2011年12月18日

それでもフグを食い続けてきた日本人。猛毒の隣りにある美味。


「その花は、冬に咲く。

ひとひら、ひとひら、口福(幸福)になり、虜になる。魔性の花」

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美しい花のように盛り付けられる「フグ」。

「フグは食いたし、命は惜しし」

魔性の花は「毒」をも秘める。



姥山貝塚(縄文時代)には、日本最古と思われる「フグ中毒死」の痕跡が残る。

家族仲良く、5人が「フグの骨」を囲んだままに死んでいる。

現在においても、毎年40〜50人ほどがフグの毒に当たり、その内の2〜3人は死んでしまう。たいていは、自分で釣ったフグを自分で調理して食べた結果である。

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フグの毒(テトロドトキシン)というのは、想像以上の「猛毒」である。

食べた際の「致死量」はわずか1〜2mg。猛毒「青酸カリ」の850倍の毒性という恐ろしさである。



「当たれば死ぬ」

そういう意味を込めて、大阪ではフグを「鉄砲(てっぽう)」と呼ぶ。「てっさ(”てっ”ぽうの”さ”しみ)」「てっちり(”てっ”ぽうの”ちり”鍋)」などなど。

全国で水揚げされるフグのなんと約6割が「大阪」で食べられているのだという(京阪神で7割)。現在では当たる人は少なくなったとはいえ、過去の歴史では「鉄砲」と呼ばれるほどに当たった人々も多くいたのかもしれない。



一方、「下関」ではフグのことを「ふく(福)」と呼ぶ。

国内で水揚げされるフグの半分は、「下関」に集まるのである。フグは「不遇(ふぐう)」ではなく、「ふく(福)」を同地にもたらしているのである。



ところで、なぜフグと言えば「下関(山口県)」なのか?

それは、明治時代に「山口県のみ」でフグ食が「解禁」されたからである。



こんなエピソードが同県に残っている。

明治政府の初代首相となった「伊藤博文」。退任した後に訪れた「料亭・春帆楼」で、その魚(フグ)は彼の前に出された。

明治政府が禁止していたその魚。それでも、シケで他の魚が獲れなかったからと、女将は平に容赦を請いながら、恐る恐る伊藤博文の前に差し出した。



フグをパクリと食べた伊藤博文。

そして一言、「こんな旨い魚を禁じる法はない」。

ここにめでたく山口県のみでフグが「解禁」されたのだという(以後、全国で解禁)。ここで注意すべきは、伊藤博文が同地の出身だということである。



ところで、なぜ日本ではフグ食が禁じられていたのか?

その歴史は、豊臣秀吉にまで遡る(16世紀)。

朝鮮半島への出兵のために「肥前名護屋城(佐賀県)」に兵を駐屯させていた豊臣秀吉。その兵士たちの間で、フグによる中毒死が相次ぐ。調理法を知らない他国の兵士が無造作にフグを食らった結果だった。

「大事な出兵の前に、何たる不始末! フグを食うことはまかりならんっ(怒)!」

太閤殿下(豊臣秀吉)の逆鱗に触れたフグは御法度となってしまった。



以後、時代が江戸に変わっても、「主家に捧げるべき命を、食い意地で落とすわけにはまいらぬ」としてフグは遠ざけられた。

実際、フグを食って死んだ当主が、家名断絶の憂き目にあった話もあるのだとか。



しかし、それでも江戸の人々はフグを食べていた。

「松尾芭蕉」は恐る恐るフグを食した翌日の朝に、こんな句を詠んでいる。

「あら何ともなや、昨日は過ぎて、フグ閉じる(河豚汁)」



フグの毒というのは、意外なことにフグが作り出しているわけではない。

フグが食べる「エサ(貝やヒトデ)」に含まれている毒が、フグの体内に蓄積するのだという。当然、フグがその毒を食らっても死ぬことはない(それでも致死量はある)。

その証拠に、毒のない人工のエサで養殖されたフグには「毒がない」。毒がないので、珍味の「フグの肝」までそのまま生食できる。

しかし、不思議なことに、無毒のフグの泳ぐ生簀に、毒のあるフグを放すと、無毒のフグも毒気を帯びてくるのだという。



フグの毒に関しては、未解明な部分も多い。

美川(石川県)には、猛毒である「フグの卵巣」を「無毒化」する方法が伝わっている(フグの子ぬか漬)。




卵巣を塩水につけ(1年)、その後「ぬか漬け」にする(2年)。すると、あら不思議。「なぜか」すっかり毒気が抜けている。

微生物たちの発酵の力で毒が抜けるのか? 科学的な証明は未だ成されていない。

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なぜ、そこまでしてフグを食べるのか?

無毒のフグを作ってまで肝を食い、3年かけて毒を抜いて卵巣まで食らう。ヒレも捨てずに、酒にする。骨の回りの肉まで惜しみ、鍋で食する。

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縄文の昔から、毒で死ぬ犠牲者を幾多と出しながらも、日本人は4,000年以上もフグを食ってきた。公(おおや)けに禁止されても食ってきた。

世界中を見渡しても、この毒魚をここまで愛した民族は見当たらない(エジプト人はフグを食うともいうが)。

毒に当たって死ぬかもしれないというスリル感が、日本人のフグ熱をここまで刺激したのであろうか?

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フグ毒の正体(テトロドトキシン)を科学的に突き止めたのも日本人(田原良純)である(1909)。

しかし、その「解毒剤」は未だなく、当たれば24時間以内に死亡する。

島原(長崎県)では、「棺桶(かんおけ)」を置いてでもフグを食うと言われたことから、フグのことを「かんば(棺桶の方言)」と呼ぶのだそうだ。



ひとたび当たれば、有効な対処法は今でもほとんどない。

昔は、頭だけ出して全身を地面に埋めたというが、それは迷信である。ネコが食べても平気だというのも、同じく俗信であるという。

フグ毒の致死率は5.7%。この値は他の食中毒よりも圧倒的に高い数字なのだという。



それでも、日本人はフグを食い続けた。

死屍を築きながらも、今ではフグ毒をさばく卓越した処理方法が確立している。

念のために繰り返すが、現在、フグで死ぬのは、たいてい素人が扱った場合である。





出典:新日本風土記 「ふぐ」



posted by 四代目 at 06:56| Comment(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
フグの調理免許のある人てすごいて事になりますね。たまにまるごと売ってますが、買う人て勇敢だと思います…。
Posted by うぼで at 2014年11月14日 02:42
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