富士山ほどの高さにある「塩田」。
インカ帝国の名残りとも言われる「マラス」の塩田である(南米ペルー)。
日本の棚田や段々畑のように、峻厳な山の斜面に巧妙に作られている。
インカ文明の遺跡といえば、「マチュピチュ」が思い起こされる。
マラスの塩田もマチュピチュの遺跡さながら、険しい山岳の中に忽然と現出する。
しかし、マラスの塩田は遺跡ではない。現在でも毎年「塩」の生産が続けられている。
一枚一枚の塩田はそれほど大きくなく、その枚数は3,200を超えるほどあるのだという。それぞれの塩田には所有者がおり、およそ400名の村人が作業に携わっているとのこと。
塩水と土とをよくコネ合わせれば、その泥はコンクリートのように硬くなる。この性質を利用して、塩田の「土手やあぜ道」は一つ一つ丁寧な手作業で構築されている。

ところで、なぜ標高が3,000mを超えるような高地に「塩水」が湧き出ているのか?
それは、6千万年前の大陸大移動によって、かつては海であったこの地が、一気に山上へと押し上げられたからだという。
隆起した山中には、海水の塩分が固まりとして残され、それが湧き水に溶かされながら、マラスの塩田へと流れ込むのである。
驚くのは、その湧き出る塩水の「塩分濃度」である。
なんと20%を超える。海水の塩分濃度が3%程度であるのだから、マラスの塩水は海水の7倍もあることになる。
この極めて濃厚な塩水が、高山の強い日差しに晒(さら)されることによって、この地の塩は「独特な姿」へと変貌する。
とにかく、「塩の結晶が大きい」。
普通のサラサラした塩(0.4mm)の10倍も20倍もデカい(1〜10mm)。まるでアラレのようだ。
塩の結晶がケタ違いに大きいため、「食味」も全く別物となる。
普通の塩は舌の上ですぐに溶けるため、「刺すような塩味」となるのに対して、マラスの塩は、舌の上でユックリと溶けるため、なんとも「柔らかい塩味」となるのだそうだ。
マラス特有の塩味を、あるフレンチの料理人は高く評価する。
「マラスの塩は、新たな味覚への扉を開いてくれる。
この塩から生み出される独特の妙味は、他では決して味わえない」
マラスの塩田は、インカの昔、はるか600年の伝統なのだという。
この山岳の奥地は、幸いにもスペインによる征服の魔の手の少し外側にあったようだ。
塩田での作業は、インカ時代さながらであり、手で作り、手で運ぶ。
干し上がった塩を集めるのは、一枚の板切れであり、収穫した塩をいっぱいに詰めた袋(50〜60kg)は人力で倉庫まで担ぎ上げられる。
それは、急峻な山道を人間一人を背負って登り降りするようなものである。村人たちは一日に何十回となく往復を繰り返す。

これほどの重労働に、「効率化」を望む声も当然上がる。
たとえば、塩田にビニールシートを敷いておけば、そのシートを剥がすだけで、あっという間に塩が集められる、といったような若い声である。
しかし、その声に首を縦に降る人は少ない。やはり、伝統という重みは計り知れないのだろう。
そのため、彼らの生活は「不便」に満ちている。
あらゆる作業を皆で協力し合わなければ、何事も成すことができない。
共同の水路は皆で補修し、道も橋も皆で作る。
こうした共同作業は、インカ以来の「アイニ(相互扶助)」なのだという。
山岳地帯という何事にも不便な地だからこそ、この相互扶助の精神は、今なお根強く息づいている。
「♪今日はあなたのために ♪明日は私のために♪」

しかし、我々がより驚くのは、相互扶助による共同作業ではない。
その「利益分配」の方だ。
塩田の所有者たちは、持っている塩田の枚数がそれぞれ違う。2〜3枚しか持っていない人もいれば、数十枚も持っている人もいる。
ところが、3ヶ月に一度配分されるお金は、「皆一律」である。今回は皆100ソル(およそ3,000円)だった。
「平等を大事にしなければ、塩田を放棄する人が出てきます。
誰かが独り勝ちするのではなく、みんなで塩田を守っていかなくてはなりません」
600年も続いてきた相互扶助の精神は、我々の想像を容易に超えるものである。
彼らは決して裕福なわけではない。
近年では、貯蔵庫に塩の「在庫」が山と積み上がり、塩が売れなくて困っている。
外国による大規模経営の安い塩に大いに押されてしまっているのだ。
その苦境に、マラスに魅せられたある実業家は協力を申し出た。
マラスの塩を様々な商品に用いたりと、販売に工夫してくれたのだ。
彼はこう言う。「世界にはヒマラヤや死海などの珍しい塩はあるが、マラスのようにインカから続く長い歴史を持つ塩は他にない」。
ここに来て、村人たちが頑なに細々と守ってきた伝統が、大きく脚光を浴びたのである。
実業家は語る。「私たちは塩を売っているのではありません。
その背景にある神秘に満ちた伝統と歴史を売っているのです。」
果たして伝統はどこまで続くのだろうか?
日本にも塩田は多かったであろうが、今や…。
便利になりすぎた日本には、相互扶助という言葉も虚しく響く。
幸か不幸か、マラスの地は不便なままに残されている。
そして、時が止まったかのように、市場で物々交換が行われていたりもする。
なんとインカの皇帝(シンチロカ)の末裔までが、ちゃんといるのである。
彼らの姿形が我々日本人と似通っているだけに、その違いには余計に驚かされる。
世界の最先端を走る日本、600年の歴史の中に留まるインカの末裔たち。
インカの民と日本人は、あたかも対極に位置しているかのようである。
インカの言葉では、塩を「カチ」というのだそうだ。
「カチ、カチ、カチ」と繰り返すと…、「チカ」に聞こえてくる。
「だから、塩田は美しいんだよ。
『チカ』は女性。女性は美しいだろ」
大変な塩田作業の手休めには、こんなノン気なやり取りに皆が微笑んでいる。
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出典:地球イチバン
「地球でイチバン高い場所にある塩田」〜ペルー・マラスの塩田〜

