それは、夜の気温が「2℃」を下回った時だった。
山々の木々が「秋の色」へと姿を変え始めたのは…。
彼らはまるで測っていたかのように、その時を「知った」のだ。
ひょっとしたら、どこからともなく現れた「一面の霧」が何かを伝えたのかもしれない…。
ここは、涸沢カール(長野県・穂高連峰)。
登山家の間では、「日本一の紅葉」との呼び声も高い場所である(標高:2,300m)。
「山を始めたならば、一度はこの目で見てみたい」と言わしめるのが、「燃える涸沢(からさわ)」。
この地の紅葉は、「赤・黄・緑」と色とりどり。
赤は「ナナカマド」、黄は「ダケカンバ」、緑は「ハイマツ」。
それらの役者たちのベースとなるのが、黒々とした岩山と抜けるような青空である。

なぜ、気温が2℃を下ると、一斉に紅葉が始まるのか?
それは、葉の中の「クロロフィル(緑色)」が抜け始めるからだという。
そして、その代わりに現れるのが「アントシアニン(赤色)」。
このアントシアニン(赤色)は、「紫外線」が強いほどに強く出てくる。
どうりで、山々の紅葉は色濃いわけだ。山の紫外線は、平地の1.5倍は強い。
紅葉というドラマは、人間の目を楽しませてくれる反面、当の植物たちにとっては、生き残りをかけた熾烈な「生存競争」でもある。
植物たちの敵となるのは「低温」と「紫外線」。
この強敵に対抗すべく、木々はその葉を色付かせ、そして落とす。
低温になるほどに、葉っぱの「光合成」は鈍る。
そうなると、葉っぱは植物本体に十分な栄養を供給できなくなる。それは光合成をするための「クロロフィル(緑色)」が低温で抜けてしまうからである。
すると、働き手であった葉っぱたちは、せっかく貯め込んだ栄養を「消費」するだけの存在になってしまう(呼吸するため)。
葉っぱたちにとって、植物本体の「お荷物」になることは本意ではない。
ここで、葉っぱたちは悟るのだ。「散ろう…」と。
そう悟った葉っぱたちは、幹に送っていた「オーキシン」の供給を止める。
幹は葉っぱからのオーキシンが止まったことで、葉っぱの覚悟を知る。
そして、ひと思いに葉っぱを落とす…。
なぜ、葉っぱは落ちる前に色付くのか?
それは、有害な紫外線から「新しい芽」を守るためだと言われている。
来春の芽は、冬が来る前にできている。
しかし、その芽はまだまだ弱い状態で、有害な紫外線から守ってあげる必要がある。
一年を通して、紫外線が最も強まるのは「夏」であるが、生まれたばかりの弱々しい存在にとっては、秋の紫外線とて侮れない。
そこで、葉っぱたちが身を呈するのである。
紫外線は葉っぱの影になることで、極端に弱まる。それは、重なり合った下の葉っぱの色付きが甘くなることからも明らかである。

葉っぱが色付いている期間は、それほど長いものではない。
しかし、短いとはいえ、その間に新しい芽は抵抗力を高めることができる。
紅葉の期間というわずかの差が、新芽のその後の「運命の別れ道」ともなりうるのである。
強く色付いた葉っぱほど、強く紫外線を防いだ勇姿とも言える。
充分な仕事ができなくなった葉っぱは、最後の最後まで防戦を続け、そして、潔く散るのである。
そのお陰で、次代の芽は見事に守られるのである。

ところで、紫外線はどれほど有害なのだろう?
現在の地球は「オゾン層」に守られているため、宇宙からの紫外線の悪影響は十分に弱まる。
しかし、長い長い地球の歴史を見れば、宇宙からの紫外線によって、地上の生物が生き絶えたであろう痕跡も残っている。
それは、何らかの理由(宇宙からの放射線など)によって、地球のオゾン層が破壊されたことがあったためであろうと推測されている。
植物たちは、そうした長い歴史の一端を知っている。
紫外線がどれほど危険か、身を守るためにはどんな防御策が必要なのかを。
そして、紫外線を守る地球のオゾン層とて永遠ではないということも。
山々を見事に彩(いろど)る紅葉には、幾多の死を乗り越えてきた植物たちの深い知恵が眠っている。
無知な人間とて、その場に居合わせれば何かを感じるのであろう。そこには美しさ以上に、心を奪う何かがある。
地面に落ちた葉っぱは満足げである。
然るべき役目を果たし終えた誇りが、カラカラに乾いた足元の葉っぱから伝わってくる。
小さな生物たちは、落ちた葉っぱをありがたく頂き、また別の生をつなぐ。
こうして有機物であった落ち葉は、無機物へと姿を変える。
落ち葉が無機物とまでなることで、ふたたび木々の根っこがそれを吸収することができるようになり、それは新たな花や葉っぱの恵みとなる。
大自然から「ムダ」を探すのは難しい。
反面、人間の社会では、ムダを探すことほど容易なことはない。それは、然るべき繋がりが失われ、然るべき循環が途絶えてしまっているからだろう。
紅葉という献身、そして落葉という献身。
ここには、然るべき繋がりを生み、然るべき循環を維持する大いなる知恵が宿されている。
山々が色付き、そして冷たい風が吹くほどに、己の不明を深く感じるばかりである…。

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出典:アインシュタインの眼 「紅葉 穂高連峰 色彩の物語」