2011年11月03日

じつは笹を消化できないパンダ。それでも笹を食うパンダの賢さ。


パンダは「笹」をしきりに食うも、そのほとんどが消化されないのだという。

その糞を見ると、噛み砕かれた笹が青々としたまま出てきているものもある。



なぜなら、パンダは元々「肉食」。そのルーツは「クマ」である。

それゆえ、「腸」が短い。たったの6m(正真正銘の草食である牛は50m)。

さらに、腸内細菌にも草を分解できるものがいない(肉を分解する細菌は多数いる)。



本当は肉を食うはずのパンダが、なぜか草(笹)を食っている。

その消化効率の悪さは著しい。たったの23%しか消化できないという(正真正銘の草食である牛は70%)。

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その消化効率の悪さを補うには、「量」でカバーするより他に手立てがない。

そのため、パンダは起きている間はほとんど笹を食べ続ける。10時間以上は食い続ける。その量は笹40kgにも及ぶのだとか。

そこまで全力で食べても、必要最低限と考えられる一日4,000kcalをまかなうのがやっとやっとだそうだ。どんなに食べても、肥満の心配はない。



肥満の心配どころか、パンダは慢性的なエネルギー不足である。

そのため、「繁殖能力」が低い。

同種のヒグマは生涯で18頭の子どもを育てるというが、パンダは生涯でせいぜい「6頭」程度。

パンダはひとたび頭数を減らし始めると、再び殖えることがなかなか難しくなる。



「パンダに笹」はじつに愛らしい光景であるが、パンダが笹を常食とするようになったのには深い理由がありそうである。

肉が食えれば、肉を食っていたのだろう。内臓がいまだに肉食用なのである。

ところが、何らかの原因で「草」に転向せざるを得なかった。しかも、消化効率が悪いために、量を確保できる草でなくてはならない。その落ち着く先が「笹」だったというわけだ。



こうした背景に浮かび上がって来るパンダの姿は、外敵や自然環境に追われ追われ、追い立てられたパンダ像である。

そうしてパンダの逃げ込んだ先は、深い深い山中であった。



おそらく、山奥の笹林で、日がな笹を食う安穏とした日々がしばらくは続いたのであろう。

しかし、パンダの逃亡生活は人間に見つかったことで、より深刻化した。

白黒の毛皮を珍しがった人間たちは、競ってパンダ狩りに精を出したのである。



さらに、標高の低い山には、人間たちが続々と侵入して来た。

人の住めないような山奥でも、資源(鉄やニッケル)が発見されるや、森が倒され、次々と道路が通されていった。

パンダの森は寸断され、孤立したパンダたちは次第に追い詰められていく。



ここで、パンダの主食である笹の特性が裏目に出る。

笹は30〜120年間隔で一斉に枯れてしまうのだ。再び新たな笹が茂るには、長い時間を要する。

本来であれば、笹が枯れるとパンダは森を移動して、新たな別天地へと旅立つ。

しかし、道路で寸断された森に孤立したパンダたちは、空腹を抱えて息絶えるしか他になかった。



現在、パンダは絶滅危惧種。

中国四川省に1,600頭ばかりが残るだけとなっている。



当然、中国政府はパンダの保護に乗り出している。

パンダの密猟者には重い刑罰が課され、森林の伐採を禁じ、自然保護区を拡大している。



しかし、中国政府の思惑はパンダを愛する気持ちばかりではなかった。

パンダは政治やビジネスの道具と化した。

かつては「パンダ外交」といって、他国にパンダを贈ることで国交を開いて来た(日本にもやって来た)。



国際合意(ワシントン条約)でそうした行為が禁じられると、今度はパンダのレンタル事業に切り替えた。現在、パンダのレンタル料は一年間で一頭およそ一億円。

現在では、そうした収益の半額以上を野生パンダの保護に使うことが規定されている。



近年、豊かになった中国では、より積極的にパンダが保護されつつある。

中国の自然保護区の一つ臥龍保護区では、飼育者たちはパンダの着グルミを着てパンダに接するほどの懇切丁寧ぶりである。

ようやく、パンダに対する人間の乱暴は収まりつつあるようである。

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動物学では「ベビーシェマ」という言葉がある。

ベビーシェマとは、子どもの姿形のこと(大きな頭、丸い顔、目鼻が顔の低い位置にある)。人間の幼児がそうである。ペット化された動物もそうである。



そして、パンダもそうである。クマの仲間の中でも、幼児っぽい個体がパンダ化していったとも考えられている。

また、サルの仲間の中でも、幼児っぽい種が人間ということもできる(毛がなくて、顔の凹とつが少ない)。



幼児の特性というのは、好奇心が強く、発想も柔軟性に富む。

それゆえ、知性を発達させることに長けている。

パンダが笹を食べるようになった経緯を想像すると、非常に柔軟に環境に適応していった様子がうかがえる。

食べ物を肉から草に変え、おそらくは住む場所も変えていったのであろう。そして、見事に新しい環境に馴染んでいった。

おそらく、パンダは頭が良い(クマの仲間では)。自分を変えられたのである。そして、生き延びてきたのである。

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自然は巧みに出来ている。

食が乏しくなれば、繁殖も乏しくなる。

なぜなら、自然が抱え込める動物の数には限界があるからだ。自然環境に対する限界生存数は「キャリイング・キャパシティー」と呼ばれている。



パンダは単独で暮らし、広い縄張りを持つ。そして、それほど繁殖力は強くない。

それは、キャリイング・キャパシティーを超えないための知恵である。

縄張りという概念が「争い」を生む。これは全体が快適に暮らすためには、必要な争いなのである。増えすぎれば食料は不足し、種の存続を脅かしてしまうからだ。



無尽蔵に数を増やせるのは、人間くらいのものである。

しかし、その人間様のキャリイング・キャパシティーもいよいよ限界に近づきつつあるのかもしれない。

世界の人口は70億人を超え、とうの昔から他の動物たちを押し退けなければ、生息域を確保できなくなっている。



動物界では、キャリイング・キャパシティーを超えれば、争いが激化し、頭数が強制的に制限される。

パンダもそうである。

しかし、パンダは必要以上の争いを是としなかったのだろう。

彼らは食を変え、ライフスタイルを変えることで、キャリイング・キャパシティーを超えてしまうことを回避してきたのだ。



知恵のある動物にとって、キャリイング・キャパシティーの限界を超えるのは、争いだけが唯一の手段ではない。

スタイルを変えることで、新たな地平が無限に広がる可能性もある。



おそらく、先進国における20世紀のスタイルは持続不可能である。

なぜなら、そのスタイルは他の動植物を絶滅に追いやり、動物のみならず、貧しい人々をも虐げてきた結果であるからだ。



他を押し退けるスタイルには、明らかな限界がある。

21世紀の新たな地平は、きっと別の方角にあるはずだ。



消化もできない笹を食うパンダ。

彼らは可愛いだけではなく、賢い。

いや、可愛い(ベビーシェマ)から賢いのか?



日本人も欧米人に比べればベビーシェマだ。

願わくはそうした人種が、新たな知恵を生み出さんことである。

大人顏は、ついつい争ってしまいがちだから…。





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出典:いのちドラマチック
「パンダ(2)か弱き生命」


posted by 四代目 at 07:09| Comment(2) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
SKEとかNMB専任の人がいないのに それで捕まるw
Posted by 大島優子のオっパ無料 at 2013年07月07日 15:30
パンダの棲息地に必ず帰川するシャケおらんからな。シャケおったら、北海道土産の熊の木彫りみたいなパンダが出来てたんだしょね
Posted by 通行止め at 2016年05月11日 13:30
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