日本に「火山」が多いとはいえ、そうそうしょっちゅう「噴火」ばかりしているわけではない。
ところが、世界にはしょっちゅう噴火ばかりしている場所もある。
シチリア島(イタリア)の「エトナ火山」が、その一つである。

今年だけで、すでに16回も噴火して、その度に「溶岩」が流れ出している。
単純に計算すれば、一ヶ月に一回以上は溶岩に襲われていることになる。
この地に暮らす人々にとって、火山の噴火はそれほどに「日常茶飯事」なのである。
「溶岩が来たぞ!」という叫び声は、決して狼少年のものではない。
歩いている時、寝ている時…、それは突然訪れる。
幸い、溶岩流というのは、走って逃げることもできるらしい。
逃げる時は、溶岩に背中を向けてはならないという。
必ず溶岩のほうを向いて、「降ってくる溶岩」をよけながら逃げるのだそうだ。
ウソのようなホントの話、ゲームのような現実である。

エトナ火山の周辺には、300を超える「火口」が存在する。
「マグマ」が地表近くまで迫っているところもあり、足元の岩の隙間からは、炭火のように赤々と燃えたぎるマグマが垣間見られる場所すらある。
山肌は熱気でムンムンとし、場所によっては岩の表面が300℃にも達している。
ひとたびエトナ山が噴火すれば、溶岩があふれ出て、大量の火山灰が降り注ぐ。
3,000年以上にわたって、人々はこの地で火山とともに暮らしている。
エトナ火山は「恐怖」でもありながら、「恵み」でもある。
できたての溶岩は、「発泡スチロール」のように軽く脆(もろ)いというが、100年もすると、「大理石」のようにガッチリするのだという。
この地の家々は、こうした溶岩で出来ている。
断熱性に優れた溶岩は、地下のワイン貯蔵庫を冷房なしでも最適な温度に保ってくれる。
家々には必ず「溶岩プレート」があり、その上で「焼きモノ」をする。たいそう美味になるのだとか。
シチリアのワインも、火山灰の上に育つ。
火山灰にはミネラル(鉄・カリウムなど)が豊富で、いわば天然の肥料である。それが空から定期的に降って来る。
ブドウ畑は、人々が住む場所よりも、あえて火山に近い場所に作られることが多いのだという。
「ブドウ畑は溶岩に流されないのか?」
流されることもあるらしい。
「流されても、また作る。その繰り返しさ」
ブドウ農家の男は、当然のようにそう話しながら、自慢のワインを傾ける。そうしたリスクがあってなお、火山灰の養分が豊かな土地には、大きな魅力があるらしい。
標高3,300mほどのエトナ火山は「観光地」にもなっており、年間100万人以上の人々が足を運ぶ。
ロープウェイやリフトなども完備され、標高2,500m付近までは、歩かずに登っていけるのだ。
「危険はないのか?」
危険はある。1979年の大噴火の時には、登山客9人の生命が失われた。
当時、火口付近にいた登山ガイド「オラッツィオ」氏は、その様子を語る。
「溶岩は1,000mを超えるほどの高さに噴き上がった。
そして、我々の目の前にも次々と溶岩が飛んで来たんだ。
不幸にも、その一つが登山客に当たってしまい、尊い生命が…」

それ以来、オラッツィオ氏は登山のガイドを辞めてしまった。
「いかに自分が未熟だったか…、悔やんでばかりいる」
数年後、失意のままのオラッツィオ氏のもとに、ある少年が訪れる。
その少年は義足だった。あの噴火の時に、脚を失っていたのだ。あの日、少年はオラッツィオ氏とともにあった。
義足の少年は、オラッツィオ氏にこう言ったという。
「もう一度、一緒にエトナ山に登ろう。
僕はエトナ山を少しも恨んでいないよ」
少年の言葉に生気を取り戻したオラッツィオ氏は、自分のなすべきことを悟る。
エトナ山のことを誰よりも知っている自分のなすべきことを…。
オラッツィオ氏の復帰は、シチリアのある街を溶岩から救うこととなる。
1983年の大噴火から出た溶岩の量は凄まじく、3ヶ月経ってもなお流れ続けていた。
「このままでは、麓の街が飲み込まれてしまう」
その街は人口3万人。恐ろしい被害が予想された。
この危急に、男たちは立ち上がる。
「溶岩の流れを変えるんだ!」
その計画は、ダイナマイトで爆破して、「新たな溶岩の道」をつくるという極めて困難なものであった。
流れ続ける「溶岩の河」に近づくことすら容易ではない。
オラッツィオ氏は、灼熱の溶岩の流れを見極めようと、ジッと溶岩の流れに目を凝らす。汗は止めどなく流れ落ちる。
神経を研ぎ澄ましていると、ふっと溶岩の雰囲気が変わったような気がした。それは、長年溶岩を見続けてきたオラッツィオ氏だけが知る「溶岩の声」であった。
「今だっ!」
ダイナマイトは溶岩のカベを吹き飛ばし、見事に溶岩の河は流れを変えた。まるで、街を避けていくかのように。
オラッツィオ氏は語る。
「大自然を前にすれば、人間の出来ることなどホンの僅(わず)かしかない。
それでも、その僅(わず)かなことを精一杯やる。
それが、私の役割なんだ」
エトナ火山とともに生きる人々は、火山の物語を子供たちへ丁寧に語り継ぐ。
それは、いつ襲ってもおかしくない災害に備えるためでもある。
ある街には、「溶岩の教会」というものがある。
その教会は、350年前の大噴火で溶岩に飲み込まれた。
ところが、全てのものを焼き尽くした溶岩は、なぜか、マリア像だけを焼かずに去って行った。
土地の人々は「このマリア像が、災害を忘れてはいけないと私たちに教えてくれているのです」と話す。

人間はややもすると「自然を支配できる」と勘違いしてしまうこともある。
しかし、本当の自然を知る人々は、決してそうは思っていない。
山の男・オラッツィオ氏は、こうも語る。
「自然に逆らうことは決してできない。
しかし、幸いにも、私たちは自然とうまく付き合う知恵を受け継いでいる」
オラッツィオ氏は、エトナ山が一番よく見える場所に家を建てた。
朝起きれば、一番にエトナ山に挨拶をする。
火山ばかりを見ているオラッツィオさんに、心中穏やかでないのは彼の奥さんだ。
そんな彼女が「噴火」したのは、誕生日のプレゼントがまさかの「溶岩」だった時…。
オラッツィオさんは、こちらの火山にも決して逆らうことはできないようである。
いやむしろ、本当に恐いのは…。
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出典:地球イチバン
「地球でイチバン噴火する火山」〜イタリア・エトナ山〜