2011年10月28日

幻の邪馬台国、謎の女王・卑弥呼とともに。


「邪馬台国と卑弥呼」

この国家と女王ほど日本人に拡大解釈されている歴史も珍しい。

それもそのはず。その根拠とされる史書は、中国の「魏志倭人伝(三国志)」のたった2,000文字(原稿用紙5枚分)のみ。

その記述は曖昧で不正確な部分も多々あるために、幸か不幸か、いかようにも解釈できる余地が多いに残されているのである。



邪馬台国の最大のナゾはと言えば、その所在地ということになる。

九州にあったのか? 畿内にあったのか?

この2大有力候補のみならず、邪馬台国の候補地として立候補しているは、新潟から沖縄まで日本全国でじつに80箇所を超えると言われている。

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魏志倭人伝の記述に正確に従えば、邪馬台国ははるか南洋海上に位置することになる。

韓国、対馬、そして九州に上陸したまでは良いのだが、そこから「南へ水行10日」、さらに「南へ水行20日」、最後に「陸路一ヶ月」。この後半部分の解釈が専門家によって大きく異なるのである。

「きっと書き間違えたか、写し間違えたに違いない」として、皆が皆、勝手な解釈を展開しているのである。

南ではなく「東」へ行ったのだと畿内説派は主張し、陸路一ヶ月は「一日」の誤りであるなどなど。

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邪馬台国はどこにあったのか、この激論の鏑矢は江戸時代に放たれた。

「新井白石」が畿内と言えば、「本居宣長」は九州という。

新井白石は「古史通域問」にて邪馬台国は「大和の国」としながら、「外国之事調書」では筑紫(九州)の国「山門郡」とする(どちらが先に記された書かは判然としない)。

新井白石の死後、本居宣長は大著「古事記伝」にて邪馬台国を「筑紫(九州)」とし、卑弥呼は「熊襲(九州古来の諸部族)の類」とした。



新井白石が「幕府の臣」であるのに対して、本居宣長は「天皇の臣」である。

そのため、本居宣長は「日本の天皇が中国に朝貢した(屈した)歴史などあってはならない」という立場に立っていた。

卑弥呼は幾たびか中国(魏国)に朝貢し、魏国からも2度ほど使者が訪れている。また、邪馬台国が他国(狗奴国)に攻撃された際には、魏国に援軍をも求めている。

朝貢したのは卑弥呼のみならず、後を継いだ「壹與」も同様であった。それゆえに、魏国の歴史(魏志)に邪馬台国の記述がわずかながらも残っているのである。



「魏志」における日本の記述はオマケのオマケのような扱いである。

通称である「倭人伝」というものは存在せず、正確には「東夷伝」の一部の「倭人の条」というところに記載されたものである。

大国・中国からしてみれば、中華の周辺民族は未開であり、歯牙にもかからない存在だったのである。邪馬台国といえども東方の蛮族(東夷)の域を出ず、遠く海を隔てた得体の知れない国の一つに過ぎない。



邪馬台国や卑弥呼というのは、当て字なのであろうが、その当てた漢字を見ても、いかに日本が卑下されていたかがうかがえる。「邪」「馬」「卑」…。

倭人の記述によく見られる漢字は、他に「奴」「狗」「鬼」「烏」などなど。国名や人名には決まってこうした蔑称が用いられている。

卑弥呼の死のキッカケともされる邪馬台国の敵国は「狗奴国」。つまり、邪馬台国と狗奴国の戦いは、「馬」と「狗(いぬ)」の争いということにもなる。

朝廷派の本居宣長ならずとも快くは思わない。



しかも、そこに描き出された倭人は実に野蛮そうである。

顔や身体に「入れ墨」が施されていたり、全身を「朱色」に塗っていたり。裸足で生活し、食べ物は「手づかみ」で食べる。

外見や行動は奇異であったようだが、その性格となると評価はまずまず。盗みはなく、訴訟は少ない。女性は慎み深く、嫉妬しない。



魏志倭人伝には、邪馬台国の他に重要な国として「伊都国」と「狗奴国」が登場する。

「伊都国」は邪馬台国の北にあり、邪馬台国の支配下に置かれている。大陸からの使者はこの地に常駐したとされる。国名に卑しい漢字を用いられていないあたり、倭国の中でも中国にとって重要な国であったことが察せられる。

おそらく、邪馬台国は武力により伊都国を制圧したのであろう。邪馬台国の成立以前は、小国が乱立して争う時代だったのである。



一方、「狗奴国」は邪馬台国の南にある敵国である。

この国ばかりは邪馬台国に屈することはなかった。邪馬台国の女王・卑弥呼はこの国との抗争中に死去している。

邪馬台国と狗奴国との争いは、どちらが勝ったか負けたかは定かでない。なぜなら、卑弥呼の死とともに、中国の歴史書から日本は消えるのである。

最後の記述は、卑弥呼の後継者となった壹與が魏国に貢物を贈ったところで終わっている。

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その後の100〜150年間、日本では何があったのか?

少なくとも、邪馬台国のような親・中国政権は誕生しなかったのだろう。朝貢があれば、中国の歴史書に記されることとなる。

ある研究者によれば、この時期に明治維新、第二次世界大戦敗戦に匹敵するような大転換点があったとも考えられている。

確かに、入れ墨をして、手づかみで食事をする邪馬台国の人々と、我々の知る日本人は大きく隔たっているようにも思う。



歴史書に突如現出し、大いに人々を惑わす邪馬台国。

そして、それに次ぐ空白の時代。

ここに日本人が渇望するルーツが秘められているのかもしれない。



歴史が明かされていないことには、それなりの理由もあるのであろう。

知るべき時が来れば、それは自ずと明らかとされるのかもしれない。

謎は謎であるのも、未知は未知であるのも美しい。




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出典:歴史秘話ヒストリア
女王さま振り向いて!〜最新研究!邪馬台国・卑弥呼のヒミツ



posted by 四代目 at 14:53| Comment(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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