2011年11月02日

功罪ともに深いカダフィ大佐。その死に想う。


「カダフィ大佐が死んだ」

この一報に世界は、「ビン・ラディン氏死去」の時と同様の反応を見せた。

狂喜する人々がいる一方で、「なにも殺さなくても…」と同情する声も聞かれたのだ。



リビアの独裁者として名高かったカダフィ大佐には、死に値する暴挙が数々ある。

しかし他方、彼の知られざる功績があったことも、また事実。

外敵には噛みつきまくっていた彼も、身内に対しては意外な優しさを見せていたのである。




ここにリビアの意外な姿を列挙してみよう。

この国の教育費と医療は無料である(薬の一部も無料)。

赤ちゃんが生まれれば7,000ドル(約55万円)、新婚の住宅購入には6万4,000ドル(約500万円)が支給される(購入のローンも無利子)。

自動車の購入は最大で50%の補助があり、ローンは無利子。さらに、ガソリン1リットルはたったの14セント(約10円)。

電気料金は完全無料。



かといって、リビアは社会主義の国ではない。

カダフィ大佐の理想とした国家像は、社会主義でもなく資本主義でもない、「第三の国家体制」である。

これは、カダフィ大佐の自著「グリーン・ブック」で力説する論である(緑色は毛沢東の赤色に対抗する)。



全国民が政治に参加するという「直接民主制」がその基本となる。

欧米型の民主主義というのは、ごく少数の代表が政策を決定するスタイルであるが、リビアの目指した民主主義は「全国民」が直接的に政治に参加するものである。

そのため、リビアは34のシャアビヤ(州・県)と468のマッハラ(市町村)に分けられ、その各地域には基礎人民会議が置かれ、18歳以上の全成人が参加する。

中央には全国人民会議があり、ここで国の重要事項が決定される。

ちなみに、カダフィ大佐は中央の全国人民会議には属しておらず、立場としては一民間人である。



システム的には、欧米の民主主義以上に国民の声を政治に反映できる。

しかし、リビアが民主国家という話はついぞ聞いたことはない。それどころか立派な独裁国家である。



なぜなら、上記のシステムはうまく機能しなかったからだ。

最終的にはカダフィ大佐の「助言」が決定事項となり、国の方針が決められていたのである。

つまり、リビア国民への社会保障はカダフィ大佐の独断だったということになる。



カダフィ大佐の自国への偏愛は、リビア全国民に向けられたものではなかった。

リビアには多数の「部族」が存在し(14大部族、細かくは500以上)、部族は国家以上に結束していた。

そのため、カダフィ大佐は自分を支持する部族に対しては実に寛大であったのだが、その反面、反抗的な部族に対しては徹底的な弾圧を行ったのである。



今回の革命の口火を切ったのは、カダフィ大佐に弾圧された部族(ワルファラ部族)である(カダフィ大佐は1993年にワルファラ部族の指導者を処刑している)。

ワルファラ部族が根城としていた「ベンガジ」は、ただでさえ反骨精神の旺盛な地域。カダフィ大佐の独裁が破られた最大の原因は、この地方の部族の忠誠心を得られなかったことにある。

リビアは一国の体をなしながらも、実は部族によってカダフィ派と反カダフィ派に二分していたのである。



それでもカダフィ派が圧倒的な力を持ちえたのは、莫大な石油マネーがあったからだ。

カダフィ大佐は無血革命(1969)に成功した後、石油を国有化した。

そして、それはカダフィ派に対する寛大な保障の原資となった。



カダフィ大佐は一国のオイル・マネーを牛耳ったとの批判を受ける。

確かにリビア一国の石油収入は巨額である。同国の輸出のほとんど(90%)が石油であり、年間の輸出額は422億ドル(約3兆3,000億円)。

カダフィ大佐が欧米諸国に対して堂々と喧嘩腰でいられたのも、この後ろ盾があってこそである。



カダフィ大佐の「極端すぎる欧米嫌い」は、欧米諸国から強烈なバッシングを受ける結果となったが、一方でアフリカ諸国の反欧米派にとっては英雄的存在ともなった。

歴史上、アフリカ大陸は欧米諸国により搾取され続け、数々の辛酸を舐め、幾多の悲劇を味わってきた。

アフリカ大陸における反欧米気質は、長い苦難の歴史の中で培われてきた筋金入りのものである。



しかし、悲しいかな、アフリカ諸国は力のなさから、常に抑圧に甘んじざるを得なかった。

ところが、カダフィ大佐は違った。徹底して欧米諸国に噛みつきまくったのである。

一部では「カダフィ大佐こそが欧米諸国と伍して闘う人物である」とまで賞賛された。



しかし、カダフィ大佐の所業は傍目(はため)にも行き過ぎていた。

好意的に解釈すれば、それは虐げられてきたアフリカの叫びだったのかもしれない。

彼はあたかも欧米諸国に対するアフリカの恨みが結晶化したような人物であった。



莫大なオイル・マネーを持つカダフィ大佐は、アフリカへの投資を惜しまなかった。

2007年、アフリカ初の通信衛星が打ち上げられた。そして、その最大の出資者はカダフィ大佐であった(230億円)。

この衛星が打ち上げられる前までは、アフリカはヨーロッパの通信衛星に頼らざるをえず、そのために毎年5億ドル(390億円)の支払いを強いられていた。これがアフリカの通信料が異常に高かった一因である。

その他にも、カダフィ大佐はアフリカ連合(AU)を財政的に支え、将来的には国際通貨基金(IMF)に替わるアフリカ通過基金(AFM)の構想も抱いていた。



カダフィ大佐は自身の愛する者たちへは、とことん寛大で、その反動のように敵対勢力に対しては暴れ続けた。

アフリカ諸国の首脳たちも、その危うさを十分に認識しており、カダフィ大佐の支援を手放しで喜べないのも、また現実であった。



カダフィ大佐の生涯は激動であった。

革命により身を起こし、そしてまた革命により倒された。

その独裁政権は42年にも及び、その期間、徹底的に自分自身を貫き通し、彼の偏愛は敵と味方を明確に区分けした。




彼の理想は歪んだ形で現実化してしまったが、彼は世界がこのままで良いとは決して考えていなかった。

それは、現代に生きる我々にも共通した思いではなかろうか。

現在の延長線上には明るい未来ばかりが待ち受けているとは考えにくい。何かしらかの修正が必要とされている。



しかし、それでも我々の社会はそれなりに安定しているために、まあいいかと妥協してしまっているのが現実だ。

良くも悪くも、カダフィ大佐は現状に甘んじずに暴れ続けた。

その迷惑をこうむった人々はたまったものではなかろうが、その外側に位置していた人々はおおむね冷静でいられる。



カダフィ大佐が世界に提示した疑義は、一考の価値がある。

彼を悪人として斬り捨てるのは容易なことであるが、その前に少し世界のあり方に考えを巡らしてみることは決して無駄ではない。



誰しも胸の内には、心底納得していないこと、かすかな疑問を感じることがあるものだ。そして、社会の問題の数々は、たいていそうした深い部分に根差していることが多い。

つまり、世界を変えるには、そういう自分自身の内に眠る「小さな闇」を注視する必要がある。その闇はその小ささゆえに簡単に無視することも可能であるが、時としてガン細胞の如く暴れ回ることもある。

その「小さな闇」は何と、あたかもカダフィ大佐のようではないか。


関連記事:ならず者は本当にならず者か?「カダフィ大佐(リビア)」。国連演説にみる別の顔。

posted by 四代目 at 09:06| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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