2011年11月12日

お金がなくとも生きて行けるのか? 14年間もそうして生きてきたドイツ人女性の話。


「お金がなくても、生きていけるのか?」

あるドイツ人女性は、14年前、こんな素朴な疑問に直面した。

それ以来、彼女は一円(1ユーロ)も使わずに生きているという。



彼女の名前は「ハイデマリー・シュベルマー」。

もともとは豊かな生まれでありながら、幼少期、第二次世界大戦によって全てを失った。それでも両親は再び事業を成功させ、また豊かな暮らしを取り戻す。

それから、ハイデマリー氏は2人の娘に恵まれ、教師をやりながら、ごく普通の安穏とした日々を送っていた。



娘たちが手元を離れ、老境に入ってからである。

彼女が突然、家屋敷を処分し、スーツケース一つで旅立ってしまったのは。

「すべてが失くなったら、一気に解放された気分で、跳び回りたいほどに嬉しかった。」



当初の計画では一年間ほど、お金のない生活を試みてみる予定であったという。

しかし、食べ物をくれたり、泊めてくれる人々が次々と現れて、あれよあれよと14年間も何不自由なく暮らせてしまったというわけだ。覚悟していた野宿はまだ一度もしていないという。

さらには、講演の依頼やテレビ出演なども次々と舞い込み、彼女のスケジュールは常に満杯である。

当然、彼女は金銭的な報酬を受け取らない。ただ、その日暮らしに必要な最小限のモノだけを受け取るのである。



ハイデマリー氏がこの暴挙を敢行した理由は、「この世界はどこか間違っている」と感じていたからだそうだ。

その間違いを見極めるために、彼女は清水の舞台(金銭の世界)から飛び降りた。

真っ逆さまに落下するかもしれないと思った。

ところが、以前よりも豊かになってしまった。金銭的にではなく、心の世界が豊かになったのだ。

人々の無償の好意により、彼女の人生は新たなステージへと押し上げられたのである。



「人に好意を乞うとは、何と図々しい奴だ」と罵る人もいる。

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彼女は図々しいどころか、人一倍繊細で傷つきやすい。テレビに出るたびに、からかわれバカにされ、すっかり落ち込んでしまう。

なぜなら、彼女には身を守るための理論武装はほとんどない。ただあるのは「理想」だけである。

そんな草食動物のように「か弱い」彼女は、理論的で否定的な人々の「格好の餌食」である。



「確かにお金には頼っていないかもしれないが、すっかり他人に頼りきりではないか」と人は言う。

まさに、その通り。ドイツという豊かな国でなければ、彼女の今の生活はなかったかもしれない。



彼女の人生に対しては、肯定派と否定派がキレイに分かれる。

すごく面白がって、いろいろと手を貸したがる人々がいる一方で、彼女の存在自体を不都合と感じて、無闇に攻撃を繰り返す人々もいる。

それは、この世界がお金に対して、いかに「固定的な価値観」を置いているかの裏返しでもあろう。

現代社会においては、「お金がなければ生きられない」が真理なのである。



「お金がなくても生きている」という存在は、「食べなくても生きられる」というほどに極端で非常識な存在である。

ヘタをすると、世界がひっくり返ってしまうほどに危険な存在でもある。



しかし、そんな恐れは幻想であろう。

現状では、彼女の存在は極々少数のマイノリティーの域を出ることはなく、世界がひっくり返った後でなければ、多数派にはなり得ない。

それでも、人々は「根源的な問い」を突き付けられることに不快感を隠し切れないようである。

「王様は裸である」と彼女は言っているようなものなのだから。



ハイデマリー氏は、人々が喧々諤々の議論をするほどに大それたことをやっているつもりはない。

ただ、世界との接点を「お金から別の何かに変えた」だけである。

普通の人々にとって、外界との出入り口は「お金」しかない。この出入り口を通らなければ、何物をも得ることができないと思い込んでいる。



ところが、ハイデマリー氏はその唯一とも思えていた出入り口を自らの手で鍵をかけてしまった。

それにも関わらず、あらゆるモノが魔法のように彼女の元にもたらされ続けている。

まさに魔法。現代社会だからこそ成し得る魔法であろう。

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彼女の生き方の是非を論ずるだけでは、枝葉末節に囚われて、本末転倒にもなりかねない。

出発点はその「是非」ではなく、彼女の存在をまず認めることだろう。すでに結果として出ているのである。

「彼女にできたことが他の人にもできるのか」という問いも愚問である。彼女は問いの提起者であり、解決策を提示しているわけではない。



もし「お金がなくても生きられるのか」という問いの答えを知りたければ、彼女に答えを聞くことはできない。

自らが答えを探し出さない限り、納得のいく解答は得られないであろう。



ハイデマリー氏はいきなり結論に行き着いた。

「お金がなくても生きていけた」のである。

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我々が頼りにしている「お金という接点」は、頼りになるようにも思えるが、じつは「クモの糸」のようにか細いものなのかもしれない。

現代の競争社会において、その頼りの糸を断ち切られてしまった人々も大勢いる。

世界一の経済大国であるアメリカでさえ、職を失って困窮している人々で満ちているのだ。



現代社会において、お金が入って来なくなることは、水を絶たれるようにツライことだ。

「生きていける」とは到底思えない。そこには「絶望」しかないように思える。



そのお金を持たずに悠々と生を楽しむハイデマリー氏。

お金に困窮している人々にとっては、イヤな存在でもある。まるで、己の無能を曝(さら)されているようではないか。お金にしか頼ることのできない無能を。



一方で、彼女の存在は「希望」でもある。

そんな生き方もあったのかと、目からウロコが落ちたという人々も大勢いる。



ハイデマリー氏が世に現れたことは、現代の必然だったのかもしれない。

彼女の出した一つの解答は、多くの人々が胸に抱いた疑念を晴らすものでもあった。



多くの人々はモヤモヤした疑念を胸に抱えたままだったが、彼女は真っ先に勇気ある一歩を踏み出したのだ。

そして、幸運にも新たな世界に到達できた。



彼女は喫茶店でコーヒーを飲んだ後、レジに向かうのではなく、掃除道具入れに向かう。お礼の掃除をするためだ(お店も了承の上である)。

少し余計に分けてもらったコーヒーを、八百屋さんに持っていくと、野菜や果物を分けてもらえる。彼女が分けてもらうのは、売り物にならずに捨ててしまうようなモノだ。

クズ野菜といえども、食べられないわけではない。選んで盛り付ければ立派なサラダを作ることもできる。

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お金の恐怖から解放されたハイデマリー氏は、誰よりも自由である。

モノやお金があるほうが自由になれることもあれば、モノやお金がないからこそ得られる自由もある。



今の彼女には、お金という命綱が必要なくなってしまった。

それよりももっと頑丈で強固な結びつきを、共鳴してくれている人々との間に育(はぐく)むことができたからだ。



彼女は自分の生き方に確信を持ってはいるが、決して他の人には強要しない。

「思い切ってやってみたら、とは言えません。」



それでも世間の人々は、彼女に関心を寄せずにはいられない。それが肯定的であろうが、否定的であろうが。

それは、彼女の生き方の中に、長らく求めていた何モノかの影を人々が見出すからであろう。

ドイツの大学で実施されている「一週間お金を使わずに生活する」というワークショップに、学生たちはワラシベ長者のような生活を楽しんでいる。

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お金は元々、世の中を便利にするために生み出されたモノだったはずである。

もし、この世にお金が生み出されなかった時の不便は、想像に難(かた)くない。

ところが、その便利なはずのモノで、逆に苦しむ人々が多数いることも現実である。それは現代でも、あらゆる歴史においても。



お金には、その便利さの影に、明らかな不具合いもある。

どうやら、お金は持つ人を「選り好み」するようだ。集まるところにはたくさん集まるという奇妙な性質がある。

「お金様」の意に沿わなければ、その恩恵にはあずかれない。素晴らしい絶対君主である。それゆえに、お金の力は強大化してゆく。多少の歪み(不具合い)はものともしない。

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ハイデマリー氏は、そんな独裁者に対する反逆者である。

そして、お金の生み出した歪み、獅子身中に生きている。



世の中が方向を正す時、それはその歪みにエネルギーが満ちた時だろう。

彼女のお陰で、世の中はより面白くなってきている。



彼女は「お金は一つの手段に過ぎず、決して目的ではない」という綺麗事を、見事に成し遂げてしまったのだ。

しかも、その手段を一銭(1セント)も使わずに。




さて、蛇足ながらに、もう一段踏み込んでみよう。

そうすることで、表面的には貨幣経済の反乱者に思えた彼女も、本質的には貨幣経済の原則を見事に遵守していることが分かる。



なぜなら、貨幣価値の大本には「信頼・信用」があるのであり、彼女の場合は、その信用を銀行口座にではなく、他人の心の内に積んでいると見ることができるからである。

彼女は銀行口座を閉鎖したかもしれないが、その代わりに、彼女を支持してくれる人々の心の内に新たな口座を開設したことになる。

だからこそ、彼女はクレジット(信用)カードを持たずとも、人々に信用を示すことができるのである。



一方、現代社会において、マネーの信用は「名ばかり」のものとなりつつある。

形骸化しているマネーの信用は、危機的状況に対して極めて脆弱である。ひとたび不安視されてしまうと、その信用は一気に急低下してしまう。

昨今のイタリア国債の信用低下は、その好例である。

この薄弱なマネーの信用こそが、過去にアジアの通貨危機を激化させ、近くはリーマンショックの混乱を引き起こしたのである。そして、今、それはヨーロッパで確実に進行中である。



そもそも、信頼関係というのは、危機的な状況にこそ発揮されるべきものではなかろうか。

「敵が攻めてきた!」という時に、一致団結して結束し、見事その危機を乗り越えることこそが美談である。

ところが、「敵が攻めてくるかもしれない…」という憶測だけで、マネーは一斉に引き上げる。これは信頼・信用と呼べるものなのであろうか?



名ばかりであるマネーの信用は、かくも儚(はかな)い。

発祥の発端となったはずの信頼・信用からマネーは一人歩きして、随分と遠くまで行ってしまったようだ。



にも関わらず、我々はマネーを信頼するより他にない。

お金を介してしか、他人の信用を測ることができず、それ以外のルートは半ば閉ざされてしまっているかのようだ。

「そうは問屋が卸さない」とはよく言ったもので、マネーという問屋は他のルートを事実上許してはいない。

そして、「カネの切れ目が縁の切れ目」ともなるわけである。これは古来より日本人が卑しんできたことの一つである。



事実上、マネーに集約された信用は、皮肉にも「無縁社会」という言葉を生んだ。

お金を通しての付き合い以外は疎遠となり、また逆に、それなりのお金があれば、人と接する必要もなくなったのである。



ここで再びハイデマリー氏に想いを馳せる。

すると、彼女はマネーの信頼の原点に立っていることが判る。

しかも、その原点は貨幣が発生する以前の状態である。それは、お互いがお互いを知っているという状態とも言える。

お互いをよく知らないからこそ、ユニバーサルな価値観をもつ貨幣が必要とされたのである。



世界を股にかける大企業ならいざ知らず、たった一人の人間が生きていくだけであれば、それほど広範な信頼を勝ち取ることも必要ない。

親のスネを噛る息子は、親から見放されなければ、それで良い。



縁(つながり)を広げてきたはずマネーは、今、逆にさまざまな縁の息の根を止めてしまっている。

とりわけ、有機的なつながり(信頼)が先に絶たれ、無機的なつながり(数字)だけが健在である。



投資家たちは、投資する国や企業のことをよくよく知らない。知っていることといえば、単なる数字の羅列である。

その数字も、格付け機関や投資顧問、経済評論家などなどの特定の人々が恣意的に練り出したものかもしれない。その数字が正しいのかどうかは、「いざ」とならない限りは知る由もない。

誰が、オリンパスの不正を知っていたのか?



ハイデマリー氏の示唆は意味深い。

貨幣は信頼を失い、数字だけが残っている。

一方、ハイデマリー氏は数字から離れ、本来の信頼に立ち戻った。



マネーの暴走を許しているのは、他ならぬ我々である。

決して一部の投機筋だけが悪者なのではない。黙認・甘受は共犯である。

ハイデマリー氏以外に、マネーを批判することはできないであろう。





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出典:BS世界のドキュメンタリー
シリーズ 世界を翻弄するカネ 「お金を持たない生き方」


posted by 四代目 at 09:39| Comment(2) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
現代の

お釈迦様ですね

アンチテーゼ

現代人の

認識に対する
Posted by J boy at 2011年11月12日 10:08
ハイデマリー・シュベルマーさんを初めてこちらのブログで知りました。
とても、腑に落ちました。
ありがとうございます。
「マネーの暴走を許しているのは、他ならぬ我々である」ということが分かっていないんですね。
植えつけられた固定観念で人生を当てはめていたんですね。
お許しが、あればこちらの記事をご紹介させて頂ければ幸いです。
Posted by 縞田康市 at 2015年06月24日 02:18
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