2011年12月17日

自然を守ることは、貧しくなることか? セーシェルの克服した現代の矛盾。


「牛」のひくタクシーが走る島がある。

しかし、「走る」という表現は適切ではない。そのタクシーは歩く人よりも遅いのだから…。まさに牛歩。タクシーとはいえ自動車ではなく、牛車である。

この島(ラ・ディーグ島)では、自動車が「40台のみ」に制限されており、8,000人住むという島民たちは、個人的に自動車を持つことが許されていない。



なぜか?

それは、ある鳥(パラダイス・フライキャッチャー)のためだ。

この鳥は、自動車の音が大嫌いなのだとか。



「この鳥を見たものは、幸せになれる」とも言われるのが、この鳥、パラダイス・フライキャッチャーである。

しかし、現在は200羽前後にまで減ってしまい、絶滅危惧種にも指定されている。「ラ・ディーグ島」では、この鳥を含めた自然環境を守るという意識が高い。それゆえに、自動車がほとんど走っていない。



この島の属する国家は「セーシェル」。

アフリカ大陸の右側(東側)に散らばる115の島々からなる国家である。

自然豊かなこの国は、世界でも有数の自然環境保護国家である。なんと国土の半分近く(47%)が「自然保護区」に指定されている。




なぜに、そこまでするのか?と言えば、過去の歴史において、この小さな島々の自然環境が「破壊された」苦い経験を持つからである。

かつて、セーシェルは「フランス」の植民地であり(セーシェルという国名はフランス人の蔵相にちなむ)、のちに「イギリス」の植民地となった(1815〜)。



宗主国であった英仏は、島の木々を伐り倒し、そこら中にココナッツを植えまくったという。「ココナッツはカネになる」という理由から。

宗主国にとっての植民地は、田畑のようなものであり、その土地の生産性(利益率)をいかに上げるかが最も重要視されたのである。

必然的に、その土地の「長期的な発展」などは顧慮されない。生産性が落ちた時には、また別の土地を探せば良いだけである。



要するに、セーシェルの美しい島々は「乱獲」されたのである。

この島に暮らす「海ガメ(アルダブラ・ゾウガメ)」は、船乗りたちにヒョイヒョイと持っていかれ、一時絶滅の危機に瀕したという。

この亀は2ヶ月間飲まず食わずでも生きるために、長期航海の生きた食料として格好だった。

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セーシェルがイギリスからの「独立」を果たすのは、35年前(1976)。

フランスが領有権を主張してから(1756〜)、イギリスの手を経て(1815〜)、じつに200年以上に及ぶ長き植民地時代は終わった。

しかし、その200年間に失われたものは大きかった。島々はすっかり様変わりしてしまっていた。



独立したセーシェルの初代大統領となったのは「アルベール・ルネ」氏。彼の心の内には、「失われた自然」を取り戻したいという強い想いがあった。

しかし、独立したからには、「理想」ばかりを語ってもいられない。国家の収入を確保するために、自国に産業を起こさなければならない。

とはいえ、セーシェルの島々には石油もなければ鉱物もない。他のアフリカ諸国のように、「資源」に頼ることは不可能だった。



セーシェルには何がある?

「美しい自然があるではないか。よし、それを”ウリ”にしよう」

そうなった。



普通の発想であれば、できるだけ多くの「観光客」を呼び込もうと画策するかもしれない。

ところが、セーシェルは違った。逆に「観光客の数をあえて制限した」のである。



なぜなら、徒らに観光客の数だけを呼び集めてしまったら、たくさんのホテルが必要になり、それに合わせてレストラン、ナイトクラブも必要になる(それを経済効果とも呼ぶのだが…)。

そうなってしまうと、最大のウリである自然環境が保てなくなってしまう(一時的に経済は発展したとしても…)。



ここにジレンマがある。

「経済的な利益(カネ)をとるか? 環境保護(自然)をとるか?」

このジレンマは一見、トレードオフ(どちらか一方しか選べない)関係のようにも見える。「カネのためには多少の自然破壊も止むを得ない」と。



ところが、セーシェルは違った。頭の固い人々が両方獲れないと思い込んでいた「二兎」を、両方とも手中に収めたのだから。

自然を守りながら、おカネもしっかりと頂戴したのである。それが、「観光客を少数に絞り込む」という戦略だった。

観光客が少なければ、それほど自然を荒らさなくて済む。必要な収入を確保するためには、一人一人の観光客からたくさんお金を貰えばいいではないか。



とあるセーシェルのホテルは、一泊「100万円」もする。

そのホテルの宿泊客は平均で10泊はするという(100万円 × 10泊 = …)。

選ばれし観光客にとっては、セーシェルのプレミア感はプライスレスとなっている(一泊平均70万〜120万円)。



ある島(クーザン島)には、一週間に一度、月曜日の午前中にしか立ち入れない(入場料4,000円)。

人間の足跡の少ないその島は、奇跡の自然の連続である。

その奇跡は、人間の立ち入りを制限したことで保たれ、週に一度だけ開放することにより、選ばれた人々だけが楽しめるという仕組みの上に成り立っている。



もともと、セーシェルの島々は奇跡の自然の宝庫であった。

なぜなら、この島々は、かつての巨大大陸ゴンドワナが分裂した時の「破片」のような島々で、アフリカ大陸の生態もあれば、アラビア半島、インドなど多種多様な生態が絶海の孤島(セーシェル)に取り残されていたのである。

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その稀有な動植物たちは、暗い植民地時代にその多くが失われてしまったわけだが、完全に息の根を絶たれたわけではなかった。

細い細いクモのような糸に、貴重な生命は辛うじてつながれていた。



セーシェルは、その”か細い”生命の糸を大事に大事に育(はぐく)んだ。

そのために彼らのしたことは、主に「見守ること」だった。



さすがにココナッツは抜き去った。

植民地時代に数千本も植えられたココナッツは、放っておけば繁茂する一方。自然環境を不自然に傾けてしまう。

しかし、立ち入りを制限したクーザン島では、新たな植物の種を植えることはしなかった。鳥のフンに混じった植物の種が、自然に発芽し、自然に育つのを邪魔せずに「ただ見守った」のである。



時の経過とともに、植物は多様性を増し、鳥たちは住処を取り戻した。

セーシェル・ワーブローという鳥は、一時20数羽にまで減っていたが、いまや4,000羽にも増えたという。

しかも、人間を恐れない。人間に危害を加えられたことのない証であろう。独立後、セーシェルの人々は、40年近くも「見守り続けた」のである。

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この島(クーザン島)に人間が入る前には、必ず専用の船に乗り換えなければならない。それは、ネズミなどの害獣や、よけいな病気などを島に持ち込まないようにするためだ。

そのため、クーザン島には鳥たちの害獣が少ない。まさに鳥たちの楽園。彼らはいずれ飛ぶことを忘れてしまうかもしれない。かつてのニュージーランドやオーストラリアの鳥たち(ダチョウ・エミューなど)が飛ぶことを忘れてしまったように…。



果たして、セーシェルは自然保護を利益に結びつけることに成功した。

自然を護れば護るほど、利益も上がるという「矛盾」がまかり通ったのである。



この美味しい話に、他国が寄ってこないわけがない。

「毎週100件以上の『開発の申請』があります」とセーシェルの環境省は頭を悩ます。



新規開発に対して、セーシェルの求める環境基準は厳格である。発電のための太陽光パネルを要求したり、海水を淡水化する装置の設置を義務付けたりする。

この仕組みにおいて、開発側が利益を搾取することは難しい。それでもセーシェルへの進出は確実な収入源となるため、セーシェルの言うことには素直に従わざるを得ない。

こうした構図も特異である。通例、開発する立場の方が強いものであるが、セーシェルでは、それが逆転してしまっているのだから。



ひょっとして、我々は何かに操られていたのか?

経済発展のためには、自然環境が犠牲になるのは当然だと思い込んでいた。

ところが、セーシェルでは矛盾するはずの経済と自然が見事に両立している。開発されていない自然を楽しむために、喜んでお金を払う人々は予想以上に多かったのである。

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この国(セーシェル)は、日本の一都市程度の規模しかないため、一様の比較は難しい。

しかし、小さなスケールで可能なことには、知恵次第では大きなスケールでも実現できる可能性が秘められている。



「矛盾したことを両方やろうと思うところに、知恵は湧いてくる」

ツイッターの津田大介氏は、そんなことを言っている。



津田氏はセーシェル大統領(ミッシェル氏)に日本のことを尋ねた。

すると、大統領はこう答えた。

「環境を守ることが、同時に国を守ることにもつながるということに、気が付かれてはいかがでしょうか?

日本にしかないもので、世界にアピールできるものは、たくさんあります。

その魅力をさらに磨き、世界と分かち合っていくことが大事なのではないかと思うのです。」



選ばれし観光客たちに支えられたセーシェルでは、医療も教育費も「無料」だという。教育は大学まで無料で、さらに留学の費用も賄ってもらえるのだとか。

そんなセーシェルでは、子供たちに「見守ること」を教えている。

種や苗木を植えたら、あとは「見守る」のだ。動植物たちの深遠な知恵を、人間が邪魔してはいけない。



人間のできることは限られている。

そして、時には「何もしない」ことが最善だということもあるだろう。

自動車で急ぐばかりが能ではない。時には牛の歩みのようにユルリとしてみれば、思わぬ近道に気付かされるかもしれない。



日本のバブル期に「開発」された観光地の多くは、今どうなっているのだろう?

かつてはスキー場だったのであろう山々もあれば、シャッターだらけの温泉街もある。何のために観光客を呼んだのだろう?

自然をウリにしながらも、自然から遠ざかってしまっていたのではなかろうか?



セーシェルは自然にグングンと近づいていった。

人を遠ざけることにより、人々は大金を払ってでも、その自然の中に入りたいと渇望するようになった。



自然を守ることは、決して貧しくなることではない。

開発すれば豊かになるということでもない。

セーシェルを知り、そんなことを考えてみた。





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出典:地球イチバン
「地球でイチバン自然と“なかよし”の国」〜セーシェル共和国〜


posted by 四代目 at 17:07| Comment(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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