2011年11月14日

本当の自分と望まれている自分のギャップに苦しむ「犬たち」の話。


チベットの仏教寺院では、「獅子犬」と呼ばれる毛むくじゃらの小型犬が大切にされているという。

仏教の古い経典には、「釈迦が獅子(ライオン)を忠実なシモベとし、教えを守らせた」とあるそうで、仏教では獅子がとりわけ珍重とされていた。

敦煌の弥勒菩薩の両脇には獅子が控え、弥勒菩薩は獅子に乗る。引いては神社の狛犬にも通ずる。



ところが、仏教発祥の地であるインドにいるライオンは、残念ながら中国にはいなかった。

そこで、登場したのが「獅子犬」というわけである。

僧侶たちは毛深い犬を選んで交配を続け、ライオンの如きこの犬を生み出した。

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交配が続くと、獅子犬はみるみる可愛さを増していった。

そして、獅子犬の愛くるしさは、この犬をして寺院に留め置くことはできなくなった。

中国の皇帝たちに愛され始めるや、獅子犬は歴代王朝において門外不出とされるようになった。

もし、宮廷の外に持ち出そうものなら即刻「死刑」とされたほどである。



ところが、ヒョンなことから獅子犬は「イギリス」へと渡ることになる。

それはアヘン戦争(1840)の戦利品としてである。

イギリス軍に紫禁城を蹂躙されるや、宮廷の者たちは神聖な犬を渡すまじと、すべての獅子犬を泣く泣く処分する。

しかし、どういうわけか5匹の獅子犬だけが荒れ果てた紫禁城に残っていた。

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その5匹のうちの一匹は、ヴィクトリア女王(イギリス)の大のお気に入りになったという。

現在、「ペキニーズ(北京犬)」と呼ばれる犬種が、その末裔たちである。

ペキニーズはシーズー(漢字で書くと獅子)やパグの祖先とされている。



ペキニーズの愛嬌は、19世紀末のイギリスに一大「ペット」ブームを巻き起こした。

その主役となったのが中産階級。産業革命により世界からもたらされた富により、イギリスでは時間と金を持てあます人々が大勢誕生していたのである。

御婦人たちの好みに応じて、次々と新しい犬種が生み出され、その種類は400にも及んだという。



それ以前、犬の種類といえば、狩猟犬などの「実用犬」ばかり。せいぜい40種類程度だったという。

それが、19世紀以降のペットブームとともに、一気に10倍にも増えたわけである。



そして、その400種にも及ぶ犬たちはじつに多種多様。

チワワは1kgほどしかないのに、グレートデーンは80kgにまで大きくなる。

犬ほどに多様化した哺乳類は他に見当たらない。

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しかも、爆発的に犬種が増えたのは、ここ100〜150年ほどの短い期間に過ぎない。

ゆっくり進化すると考えるダーウィン(進化論)泣かせの動物である。



ところで、犬たちはこれほど急激な変化に耐えられたのだろうか?

残念ながら、多くの悲しい結果も生んでしまった。



100年ほどで体型を激変させた「ブルドック」は、帝王切開で出産することが普通となった。

なぜなら、幅広い肩幅とは対照的に、「細い腰」が人々に好まれたため、子犬が産道をくぐれなくなってしまったのだ。

また、シワシワの皮膚を好まれた「シャーペイ」は、極度にたるんだ皮膚が眼を覆い隠し、眼病や失明が頻発するようになった。



さらには、飼い犬の精神的なストレスも問題となった。

犬に噛まれる事件は、アメリカでは年間470万件を超えるという(被害者のほとんどが子供)。手に負えなくなって安楽死されられる犬の数は1,000万匹以上。

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それもそのはず。犬が現在にように可愛がられ過ぎるようになったのは、ここ100〜150年の話。

それ以前の数千年間は、人間と共にありながらも、犬は野外で然るべき仕事を任されてきたのである。ジャーマンシェパードは番犬であり、コリーは牧羊犬だった。



かわいい犬たちでさえ、いまだ可愛いだけのお人形にはなり切れない。

テリアという小さく可愛い犬は、じつは小さな殺人鬼である。

もともと、農家の穀物庫などに侵入するネズミなどを退治する役割を、長らく担ってきたのである。



「本能」と純粋なペットとしての「現実」には、依然大きな隔たりがある。

いくら従順な犬といえども、この強烈なギャップに耐え切れず、異常をきたしてしまうことがあるのである。



犬は人間に可愛がられることを喜ぶが、それ以上に喜ぶのは、自分の仕事が人間に認められたときである。

ただ寝ていて褒められるよりも、獲物をとってきた時に撫でられる方が、よっぽど嬉しいのである。

そうしてきた歴史の方がずっと長く、それこそが自分の使命と思っているのかもしれない。

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実際、犬の能力は信じられないほどに高い。

よく知られているように、匂いに対する感度が凄まじい(人間の1,000倍)。

犬の嗅細胞は2億個以上あり、吸い込んだ匂い物質を吐き出すことなく、その嗅細胞に溜めておくことができるのだそうだ。

そのため、ごくわずかな匂いでさえ、クンクンクンクンを繰り返すことで、強く感じることが可能となる。



最近の研究では、犬が「ガン」を嗅ぎ分けるということも分かってきた。

ガンに侵された細胞には、そのストレスによって、ある種の匂い物質を出すことがあるのだという。

患者の尿の中に溶け込んだそのわずかな匂いを、訓練を受けた犬ならば、的確に嗅ぎ分けることができる。



ある少年は、血糖値の低下に苦しんでいた。

先天的にインシュリンが分泌されず、血糖値が低下したら注射が必要であった。

しかも、ひどい発作を起こしてしまうため、15分以内に処置しなければ死んでしまう。そのため、両親はかたときも少年の側から離れることはできなかった。寝ずの番をしなければならない時さえあった。



その窮地を救ったのが、ジャーマンシェパード「デルタ」だった。

デルタは少年の血糖値が低下すると、それを敏感に感じ取り、かなり早い段階で両親の元へ危急を知らせることができた。

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夜寝ているときでも、デルタはつねに少年を見守り続けている。

きっと、デルタはこの仕事を大変だとは思っていないだろう。むしろ、誇らしい気分であるかもしれない。



犬は人間との付き合いが長いだけに(一説では1万5,000年)、すっかり人間と似てしまったところもあるようだ。

人間だって、何もしないで褒められるよりは、自分にしか出来ないことをやったときに評価される方が、何倍も嬉しい。



お金をもらえるからという理由だけでは、仕事は長続きしない。長続きしたとしても、何らかのストレスを溜め込んでしまうだろう。

犬もエサをもらえるだけでは満足出来ない。

犬たちは「何か役に立ちたい」と、いつもいつも思っているのかもしれない。



彼らの本領は、決して従順さや可愛さだけではないのだろう。

本来の価値を生かしてあげることの何と難しきことか。

褒めるだけでは殺すことにもなりかねない。




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出典:地球ドラマチック
「イヌはこうして進化した〜オオカミから医療介助犬まで」(後編)


posted by 四代目 at 06:34| Comment(5) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は、猫派ですので
犬は嫌いなほうです
飼い犬に手を噛まれるっていう
意味とは違って
よそ様の犬の頭を撫でようなんて
いやですね
万が一噛まれでもしたら
後の祭りですし

それに
犬の従順さとやらが
そもそもキライです
そして
その従順さを
かわいらしいと
思う心象が
キライなのです

 
犬と人間の
主従関係
その人間性が嫌いなのです
そして
その人間性に
疑問を持つのです

猫と人間は
主従関係ではありません

人間と猫との
関係は対等です

ゲルマン族と
中華民族の
ある種の同質性は
私の研究によっても
この記事によっても
なるほどなって
思うしだいです
猫は従順じゃないけど
犬より従順です
つまり
浮気しません

たとえば
ラテンでは
猫的な女性が好まれますね

それに
ペットショップが
大嫌いです

ムリな交配で
悲しいことがよく起こる

そして
進化と
交配
つまり
混血は
ぜんぜん違います

一つの意見として
少し
コメントを
書かさせて
いただきました
Posted by j.com at 2011年11月14日 12:01
>>本来の価値を生かしてあげることの何と難しきことか。
褒めるだけでは殺すことにもなりかねない。

そうですよね。
それはそのまま、人と人との関係にも言えることですね。

動物も虫も植物も…宗教や価値観や生き方も…
多様性を包括して認め受け入れ、自らもそれによって生かされていることを知る。

この混沌の世の中で、私たちが生き残る道…それは一つしかないのだと思います。

アレはダメ、コレは嫌い、ソレは違う、認めない、猫派?犬派?(笑)
…排他な歴史の結果が今の世の中。

行間に思いを馳せます。
Posted by hanna at 2011年11月14日 12:55
ぼくは、他の意見を笑ったりしない

ただ、哀れに思うだけです

他人に依拠する者の

多様性とは

棲み分けることで

担保されるのです

それぞれの文化も

同様ですよ

感情と

情緒は

似て非なるものです


Posted by j.com at 2011年11月14日 15:20
人権的な人の

露骨な論理矛盾い

多様性を認めれない人たちを

受け入れられない

のであるなら

多様性に割りと

反対な人が

多様性を認めようという

人が嫌いだというのと

何が違うの?

ね?

はっきりいうと

言葉の定義にレベルの差が

次元の差が

あるのね

自己に対する

自信と

精神的に自立している

白人とかは

他人の個性を認めはするが

好き嫌いの意見をいいますね

他人に認めて欲しいのは

誰でもかもしれない

でも

まず

自己肯定的な人は

他人の意見を

尊重できる

しかし

それに合わせようとは

しない

キライなものと

無理に仲良くしようともしない

均質的が好きな

あるいは

そもそも

没個性的な

東アジア人には

どだい無理なんだと

ふつうに思います

あと

多様性

種の保存は

すみ分けることで

「保険」をかけているんです

それを

なしくずしにしては

いけないんです




Posted by 贈る言葉 at 2011年11月14日 23:47
j.comさん、贈る言葉さんへ…同一人物でしょうか?

私のコメントで、不快な思いをさせているのでしたらごめんなさい。

かく言う私も大の猫好きで、主従関係の犬にはない恋人同士のような猫との関係がすごく好きなので、気持ち、よく分かります。

ただこの記事の言わんとする内容に対して、猫派犬派のコメントが…なんだかお茶目?でかわいく感じてしまったんですょ。
j.comさんのコメントはこれまでも何度か拝見していたので、そのギャップがまた更に…。
でも、嫌な気持ちにさせてしまってごめんなさいね。

それと管理者さん、この場を借りて謝ることを許してくださいね。

また遊びに来ますo(^-^)o
Posted by hanna at 2011年11月15日 12:46
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