興奮して飛び跳ねる「ヤギ」。
山の木に実る「赤い実」を食べたのが原因だった。
その赤い実とは、現在の「コーヒー」。
ヤギ飼い少年のカルディが修道院に相談するために、その赤い実を持ち込んだのが、「コーヒーの起源」の一つとされている(エチオピア)。
それ以来、コーヒーはイスラム教の「秘薬」として、修道者などに飲まれるようになる(エチオピア → イエメン)。
「♫昔 アラブの偉いお坊さんが…♫」と歌われたように(コーヒー・ルンバ)、コーヒーはアラブの国の宗教者の飲むものだったのである。
6世紀頃にイエメン(アラビア半島)に伝わったとされるコーヒーだが、当時は葉っぱやコーヒー豆を煮出して飲まれていたようである。
しかも、宗教的な秘薬とされていたため、一般庶民に開放されることは決してなかった。それゆえ、他国へ持ち出すことなども「もってのほか」。
万が一にも国外へ流出しないように、コーヒーの豆を火で焙(あぶ)って、種から芽が出ないようにした(芽止め)。
すると、あら不思議。
焙ったコーヒー豆からは、なんとも芳(かぐわ)しい香りが…。
コーヒー豆は煎ることにより香気成分が3倍以上に増えるのだ(200 → 700)。

ところが、この魅惑的な香りは逆にイスラム教では問題視された。
ご存知の通り、イスラム教では「アルコール」が禁止されている。そして、コーヒーもアルコールに「準ずる」ものと考えられたのである。
つまり、コーヒーは「悪しきビドア(異端)」とみなされたのだ。
イスラム教の聖地メッカでは、「大衆を堕落させる毒」としてコーヒーの飲料を禁じ、焼き捨てを命じた事件も起きている。
イスラム世界で正式にコーヒーが認められたのは15世紀(1454)。
一般民衆にコーヒーの飲用を認めるファトワー(法判断)が出された。これ以降、イスラム限定だったコーヒーは、世界へと羽ばたくことになる。
アラビア世界から北進したコーヒーは、トルコ(オスマントルコ)の地で最初のブレークを果たす。
トルコでは現在のように「嗜好品」として楽しまれたという。首都イスタンブールには「コーヒー・ハウス(カフヴェハーネ)」が開かれ、現在のカフェのような「サード・プレイス(都市生活者の第3の居場所)」として機能していたのだとか。
そして、当然のようにヨーロッパへと伝わっていく。
ところが、ここで問題が生じた。
当時のコーヒーは、依然イスラムの宗教色が色濃いイメージがあったため、キリスト教世界は、すんなりと異教の飲料を受け入れることが出来なかった。
そこで、時の教皇(クレメンス8世)は「コーヒー洗礼」という儀式を執り行う(1605)。
コーヒーにキリスト教の洗礼を施すことにより、キリスト教徒でもコーヒーを飲めるようにしたのである。
こうして、コーヒーはめでたくもイスラム・キリスト2大宗教から「お墨付き」を得ることとなった。
日本にコーヒーが伝わるのは「江戸時代」。長崎の出島から「オランダ人」が持ち込んだと言われている。
当時の長崎奉行所の大田南畝は、こう記している。「紅毛船にてカウヒイというものを…、焦げ臭くて味ふるに堪えず」
当時の日本では、コーヒーはお茶というより、「薬」として認識されていたようである。
現在、コーヒーは「石油の次に貿易規模が大きい一次産品」とまでなっている。
しかし、その生産地域は限定的で、赤道を中心に北回帰線と南回帰線の間でしか栽培することができない(コーヒー・ベルト)。

コーヒーには多種多様な味やブランドがあるが、植物としての「コーヒーの木」のほとんどは「アラビカ種」である(7〜8割)。
このアラビカ種は、ヤギ飼い少年カルディの伝説にも語られるエチオピア原産である。コーヒーの品種に関しては、「原種に近いほどウマイ」という定説があるらしい。
飲料としてのコーヒーが多種多様なのは、同じアラビカ種の木でも、「栽培地によって」味と香りが別物になってしまうからである。
たとえば、「標高」が高いほどに「脂質や糖質」が多くなり、糖度が高いほどにフルーティーになる。
現在、最高級の品質と謳われるのは「ブルーマウンテン」であるが、それに次ぐとされるのが「コナ・コーヒー」である。
コナは「ハワイ島」のコーヒー。同地の曇りがちな気候が、奇しくも高い品質を生んだのだ。
ハワイへコーヒーが伝わるのも、不思議な縁の末である。
イギリスを訪れていたハワイ国王(カメハメハ2世)は、ロンドンにて亡くなってしまう(1825)。
その亡骸をハワイに運ぶ途中に寄港したのがブラジル(リオ・デジャ・ネイロ)で、コーヒーの苗木はその時に手に入れられたものだという。
1890年代、ハワイ島に「コーヒー投機ブーム」が巻き起こり、一気に栽培面積が拡大。しかし、ほどなく暴落。ハワイのコナ・コーヒーは一時壊滅した。
再びハワイのコーヒーが立ち上がるのは、日本人移民の活躍によるところが大きいのだとか。
現在でも、多くの日本人移民たちがハワイのコーヒー栽培に携わっている。
オアフ島にあるハワイ農業研究センターで働く「長井千文」さんもその一人。彼女はモカを品種改良して、新しい品種を作り出した。
「モカ」は味が良いのに、収量が少ない(3分の1)という泣き所があった。

そこで、長井さんは実の大きな品種との交配を繰り返し、「モカなのに収量が多い」という矛盾したような新品種を生み出したのである。
「原種に近いほどウマイ」とされるコーヒー界にあって、長井さんはあえて新品種にこだわった。
なぜなら、ハワイという「熱帯」の気候は途上国と同じであり、「付加価値」がなければ、価格競争に敗れるのは目に見えていたからである。
この新品種が世に受け入れられるかどうかは、時の判断を待たなければならない。
現在の日本人は、平均で一年間に570杯のコーヒーを飲むのだという。
江戸時代には、「味ふるに堪えず」とされたコーヒーも、今やすっかり文化の一部となっている。
そのコーヒーが、まさかイスラム教の秘薬だったとは、もはや想像すらできない。
ヤギの最初に食べたという赤い実が、思わぬ広がりを見せたものである。
そのコーヒーの赤い果肉は、意外にも甘く美味しいのだという。
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出典:いのちドラマチック
「コーヒー 人類を操った香り」

