2000年のアメリカ「大統領選挙」で何が起きたのか?
このフレーズの後に決まって語られるのは、「フロリダ」での出来事のことだろう。例の「投票用紙問題」である。
連邦最高裁が票の数え直しの「停止」を命じたため、「ジョージ・W・ブッシュ」が537票差で勝利した。

実は、ここで着目しなければならないのは、投票用紙の問題ばかりではない。
ジョン・クルズニック氏によれば、名前の記載される「順番」にも注目すべきことになる。
過去の選挙を精査した結果、名前が「最初」に記載された候補者は、他の候補者よりも「2%有利」であることが判ったのである。「たったの2%?」と軽んずるべきではない。ケネディとニクソンが争った時の票差は「たったの0.2%」である。
さて、フロリダの名簿で「最初」に名前があったのは?
お察しの通り、わずかの差で勝利した「ジョージ・W・ブッシュ」である。
なぜなら、フロリダ州知事の所属する政党の公認候補が、名簿の最初に記載されることになっていたからである(当時のフロリダ州知事は、ジョージ・W・ブッシュの「弟(ジェブ)」であった)。
フロリダ票の2%といえば「5万票」。実際の選挙結果の差が、その5万票の100分の1程度だったことを思えば、いかに名前の順序に意味があったかが自ずと窺える。
こうした例が問いかける問題は、「人は何をどうやって選んでいるのか?」という選択の問題である。
「最初」にあるものの方が記憶に残りやすく、選択されやすくなるという傾向は、「初頭効果」と呼ばれるものである。
最初の次は何が有利か? それは「最後」である。最初のものと同様に、記憶してもらえる確率は高い。
また、選挙の際には「親近効果」というものも巧みに利用される。
親近効果というのは、よく目にするものや、よく耳にするものに「親近感」を抱くという効果である。
不思議なことに、選挙の結果を左右するのは、その人の考えや主張以上に、どれだけその候補者のポスターを目にし、その名前を耳にしたかが大きいのだという。
というのも、よく目にし、耳にする方が、より「具体化する」からでもある。
たとえば、「文章」で表現された景色よりも、「写真」の風景の方が当然、具体的で分かりやすい(百聞は一見に如かず)。
そして、人間には、より具体的なものを「重要である」と認識する傾向があるらしい。候補者がどんなに立派なことを語っても、有権者が目にするのは、その人の「顔」なのである。
このように、人間の選択には、常に偏りが生じている。
その偏りは、以下の実験にも明らかである。次の2択のうち、どちらがより選ばれる傾向にあるのか?
A.何もしなくても「1万円」がもらえる。
B.ジャンケンに勝てば「2万円」もらえる。
結果を先に言えば「A」である。もらえる額が半分でも、「確実に」もらえる方を選択する人が圧倒的に多い。
それでは、次の選択ならばどうか?
A.必ず「1万円」支払わなければならない。
B.ジャンケンに負けた時にだけ「2万円」を払う。
結果は…、一転「B」が圧倒的に多数を占める。ひょっとしたら、2倍の金額を支払わなければならないというのに!
お金を「もらう時」と「支払う時」では、その選択の「基準」が変わってしまっていることにお気付きであろうか?
「もらえる」と聞くと、「利益モード」になる。すると「リスク(失敗)」を避けようとする気持ちが強く働く。そして、少額であれ確実に現金を受け取ることを選択する。
ところが、「支払う」と聞けば、今度は「損失モード」に切り替わる。このモードでは、「リスク(失敗)」を厭(いと)わないという、利益モードとは全く逆の行動に変わってしまう。その結果、場合によっては倍の金額を支払うことにもなってしまう。
こうした心理は「投資家たち」のより知るところである。
彼らの言う「利小損大」とはこのことを表現している。利益は小さく、損失ばかりが大きくなってしまうという人間の悲しい心理である。
こうした人間の性向は「プロスペクト理論」としても知られており、この理論はノーベル賞をも受賞している(ダニエル・カーネマン、エイモス・トベルスキー)。
投資家たちの哀しい性質は、こればかりではない。時として、サイコロを振って投資する会社を決めた方が、大きな利益に結びつくこともある。
投資家たちの判断は、サルにも劣るとまで言われることがある。
そうした過ちを犯す人々に共通して見られる傾向は、自分の知っている情報を「過信」してしまうことだという。
「過信」するのは、どういう人々に多いのか?
逆に「過信しない」人々を考える方が分かりやすい。まず、何も知らない人は過信しない、というか出来ない(ビギナーズ・ラック)。また、とてもよく知っている人も、あまり過信しない傾向にある。
残るは…、そう、中途半端に「知っていると思っている」人々である。そして、哀しいことに大多数の人々がこのカテゴリーの中に入ってしまう。
投資の神様とも崇(あが)められる「ウォーレン・バフェット」氏は、珍しくも「過信しない人々」の一人であるようだ。
1990年代、投資家たちがIT企業に投資しまくって、大きな利益を出していた時代があった。ところが、投資の神様・バフェット氏はなぜかIT企業への投資を見合わせていた。

なぜ?
「よく分からないから」というのが、彼の答えだった。IT企業のこともよく知らなければ、なぜ、ここまで買われるのかも分からないというのだ。
過信しがちな人々は、バフェット氏を笑った。「直感が鈍ったんだ」と。
ところが、結果を知る人でバフェット氏を笑う人は誰もいない。その後のIT関連株がどうなったのか? バブル崩壊、宴の終焉である。笑った過信家たちは大いに泣いた。
「知るを知るとなし
知らざるを知らざるとなす。
これ知るなり(孔子)」
「チェス」の元世界チャンピオンに「ガルリ・カスパロフ」という人物がいる。22歳で世界一になって以来、15年以上もその座に留まり、その勝利数はまさに群を抜いている。
チェスと言うからには、どれだけ先の手を読んでいることか? ところが、彼は「先を読まない」と言っている。
チェスの次の手は「星の数」ほどもあるが、天才的なカスパロフ氏は、「直感」で無数の星の中から、もっとも輝く星を選び出す。

カスパロフ氏の直感は、闇雲の直感(一か八か)ではないだろう。
無数の経験に裏打ちされているはずである。それは投資の神様・バフェット氏も同様であろう。
彼らに共通するのは、まずは経験的な「理性(知性)」によって、必要な情報を選び出し、その上でその場の直感を活用していることであろう。
ある有名な軍事演習において、「ポール・バン・ライパー」司令官は、弱小な勢力を率いながらも、最強のアメリカ軍を打ち負かした。
その戦略とは? 先のことを計画しない「行き当たりばったり」だったという。
作戦はあらかじめ決めずに、その場の情勢で判断し、自分たちの持つ限られた兵器のみで勝利を収めたというのだ。その鮮やかな勝利は、真珠湾以来の屈辱をアメリカ軍に与えたとも称せられたという。

いかに選択するか?
この問いに直面した時、我々はついつい「先のこと」を考えてしまう。
ところが、達人クラスの人々ともなると、逆に「先は考えない」と口を揃える。
この差は、どれだけ「今(現在)」に重きを置いているかの差でもある。
先のことを考え過ぎれば、当然、多少なりとも「今」が軽んじられることになる。
ところが、敢えて先を考えないようにする達人たちは、一様に「今」に最大限のエネルギーを集中する。そして、その選択の差の結果は雲泥のものとなる。
そして、その今に直感を働かせる前に、経験を元にした理性的な取捨選択があることも忘れてはならない。
経験なしの理性的な判断は、時として「単なる過信」であることも少なくない。よく知るということは、この過信による誤ちを避けるためのものであると考えた方が良さそうだ。
「理性的な判断」は、必ず「先のこと」を見据え、ややもすると「今」を見ていないこともあるのだから…。
これらはコロンピア大学の「シーナ・アイエンガー」氏の講義の一幕である。
過信しないために、自分の知ることと知らないことを理性によって明瞭にし、最終的な判断は、先を読まない直感に任せる。
そんな最高の選択は、我々凡人には極めて難しい。しかし、そんな選択をする人が存在するということは、一聴に値するであろう。
出典:コロンビア白熱教室
第3回「選択日記のすすめ」

