2011年11月30日

ムダのない茶室の美を受け継ぐ男たち。彼らが「仕事」を見せることはない。


「できるだけ『仕事』をしない」

大工である「斎藤光義」氏は「仕事の真髄」を問われて、こう語った。



彼の手掛けるのは「数寄屋建築」。

数寄屋建築とは、ムダのない洗練された美を誇る日本の伝統建築である。

z2.jpg


その起こりは安土桃山時代。千利休などの茶人たちは「虚飾」を嫌い、内面を磨いて客をもてなすことに専心していた。

そのため、茶人たちの数寄屋建築では、従来の「書院造り」が重んじた「格調や様式」を極力排除したものが求められることとなったのだ。



ムダを徹底して排除している数寄屋建築に、「仕事の跡」を一切見せたくない。

斎藤氏は、そう考えているのだ。

z1.jpg


実際の彼の仕事は、「突き詰めて、突き詰めて、突き詰める」というほどに突き詰め抜いたものである。

たとえば、10本の柱を選ぶのに、少なくとも100本の柱を吟味する。



小さな「くぼみ」も見逃さない。かといって、完璧さを求めているわけではない。その木が本来持つ個性を、どうすれば生かせるのか、それを思案しているのである。

くぼみやコブなどは木の欠点ではなく、使う場所を間違わなければ、大いに「魅せる」ことができる。

「このくぼみが影になって出てくる。それがまた景色となって楽しめるのです」



ある暑い夏の日、メインの柱すべてに「割れ」が入ってしまう。そんな状況でも、斎藤氏は怯まない。

「木は割れて当たり前。

それを自分たちの技術で何とかしたらいいだけです」



斎藤氏が大工の世界に足を踏み入れたのは、成人間もない若き日だった。

当時の彼は絶望に押し潰されていたのだという。

先天的な糖尿病と診断され、心身を賭けていた野球の道を絶たれてしまっていたのだ。



道が塞がれ、自暴自棄となっていた斎藤氏。

そこに突如として開けた新しい道。それが大工への道だった。



彼は幸運にも良き師に恵まれた。

その師とは、「中村昌生」氏。数寄屋建築の第一人者である。



メキメキと頭角を現した斎藤氏は、35歳の若さで大仕事を任せられる。

その大仕事は順調に進み、無事に上棟式(建前)を迎えた。

その時である。師である中村氏がトンでもないことを言ってきたのは…。



「すべての柱を取り替えろ」

すでに組み終えている柱をすべて取り替えるということは、すべてを一からやり直すことである。

師の言葉に斎藤氏はア然となるも、全身全霊をもって仕事を完遂した。



そうして出来上がった建築は、目を見張るほどに素晴らしい出来であったという。

一時は反発しかけた斎藤氏の心も、師の勇気ある決断の理由を悟った時には、深い感謝の念に打たれていたという。

「美の追求」とはそれほどに厳しいものだったのだ。

この初仕事は、新しい親方としての見事なる船出となった。



現在の斎藤氏は、かつての師である中村氏のように、後続の若手を育てる立場にある。

とりわけ斎藤氏が目をかけているのが、若き太田氏である。すでに大事な仕事を任せられるほどになっている。



とはいえ、経験の差というのは、そうそう埋まるものではない。

「大工は積み木」

斎藤氏がそう言うように、一日一日積み上げていった結果が大工の実力となる。



その差が明らかとなったのは、ある「床柱」を選ぶ時だった。

床柱とは、床の間に使われる柱で、「床柱を見れば、建物全体の程度がわかる」と言われるほどに重要な部材である。



候補となった2本の床柱を前に、斎藤氏は考えあぐねていた。どちらか一本を選ばなければならないのだ。

どちらの丸太も完璧である。しかし、両者はまるで違う。

一本は見た目が「スッキリ」しており、作業がし易すそうである。もう一本はデコボコと「クセ」があるが、うまく生かせばかなりの味を出せそうだ。

z3.jpg


一日中にらめっこして斎藤氏が選んだのは…、

クセのある方だった。

しかし、今回はこの難しい選択を若手の太田氏に任せようとも考えていた。



そこで、斎藤氏は太田氏に2本の丸太を見せ、どちらかを選ばせた。

すると、太田市は2本の丸太を一瞥しただけで即決。

「こっちです」と指さしたのは、スッキリした方の丸太だった。そちらの丸太は、斎藤氏が悩みぬいて苦渋の決断をした方の丸太ではなかった。



斎藤氏の心中は穏やかではない。

しかし、斎藤氏は何も言わない。「期待して待つ」ことにした。

「ようやく親方の気持ちがわかってきた…」、そう斎藤氏はつぶやいた…。



そんなある日、太田氏はなぜか、2本の丸太をもう一度見る気になった。

z4.jpg


そして、じっくりと見た。一瞥しただけの以前とは違い、丁寧に丁寧に丸太を見ている。

隅々まで吟味の結果、選んだのは…、やはりスッキリした丸太の方であった。



若き太田氏の決断を、斎藤氏は尊重する。

「それも良し」

それがたとえ自分の決断とは違うとしても…。



伝統というのは、こうして受け継がれていくものか。

新しい後継者は、新たな決断を下した。

そして、その新しい決断のもと、着実に建築は進んでいる。



500年の昔から続く日本の伝統建築。

それは変わらなかった歴史ではないのだろう。

そこに関わった人々の意志は、少なからず伝統の中に息づいている。



皆が一輪ずつの花を持ち寄り、伝統に花を添えてゆく。

そして今、新たな花がそこに添えられたのである。



もし、その添えられた花に然るべき美が宿っていなかったのならば、伝統は容赦なくその花を切り捨てるのであろう。

人は選べるようでいて、本当は選べないのかもしれない。

人智を超えた伝統という美だけが、残すべきものを残してきたのである。




関連記事:
世界を虜にした「穴のあいたカバン」。ドン底からの奇跡。

名車「フェラーリ」をデザインした日本人「奥山清行」。世界を制した彼は、日本の技術に新たな息を吹き込んでいる。



出典:プロフェッショナル 仕事の流儀
「突き詰めた先に、美は生まれる〜数寄屋大工・齋藤光義」




posted by 四代目 at 06:08| Comment(0) | 企業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: