「ソ連に生まれて、なんてラッキーなんだと思っていました。」
1970年代の子供時代を述懐して、リューバさんはそう述懐した。
彼女が心底そう思っていたほどに幸せな時代が、ソ連にはあったのである。当時、西隣りのヨーロッパやアメリカでは、暴動やデモが毎日ようにニュースに流れていたのだという。
子供時代の彼女は、赤いネッカチーフをした「ピオネール」の一員。
ピオネールとは、ソ連共産党の少年団(10〜15歳)のことで、「フシェグダー・ガトーフ!(いつでも準備よし!)」が合言葉となっていた。

そんな彼女が、何気なくテレビを見ていたある日のこと、ソ連の「国家」の最初のフレーズが流れてきた。
すると無意識に彼女は立ち上がり、テレビの前で「敬礼」。「いつでも準備よし!」と叫んでいたという。
そんな子供の自分を省みながら、「思わず、感情が高ぶってしまったんです。」と彼女は語る。
「今考えると、冗談みたいな話です。
あれは善悪の概念を、はるかに超えたものでした。
洗脳されていない人、特に今の子供たちには、とうてい理解できないでしょうね」
そんな「体制派」だったリューバさんの夫・ボーリャ氏は、彼女とは真逆の「反体制派」だったという。
それは、彼がユダヤ系だったということもあったかもしれない。赤いネッカチーフを付けなかったり、USAと書かれたTシャツを着ていたり…。
「個人の全財産を、皆で共有しようなんて考えられるかい?
アパートを没収し、共同住宅に変えたんだ。農民からは、土地も家畜も家も没収した。そして、追い出した。
食料も無い列車に乗せられ、その途中で大勢が死んだ。そして、カザフスタン、中央アジア、シベリアに送られた人々は、こう言われた。
『親愛なる人民よ。今日からここで暮らしなさい』とね」
当時のソ連では、ボーリャ氏のような反体制派は少数であった。
ところが、彼が長い兵役から戻った時、ソ連には「新しい風」が吹いていた(1985)。
モスクワにモヒカン刈りのパンクロッカーが歩いている。それでも逮捕されない。
「♫金持ち同盟なんてブッ潰せ! NATOなんか壊してしまえ♫」
通りの脇では、ヒッピーがギターを弾いて、画家が作品を売っている。禁止されていた本や新聞記事までが読めるようになっている。

「レーニンは正しいのか?」
こんなことまでが公然と議論されている。スターリンは批判されても、レーニンは依然「神」だった時代に、である。
レーニンとは、世界初の社会主義革命(ロシア革命・1917)を成功に導いた人物である。
この新しい風は、ゴルバチョフ元書記長の吹かせた風だった。
「ペレストロイカは反飲酒運動から始まった」
ペレストロイカとは、1980年代後半におけるソ連の改革運動である。
テレビでゴルバチョフ氏を初めて見たボーリャ氏は「衝撃を受けた」。
ゴルバチョフ氏は、「人間みたいに話をしている」ではないか。メモも見ないで。
思わずボーリャ氏は、この新顔の男が「暗殺されるのではないか」と心配になったという。

人々も驚いた。
店頭から食品が消えた。
すべてが「配給制」になったのだ。ウォッカを飲まない家にまで、毎月一人2本のウォッカが配給される。
情報公開(グラスノスチ)も行われた。それは、チェルノブイリ原発事故がキッカケになったとも言われている。
しかし、一連の改革は「諸刃の刃」でもあった。
自由化と民主化は、今まで国民に知らされていなかった共産党幹部の贅沢や汚職までをも明らかにしてしまった。
そんなソ連のテレビに、ある日、「白鳥の湖」が流れた。
不都合な「重大事件」が起きると、全局「白鳥の湖」になってしまうのが、当時のソ連の常であった。
何が起きたのか?
休暇中で避暑地にあったゴルバチョフ氏が拘束されたのだ。
世に言う「8月革命」、クーデターである(1991)。「ゴルバチョフ氏は病気であり、我々が権力を掌握した」。

このクーデターが起きたのは、8月19日。
この日は、新連邦条約が締結される、まさにその前日であった。
この条約が締結されると、事実上、ソ連は消滅してしまう。ソ連共産党の「旧守派」は、それを避けたかったのだ。
エリツィン氏は、このクーデターに対抗して国民に「ゼネスト」を呼びかけた。
この呼びかけに市民10万人が大集結し、「エリツィン!ロシア!エリツィン!ロシア!」の大合唱。
エリツィン氏が立ち上がったことにより、クーデターは敢えなく失敗。同時にソ連も崩壊。15の共和国は離れていった…。

「自由と正義のために、市民たちが集まったのかって?
それはナンセンス。ただ単に、食べ物がどこにもなかったからだよ」
いずれにせよ、こうしてゴルバチョフ氏の時代は終わり、エリツィン氏の「幸福な時代」が始まった。
「彼は永遠に若く、愉快な男だった」
しかし、理想は現実とかけ離れて行き、再び混乱が始まった。
「90年代初頭に人々の心に燃えた理想は、打ち砕かれたんです」
肉や牛乳の値段が、一晩で倍にも跳ね上がる。
そして、プーチン氏の時代が始まり、それが現在にまで続いている。
ボーリャ氏はつぶやく。「変わったのは、飾りの部分だけだよ」。
「いや、むしろソ連時代の愛国主義に戻っているのかもしれない」。
歴史の教師でもあるボーリャ氏は、プーチン氏の言動を危惧している。
「彼は歴史の解釈に口を出し過ぎている。『第二次世界大戦については、こう教えなさい』とか。
今のところは、小さい苗木にすぎないが、やがてこの苗木は『厄介な大木』になりうる。ソ連時代を生きた私には、それが予想できるんだ」

ある女性は、ソ連時代を懐かしむ。
「本当に楽しい毎日でした。
サボったり酔っ払ったりしない限り、首にはならないし、昇進もできました。」
ところが、彼女は結婚に失敗し、現在は競争のストレスに晒されている。
ある男性は、ソ連崩壊により、大事業を成し遂げた。
外国ブランドのワイシャツとネクタイを輸入する会社を立ち上げ、今ではチェーン店の経営者となっている。
「ソ連の体制下では、好きな仕事を選べませんでした。今の仕事は、ソ連時代には不可能だったのです。」
また、ある男性は、アメリカに矛先を向ける。
「アメリカ人の持ち込んだのはガムやジーンズだけではない。くだらない考えまで持ち込んだ。
人を押しのけ、人より金を稼ぐ。奴らの生き方には、この一つしかない。稼ぎが少なければ、負け犬だ。」
ここ100年間、ロシア(ソ連)は様々な時代を体験してきた。
そして、再び「選択の時」を迎えている。
盤石と思われていたプーチン体制に「亀裂」が生じているのだ。
かつては禁じ手とされていたプーチン氏への「ブーイング」が公然と行われている。
ロシアの民主主義は「管理されていた」のではなかったのか?
プーチン氏が権力を握ったのは、1999年末。
それ以来、首相(1年)・大統領(4年)・大統領(4年)・首相(3年)という長期体制を築き上げていた。
そして来年、再び大統領の座に就く「予定」である。
しかし、プーチン氏の統一ロシア党は、「不正と泥棒の党」と陰口をたたかれており、今回の選挙では「不正」の疑惑まで持ち上がっている。
今の時代に情報を操作することは、次第に困難になりつつある。インターネットの衆目監視の網は年々密になっている。
ボーリャ氏は、今の子供たちに期待している。
「この子らは、どんな情報にも侵入できます。私には無理ですが…。
子供たちの世代には、情報の壁がないのです。」
来年に控えたロシアの大統領選挙。
筋書き通りに事が運ぶのか?
それとも、新しい風が北の大地に吹き荒れるのか?
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出典:BS世界のドキュメンタリー
シリーズ ソビエト崩壊 20年 第1週 「わたしのペレストロイカ」

