるのも面白いかもしれない。
出典:コロンビア白熱教室
第5回「幸福になるための技術」


面白ぃ♪
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今までも“イメージ”がしっかり出来たコトは、ちゃんと全部実現してきたし☆
…ワクワクしてきた♪
ありがとぅござぃます☆