「風の島」
デンマークに浮かぶ「ロラン島」は、その真っ平らな地形から、年間を通して「風」の絶えることがない(年間平均風速7m)。
もしかしたら、風が「厄介者」扱いされていた時代もあったかもしれない。
しかし、今、風が吹けば吹くほどに、お金が舞い込んでくる仕組みが、この島では確立されている。
そう、「風力発電」である。
ある農夫は5,800万円で「マイ風車」を買った。
彼の一基の風車がもたらす月収は48万円。つまり、多額の初期投資は10年ほどで元がとれる計算だ。
風車計画はすでに12年。すっかり元はとれ、今では風が吹くたびにプラスプラスになっていく一方である。

また、ある農夫は一人では風車を買えなかった。
そこで共同購入に参加した。120人が集まり、各々50万円ずつを出し合ったのだという。
多額の借金をせずとも、エネルギー事業に参画する道はつけられているのである。
「出した金額の4倍は戻ってきたよ。」
一個人がエネルギー事業に参加できるのには然るべきワケもある。
デンマークでは、自然エネルギーの「全量買取」が制度化されている。
つまり、一個人でも安心して大金を投資でき、そのリターンも確実性が高いのである。
この風の島「ロラン島」は人口6万5,000人。沖縄本島ほどの大きさである。
この島には600基以上の風車がブンブンと回っている(そのうち、半数以上は島民が所有)。
この島のエネルギー自給率は、もちろん100%。余った電力はデンマークの首都・コペンハーゲンにも供給されている。

自然エネルギーによる発電は「不安定」だという定説がある。
確かに、風の絶えないロラン島といえども、不安定さは否めない。
しかし、その既知の事実に無策であるわけがない。安定供給のために、風車をありとあらゆる場所に設置し、風の無いリスクに対応している。
さらに、消費電力の5倍を発電目標としているため、多少の不安定さは十分に吸収されてしまうのだ。
近年では、洋上における「波」の力も発電に加えているため、電力はより安定的に供給される見込みも立っている(波力発電のステーションに風車が乗ったハイブリッド・タイプもある)。
今となっては、ロラン島の先見の明に驚くばかりである。
計画が早かっただけに、すでに好循環を達成してしまっている。
どれほど早かったかと言えば、1970年代にはスタートしているのである。
1970年代とは、どういう時代であったのか?
「オイル・ショック」である(第一次・1973、第二次・1979)。
石油エネルギーの先行きに「黄色信号」がともった時代であった。
あわてた各国政府は、「原子力」に走った。
日本も然り。
広島・長崎の原子爆弾(1945)、そして第五福竜丸の水素爆弾(1954)という原水爆両方の被爆国(世界で唯一)でありながらも、原子力発電を選ぶという勇気ある決断を、日本は下したのである。
対するデンマークは?
当時の政府は、当然のように原子力を志向した。
石油が満足に入って来なくなり、極寒の真冬でもお湯が使えないという惨状であったのだ。手っ取り早さで原子力に敵うモノなどない。
そして、ロラン島にも原子力発電所が建設される運びとなった。

「おいおい、待てよ、待ってくれ」
ある15人の若者たちが声を上げた。
「もう少し俺たちにも考えさせてくれないか?
原子力って一体ナンなんだい?」

その市民団体は、原子力に反対していたわけではなかった。
ただ、原発を持つとどうなるのかを詳しく知りたいと純粋に考えていただけだという。
この小さな声を受け、デンマーク政府は賢明にも国民に対して「3年間、原発を考える猶予」を与えた。
かといって、デンマークが原発に否定的だったわけではない。
電力会社、大企業、新聞、メディア…、あらゆる大きな力は積極的に「いかに原発が素晴らしいものであるか」を徹底的に国民にPRした。
これは日本の大きな力も同様である。当時、原子力担当大臣だった正力松太郎氏は、原子力平和利用博覧会を大々的に開催し、原発への啓蒙を図った。
この催し物は日本では大成功を収め、日本の国民世論は一気に原発を傾いた。
「原発に乗り遅れたら、国が何10年と遅れをとってしまう!」、正力氏が傘下に持つ日本テレビと読売新聞の宣伝広告のタマモノであった。
デンマークも、その点は同様。
同国の原子力委員会には、とんでもなく大きな圧力がかかり、結局は2年間で解散を余儀なくされてしまう。
世界は原発一色に染まっていた時代なのである。
それでも、デンマーク政府はより「公平」だった。
日本のように原発の利点だけを強調して、神話をつくる ことはしなかった。
デンマーク政府発行の情報誌には、原発のメリットとデメリットが分かりやすく併記されていた。
たとえば、賛成派の意見として「重大事故の起こる可能性は極めて低い」とある隣りの欄には、反対派の意見として「予測不能な出来事と人間のミスが重なると大惨事にもなりうる」などと記載されている。

デンマーク国民は与えられた3年間を利用して、丁寧に原子力発電について学んだ。
一方、日本が原発を導入した時、その技術を詳しく知る人はいなかったといっても過言ではない。
日本の大企業ですらそうであった。福島の原発などは、とりあえずアメリカからゴッソリ丸ごと輸入して、動かしながら学んでいけばいいだろうくらいのスタンスである。政治家たちは言わずもがな。
すっかり時代に踊らされてしまった感は否み難い。
一方のデンマーク国民は、真冬にお湯が出ないにも関わらず、平静だった。そして、必要な知識も十分に時間をかけて習得した。
その結果の決断は…「原発は要らない」
これは感情的な反対ではなく、正確な知識に裏打ちされた判断であった。
その国民の理性的な声に、デンマーク政府はキチンと応えた。1985年には正式に原発計画を放棄している。
さて、ロラン島は?
当初の原発計画は放棄された。原発による収益を見込んでいたが、それはチャラとなった。
日本の過疎化した町と同様、原発は最期の命綱でもあったのだが…、島の主産業である造船業はすでに傾き切っている。
島には新たな産業がすぐにでも必要である。さあ、どうする、ロラン島?
ここで、あの風車が登場するのである。
これは暴挙に近かった。誰も風車を試したこともなければ、風車を造る技術すらなかった。どれほどの電力を生むのかも定かではない。
それでも、「広い大地のどこにでも吹いている風」を利用するんだとプリベン・メゴー氏は力説した(のちに彼は風力発電の父と呼ばれるようになる)。
彼の熱い主張に、島は一丸となる。
ボートを造っていたメーカーは、風車の羽のグラスファイバーを担当し、トラクターのエンジンを造っていたメーカーは風車の動力部分を担当した。
ゼロからのスタートであったにも関わらず、外国の手も、大企業の手も借りず、ロラン島には立派な風車が誕生した。
それはロラン島の奏でたハーモニーの成果だとして、映えある第一号機は「ハーモニー風力発電機」と命名された。
この一基の風車から、現在に続く栄光は始まったのである。

30年経った現在、トラクター事業から風力発電へと事業を広げた「ヴェスタス社」は世界一の風力発電機器メーカーへと躍進を遂げている。
ヴェスタス社がトラクターを手掛けていたことは幸運であった。
農家とのパイプが太かったために、農家の土地を風力発電に利用する話が容易に進んだのである。
これは企業側だけでなく、農家の方にも有利な取引だった。冒頭でもご紹介したように、風車一基が月に50万円を稼いでくれるのだ。見事なる農地転用の実例である。
日本の農地が、農協の斡旋などによりアパートなどの不動産に変わり、収益を上げるどころか廃れていく一方なのとは対照的である。

こうして、デンマークには自然エネルギーという無限の道が拓かれ、現在、2050年までに国全体を自然エネルギー100%にするという政策目標が掲げられるまでになった。
日本における自然エネルギーの是非には、「経済が滞る」という意見がある。
デンマークの経済はどうなのか?
じつは、一人当たりのGDPはデンマークの方が上である。デンマークは世界6位(56,147ドル・約438万円)、日本は一段落ちて世界16位(42,820ドル・約333万円)。一人当たり100万円以上の差がある。
オイル・ショックによって、日本・デンマーク両国ともに岐路に立たされた。
そして、両者は両極端とも思える決断を下した。
かたや、人為的なエネルギーを作り出そうと先鋭化し、かたや、大きく両手を広げて、大自然の恩恵をふんだんに受け取ろうとした。
あれから30〜40年経った今、日本には原発銀座が海辺に乱立し、デンマークでは無数の風車が唸りをあげている。
当時は狭い狭い小道だった自然エネルギー、それでも小道へ行こうとした15人のデンマークの若者たち。
そして、国民にエネルギーを充分に熟慮させたデンマーク政府。
かたや、神話をつくってまで政治家がエネルギー政策を独断した日本。
原発の是非以前に、その舵取りはおよそ民主からかけ離れている。
そのためであろうか、ひとたび事故が起きるや、熾烈な責任転嫁が繰り広げられるのは…。
デンマークが自然エネルギーを選び、日本が原子力を選んだこと自体は、双方ともにそれぞれの意見があったためであろう。
最終的にどちらを選ぼうが、その是非は問えない。
自然エネルギーが絶対善であるわけがないのと同様、原子力が絶対悪とは言い切れない。両者に一長一短があるのは厳然とした事実である。
しかし、それでも、その過程で国民が参加したか否かは、大いなる違いである。
国民の手に決断が委ねられたデンマークでは、必然的にエネルギーに対する自覚が高まった。
原子力からふんだんに供給されるエネルギーの道を自らの手で閉ざしたデンマークでは、「節電」の意識も高い。
一人当たりの電力消費量は、日本よりもデンマークの方が圧倒的に少ない。

それには、デンマークの電気料金の高さも関係している。高い高いと言われている日本の電気代よりも、デンマークの電気代は1.5倍も高いのである。
しかし、これは国民の総意である。しかも、その富は大企業だけに流れるわけではない。一農夫の手にも渡っているのである。
日本では、原子力発電の収入を国民が享受するのは不可能であるが、デンマークではエネルギー収入が国民に開放されているのである。
原子力の元では、富は集約化せざるを得ない。裏庭に小型原発は造れない。
それに対して、自然エネルギーは富を分散させることもできる。実際、農家の裏庭に風車はあるのである。
もし、こうした富の流れを事前に説明されていれば、日本国民はどういう選択をしたであろうか?
富の集約化を好む代表選手は、政治家や大企業の上役たちだろう。
安全か否かの議論もさることながら、より実利的な問題もよほどに大きいのである。
あるデンマークの農家夫人は、こう語る。
「この土地は自分のものだと思っていません。
子供を育てるために借りているんだと思っています。」

ロラン島の市長・レオ氏は、こう語る。
「ロラン島では、自分たちの力でエネルギーを選びました。
それからです、すべてが変わり始めたのは。
今では、一人一人の暮らし方が、直接未来とつながっているんだ、とみんなが考えるようになりました。」
ロラン島の「風」がこの地にもたらしたものは、エネルギーだけではなかった。
人が大自然と共にあること、そして、その恩恵は人間次第でいかようにも受け取れること。
エネルギー以上の将来への希望を、ロラン島の風は教えてくれたのである。
風はいつも語りかけていたのかもしれない。
ロラン島の人々は、幸いにもその声に気づくことができた。
風車とともに植えられたというカラマツの木は、今や見上げ切れぬほどに、立派な大木に育っている。
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出典:地球イチバン
「自然エネルギー地球イチバンの島 デンマーク・ロラン島」
デンマークの情報 2008 年から現在を確認した。
国土面積あたりの人口で、日本が約 2.7 倍多い。
しかも、デンマークのほうが圧倒的に平地が多い。
ところが、デンマークでは税の国民負担率が 71.7 パーセントに及ぶ。
日本の約 1.8 倍だ。
家庭用電気料金が日本の約七割だが、年間の国民一人あたり二酸化炭素排出量がデンマークのほうが若干多い。
どうやって、その風力発電が支えられているのか、よく考えるべきだ。
また 「神話」 という記述が不適切だ。
そもそも原子力に関する神話を作った者が反原子力派だ。
神話を閣議決定した事実が無く、何か起きると反対派が使う常套手段だ。
が、現実にはチェルノブイリや JCO 臨界事故などがあった。
あらゆる状況において絶対の安全など存在しない。
風力発電においても、火災事故を現に起こしてきたし、鳥類を切りさいて、騒音公害、振動公害を起こしている事実がある。
利権持っている連中って平気で嘘をつけるよねw
原発について、議論は多数あろうかとおもいますが、一定の危険性が現にあることと、その危険性が3.11事故により顕在化した事実は間違いないと思います。
十分に情報がないままに、政府の決定で政策が進められるのが日本の残念なところです。
風力を含めた再生可能エネルギーが適切な考慮に基づき推進されることを期待します。
非常に参考になるご記載ありがとうございました。