韓国農家のケツに火がついた。
農業大国のアメリカとの自由貿易協定(FTA)が、催涙弾の煙に涙する中、強行採決されたのである(2011年11月22日)。
韓国はすでに多くの国々と自由貿易協定を締結済みである。
ASEAN、チリ、インド、ペルー、シンガポール、そしてEU(2011年7月発効)。
なぜに韓国は斯(か)くも積極的に「国を開く」のか?
それは、韓国の経済スタイルを見れば一目瞭然。この国のGDPの8割は「貿易」により弾き出されているのである。
すなわち、国を開けば開くほど「儲かる」仕組みが確立されているのである。
しかし、光あれば影あり。
その光が強ければ強いだけ、影となった闇は深い。
そして、その深い闇は「農家」の心をすっかりと覆い尽くしてしまっている。
たとえば、アンソン市という「ブドウ」の栽培が盛んな地域があった。
しかし、この地域のブドウ畑は、今や3分の1にまで激減。農家の6割以上が廃業に追い込まれた。
「値段が安すぎて、どうしようもなかった…」
チリとの自由貿易協定により、チリから大量に安価なブドウが韓国に押し寄せた結果だという。
韓国政府も無策ではない。
脆弱な農業を保護するために、ここ10年で1兆6,400億円もの予算を割り振ってきた。
しかし、農家の多くはその金をロクに受け取っていないという。
「規模の大きい農家だけが補助金をもらっている」
そう愚痴るのは、韓国に多いという小さな農家の爺さんたちだ。
「我々は呆れるくらいに、一番下に成り下がってしまった」
韓国の農家は、耕地が1ha未満という小規模農家が数多いのだという。
こうした干上がり易い小さな農家を、いかに保護していくのか?
これは韓国農業にとって、目下大きな課題である。
この難題解決のために「農村振興庁」の打つ手は、保護するという消極策よりは、むしろ海外に打って出るという積極策だ。
そのために掲げた目標は「強小農」。
「強く小さい農家」の育成である。
そのために立ち上げられたのが、「韓国ベンチャー農業大学」。
この大学で栽培技術を教えることはない。「経営戦術」を叩き込むのである。
毎年およそ100人の卒業生が誕生し、彼らは「強小農」として地域を牽引する役割を期待されている。
ある卒業生は、桔梗の根の加工販売により年収を7億円にまで押し上げた。

ここに学ぶ農家の鼻息は、かなり荒い。
「農業界のアップル社となります!」
「5年以内に、1億円儲かる会社を作ります!」

意気盛んな野望が、次から次へと飛び出してくる。
農業振興庁にあって強小農プロジェクトを牽引する「ミン・スンギュ」庁長は、未来の強小農を煽りに煽る。
「次の言葉を毎日繰り返して下さい。
『私は必ず、我が国で一番尊敬されるベンチャー農業企業の社長になります』」
どこかの成功哲学書さながらの勢いである。
この猛烈な勢いに押されて飛び出していった一人が、「キム・サムス」氏(44)。
彼は代々の米農家であったが、韓国のコメの消費は減り、米価は下がる一方。
しかし、成功哲学を習得してきたサムス氏にとって、こんな苦境は絶好のチャンスでもあった。
ここぞとばかりに、農地の拡大を図る。
韓国には「農地銀行」というのが存在し、その銀行が農地の売買を仲介してくれる。
どこの農地が売りに出ているのか、ネットで簡単に検索・閲覧でき、「買いたい時に使いたいだけ買える」と評判が良い。今まで3万ha以上を仲介してきた実績を誇る。
サムス氏は、この農地銀行をフル活用して、先祖伝来の2haの土地を、10倍以上の22haまでに拡大した。

しかし、米価の下落は、土地の拡大ばかりでは太刀打ちできない。
そこでサムス氏は、「黒豆」への転作に踏み切る。黒豆であれば、コメの2〜3
倍の高単価が見込める。
「即行動」を良しとするサムス氏は、豆の収穫用の機械も持たぬままに、黒豆を植えてしまった。
このサムス氏の猛烈ぶりに、地域の農家は冷ややかな眼差しを向けていた。
なにせこの地域は、150年以上も続くコメの名産地。コメ以外の作物を見かけることすら稀な地域であった。
そのため、とりわけ保守的な気持ちが強い地域の一つでもあった。
それでも、サムス氏は一向に怯(ひる)む気配を見せない。
自信に満ちて、周辺農家をけしかける。やれ、コメはジリ貧だ、やれ、土地を増やせ、やれ、諦めるなだの、騒々しいこと限りない。
その結果いただいたのが、「噛みつきサムス」というアダ名であった。
その噛みつきサムス氏の黒豆が収穫期を迎える頃、彼は珍しく弱気になっていた。
収穫を明日明日と控えたにも関わらず、肝心の収穫機械が手元にないのだ。
何度も何度も農業技術センターに支援を要請するも、煙たがられるばかりでサッパリ話を聞いてもらえなかったのだ。
役所に噛みつき過ぎたサムス氏は、門前払いを食らうのが常となっていた。
自分で買うにも金がない。
彼が欲しい機械は1億ウォン(700万円)以上もするものであった。
窮するサムス氏。
周囲の眼はますます冷ややかになる。
隣の嫁さんの眼も厳しさを増す。
「豆なんか植えて、腰が痛くてしょうがないよ!
儲からなかったら、許さないからね!」
幼い子供はギャーギャーと泣き叫ぶ。
この地域の農家の人々も、高収益の豆の栽培を考えないこともなかった。
しかし、様々な壁が、その最初の一歩を多くの農家に踏みとどまらせていた。
高額な収穫機械、コメよりも増える労働量、さらには不作のときの補償すらなかったのである。
サムス氏は、とんでもない見切り発車をしてしまっていた。

しかし、神はいた。
ギリギリの瀬戸際で、サムス氏に収穫機械を貸してくれるという農家が現れたのである。
その機械は、サムス氏の欲しかった乗用タイプの大型なものではなく、手押しタイプのとても小さなものだった。
それでも、サムス氏はその小さな機械を必死で押して、広大な豆畑を何往復も何往復も繰り返した。
最後の最後で大逆転。
黒豆の収穫量は8トンにも上り、その収益は8千万ウォン(560万円)。見込みよりも100万円も多い収入増となった。
サムス氏の渡った危ない橋の先には、嬉しすぎる「ご褒美」が待っていたのだ。
サムス氏の成功に、彼をバカにしていた近隣農家の眼の色も変わる。
「来年、オレも黒豆植えてみようかな…」
この成功にスッカリ気を良くしたサムス氏は、すでに「輸出」の計画を立て始めている。
あまりのお調子ぶりに、嫁さんは呆れるより他にない。
「また仕事を広げるの? やれやれ…」
しかし、彼女の顔には微笑みが浮かんでいる。幼い子供も安らかに眠っている…。
韓国には、およそ120万の農家があると言われる。
その内、サムス氏のような強小農は、まだ1万5,000程度。たったの1%程度である。
しかし、この強小農の勢いは侮れない。
危ない橋から落ちてしまう強小農もいるかもしれないが、確実に成功を手にしている強小農も少なくない。
農業振興庁の計画では、強小農の数が10万にまで増えれば、その勢いは一気に加速するものと睨んでいる。
先に記したように、韓国には農地銀行という土地の売買をスムーズに仲介するシステムも完備されている。
農業を辞める者は土地を売り、やる気のある者に土地が集約されていくのである。
韓国農業には、すでに火がついている。
強小農たちは、さらに自分のケツに火をつけ、猛烈に変革を巻き起こそうとしている。
ここにあるのは、自由貿易協定の是非論ではなく、強小農たちの信じ切る「未来への希望」なのである。

サムス氏は、今日も噛みついているのだろうか?
泣いたり笑ったりと、周囲が呆れるほどに彼の人生には落ち着きがない。
しかし、彼はこう思っていることだろう。
「溶けかけている氷塊の上で、安穏と腰を落ち着いている場合ではない」、と。
自らのケツに火を着けるのは、彼の喜びでもあるのだから…。

「前途に道がない?」
「だから面白いんだろ」
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出典:ドキュメンタリーWAVE
「自由化を迎え撃て〜韓国 農村改革のゆくえ」