「ダイヤモンドの歌は聞こえたかい?」
そう言うのは、ダイヤモンド研磨の詩人とも称せられる「ガビー・トルコウスキー」氏。
ここはダイヤモンドの町「アントワープ(ベルギー)」。
彼はダイヤモンドを研磨しながら、ダイヤモンドの「歌」に耳を傾けている。
少しずつ少しずつ角度を変えながら、ダイヤモンドが磨いて欲しいところを、磨いて欲しいだけ磨いてあげる。
ダイヤモンドが歌う通りに磨いてやれば、そこには世にも稀な輝きが現出するのだという。

ダイヤモンドの「原石」は、一見すると単なる「ガラスくず」のように冴えない。
しかし、それがひとたび磨かれるや、ダイヤの原石が「鳳凰のヒナ」であったことを万人が思い知るのである。
なぜ、その原石が冴えないかというと、その内部に「光」が入りにくいからである。
ところが、原石を研磨することで、ダイヤの内部に光が入り易くなる。
「研磨して光が入るようにしてあげると、ダイヤモンドが喜ぶんだよ」
ダイヤの詩人・ガビー氏はそう語る。
「ダイヤモンドにとって、光は最高の喜びなんだ」
光が入れば入るほど、ダイヤの歌は澄んだ美しさを高らかに響かせる。
ダイヤモンドの美しさを最大限に引き出すのは、人間たちが考え出した「カット」の技法である。
ダイヤの詩人・ガビー氏のおじいさん(マーセル氏)は、ダイヤモンドを最大限に光輝かせようと「ブリリアント・カット」という優れた技法を編み出した。
完璧な「ブリリアント・カット」を施されたダイヤモンドを見てみよう。
まず、真上から眺めると「8つの矢」が現れる。
そして、今度は真下から覗いてみると「8つのハート」が現れる。

マーセル氏は「数学者」でもあり、光の反射を計算することには誰よりも長けていた。
ダイヤモンドというのは「入って来る光」を「大きく曲げる」性質をもつ(光の屈折率が高い、2.42)。
野球のボールを光とすれば、そのボール(光)はダイヤモンドの中に入ると「大きくカーブ」するのである。
この屈折率が大きいほどに、内部に入った光は「反射」しやすくなる。
ブリリアント・カットされたダイヤモンドでは、その巧みなカットによって、ダイヤの中で光が何回も何回も反射を繰り返す(全反射)。
すると、反射を繰り返した光は「虹色」となって、ダイヤモンドを飛び出して来る(ディスパーション)。
ちなみに、反射の回数が少なければ「白い光」となる(ブリリアンシー)。また、表面的な反射はシンチレーションと呼ぶ。

マーセル氏が計算を尽くした「ブリリアント・カット」は現在のダイヤ研磨のスタンダードとなっている。
というのも、彼は「ダイヤモンド・デザイン(1919)」という著書により、その秘技を余すところなく世の中に広め伝えたからである。

こうしたマーセル氏の偉業もあって、彼の一族はダイヤモンド界に大きな根っこを張ることができた。
繰り返すが、冒頭のダイヤの詩人・ガビー氏は、マーセル氏の孫である。
ダイヤの詩人・ガビー氏は、日夜新たなカットを求めて試行錯誤している。
かつて彼がカットした「センティナリー・ダイヤモンド(1991)」は世界的な評価を受けた。
それは世界で4番目に大きなダイヤモンド(273カラット・54.6g)であり、内部・外部ともに無傷の最高ランクの逸品である。

現在のダイヤモンドの研磨はコンピューターを駆使して行われるが、ガビー氏は今でも手作業を大切にし、ダイヤモンドの声に耳を澄ます。
センティナリー・ダイヤモンドを手がけた時も、初期の仕事は全て手作業で行われたという(ダイヤを暖めたり振動させないように)。そして、それは154日間にも及んだとのことだ。
結局、最終的に仕上げるまでには「3年」を要した。
精緻に研磨されたダイヤモンドは「247面」(ブリリアント・カットの58面と比べれば、その巧みさが窺い知れる)。
「研磨するたびに、ダイヤモンドは新しい美を見せてくれる」
そんなダイヤモンド一家のガビー氏の祖先はベルギーへの「移住民」。
ダイヤモンド界の多くは「ユダヤ系」であり、そのほとんどが国外からの移住民である。
ベルギー第2の都市・アントワープは世界最大の「ダイヤモンドの街」であるが、中央駅前の「ダイヤモンド通り」には全身黒に黒の山高帽子をかぶった典型的なユダヤ人の姿が多く見られる。
ユダヤ人たちは、歴史の波に揉まれ揉まれて「ベルギー」へと流れ着いて来たのである。
かつて、ヨーロッパ大陸の大国はキリスト教一色であり、ユダヤ教徒というだけで肩身の狭い時代が長かった。
さらには、第二次世界大戦時にヨーロッパ大陸を席巻したナチス・ドイツは、徹底してユダヤ人を迫害した。
現在のダイヤモンド界の重鎮たちは、そうした大嵐の中をベルギーという中立地で隠れるように生き抜いたのである。
そして、そのことがベルギーをして世界最大のダイヤモンド国へと仕立て上げたのである。現在では、世界に流通するダイヤモンドのうち、じつに8割がベルギーに集められている。
ダイヤモンドの生産地は、ロシア(23%)、ボツワナ(20%)、コンゴ(18%)、オーストラリア(13%)、南アフリカ(9%)、カナダ(8%)などなど。
これら上位6カ国だけで、世界シェアの90%以上を占める。

なぜ、ダイヤモンドはこうした特定の地域にしか算出しないのか?
それは、大陸の成り立ちと深い関係がある。ダイヤモンドが出る場所は、何億年も動くことがなかった「安定陸塊」と呼ばれる地域にしか存在しないのである。
ちなみに、ここ数億年で動きのあった地域は「造山帯(古期・新期)」と呼ばれ、ダイヤモンドはまず見つからない(日本列島は新期造山帯)。
安定陸塊だからといっても、ヒョイヒョイとダイヤモンドが出て来るわけではない。
ダイヤモンド1kgを取り出すには、5,300トンもの自然原料を処理しなければならないのだという。単純計算で530万分の一の希少性である。
そして、その希少な鉱物を何十倍、何百倍にも輝かせるのが、ガビー氏などの研磨師たちである。
現在では、ベルギーで研磨することは稀で、中国・インド・イスラエルなどに原石が送られて、研磨されたあとにベルギーへと戻される。
ダイヤモンドの品質を評価するのは「4C」と呼ばれる国際基準である。
4Cとは、色(Color)、透明度(Clarity)、重さ(Carat)、研磨(Cut)。
色(Color)は「無色」に近いほど高評価で、黄色がかっているほど評価は下がる。ただし、希少な色(ビンク・ブルー)などは、無色よりも高く評価されることもある。
透明度(Clarity)は、10倍に拡大して不純物(内包物)・キズの有無を確認する。
重さ(Carat)は0.2gを1カラットとして評価。
ここまでは、ダイヤモンドが「本来持つ価値」に対する評価である。
そして、最後の研磨(Cut)に対する評価は、人手に対する評価である。ほんのわずかなカットの「ずれ」がダイヤモンドの価値を大きく損ねることもある。
世界一硬いダイヤモンドを、何で削るのか?
目には目を、歯には歯を、ダイヤモンドには…? ダイヤモンドの粉をオリーブオイルに混ぜて研磨する(ダイヤは水を弾くものの、油には馴染みやすい)。
研磨の技術により、ダイヤの原石は最低でも2倍以上の価値に跳ね上がる。
その命運をわける研磨がガビー氏ほどの卓越した職人の手にかかると…、
ちなみに、彼の手がけたセンティナリー・ダイヤモンドには公式に値段がつけられたことはない(現在はブルネイ王室に保管されている)。
ベルギーでダイヤモンドに関わるユダヤ人たちが、決まって口にする言葉がある。
それは「誠実」、そして「信頼」である。
時にはプライスレスとも成りうるダイヤモンドに対して、相応の保証には限界がある。
そのため、仲買人を介してなされる売買には「契約書」が存在しない。
取引が成立すれば、ただ「マザール」と言って「握手」をするのである。
「マザール」とはユダヤ語で「チャンス」や「神の御加護」という意味である。
現在、この言葉はダイヤモンド取引における「世界共通語」なのだという。
そして、同時に交わされる「握手」の意味合いは計り知れないほどに「重い」。仲買人がダイヤモンドの買い手を「天秤にかける」ことなどはないのだという。

こうした信用取引において、ユダヤ人であるという信頼は極めて高い。
歴史上、彼らは金銭価値以上の信頼を培ってきたのであり、その存在そのものが信頼となっているのである。
それが、現在においてもユダヤ人たちがダイヤモンド取引の中核をなしている理由でもある。彼らの信頼の歴史は一族を通して、脈々と受け継がれて来ているのである。
ひるがえって、現在のヨーロッパ金融危機を眺めてみると、そこに信頼の影を探すことは極めて困難で、「不信・疑心」のみが渦を巻いて恐しい悪循環を加速させている。
数字やデータのみで取引される「信頼」のいかに儚(はかな)きことか。
現在の金融市場には「不純物」が満ち満ちており、ダイヤモンドであればその価値は最低の「I(Imperfection)」、肉眼でも容易に不純物やキズが確認できるレベルかもしれない。
一転、ユダヤ人たちが大切に守り続けてきた信頼は、おそらくダイヤモンド最高ランクの「FL(Flowless)」、10倍に拡大しても不純物やキズが見られないほどに透き通っているのだろう。
そうした純粋な信頼があって初めて、世界最高のダイヤモンドを安心して取引できるのである。
邪推うずまく金融市場、純粋さの輝くダイヤモンド界。
面白き対照をなしている。
ここに想うのは、表面的な真似事の危うさ・脆さである。
現代の金融市場は数字やデータが全てであり、格付け機関の信用格付けに一喜一憂しているお粗末さである。
そうした浅い信頼はダイヤモンドの輝きに例えれば、表面的なチカチカとした光(シンチレーション)に過ぎない。
かたや、本来あるべき信頼の姿は、ダイヤモンドの内部で何回も何回も反射して、ついには虹色へと昇華するディスパレーションとでも言えようか。
不純物を内包していては、理想の輝きに近づくことは叶わない。
ダイヤの詩人・ガビー氏の後継者は「誠実さ」という言葉を口にした。
純粋な信頼は、誠実さという土壌の上に育つものなのだという。
彼らが継承するのは、こうした「誠実さ」なのであり、決して小手先の技術ではない。
だからこそ、マーセル氏(ガビー氏の祖父)は最高の研磨技法(ブリリアント・カット)を、惜しげもなく皆に公開したのであろう。
真似られる部分は真似れば良い。
しかし、真似できないモノもある。
それこそが、教えたくても教えられず、頭だけでは決して分からないことなのであろう。
それは、各自がそれぞれの心の内に「種」から育てなければならない。
そして、その種が発芽するのは「誠実さ」という土壌のみである。
たとえ芽を出したとて、丁寧に丁寧に育てなければ、すぐに傷つき枯れてしまう…。
邪心と疑心に満ちた世界経済は、先の見えない苦闘を続けている。
資本主義社会に未来はないのか? 暗澹たる問いは繰り返される。
しかし、本当の信用取引の姿は、じつに輝かしい。
ダイヤモンドを扱う人々を知れば、現代社会の未来にも希望が見えてくる。
苦難の時にあっても、たゆまぬ研磨を続ければ、世界の光はあらゆるところで照り返し、何十倍、何百倍にも輝く可能性があるのではなかろうか?
原石を多少削り損ねたからといって、ポイ捨てしてしまうには実に惜しい。
機械でうまく削れないのなら、人の手で磨き上げなければならない。
小さな小さな声に耳を澄ましながら、丁寧に丁寧に時間をかけて…。
「ダイヤモンドの歌は聞こえるかい?」
「君のダイヤモンドの8つのハートは、キレイな形をしているかい?」

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出典:地球イチバン
「ダイヤモンド 地球イチバンの街」〜ベルギー・アントワープ〜