2011年10月26日

地上30mの竿の先から、さらなる一歩は踏み出せるのか? 命知らずのヒナたち


百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)進一歩

回向返照(えこうへんしょう)退歩



「百尺竿頭」とは、長さ百尺(30m)の竿の先(頭)。

あなたは地上に立てられた長い長い竿の先に立っている。もし、そこから一歩進めば…。



そのような上空の竿の先は、極めて不安定で危険な場所とも思われるが、禅の世界の解釈は少々様相が異なる。

その長き竿は、長き修行の道のりを示し、その竿の先こそが到達すべき最高地点(悟りの極致)なのだという。

その極致から、さらなる一歩を進めるということは、生命を投げ出してでも(不惜身命)、衆生救済へ向かえという意味になる。



その句に続く「回向返照」とは、太陽が沈む時に、西の空を明るく照らす光。

その意を転ずれば、神様や仏様のありがたい光の意味ともなる。

その光から、あえて歩を退けるとは、如何なる意味か?



困難には敢えて一歩を進め、皆が求める光には逆に背を向ける。

禅の世界は「矛盾」を楽しむ世界であり、一般的な頭で考えることはできない。

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ここに、百尺竿頭から実際に一歩を進めた鳥の話がある。

百尺(30m)どころか、100mを超える断崖絶壁から、その鳥は身を投げた。

鳥だから飛べるのだろうと思うだろうが、じつはその鳥はまだ飛べない「ヒナ」である。



産毛に覆われたヒナたちは、次々と断崖の巣から飛び降りる。

岩に激突して死んだり、地面に打ち付けられて死んだり…。

運良く柔らかい草むらの上に落ちたヒナだけが助かった。しかし、すでに半数は死んでいる。



奇跡的に生き残ったヒナたちには、新たな危険が待っていた。

草むらのキツネにとっては、まさに棚からボタ餅、崖からヒナ。パクパクとヒナたちを食べていく。



そんな絶体絶命をも切り抜けられたヒナは、ほんの数羽。

それでも、この鳥はいつもいつもこの方法で生命を繋いできているのである。

なぜ?なぜ?と思わずにいられないが、この鳥はいつもこうして生きてきたという事実以外には、確たる答えはない。



頭で考えて分かることは限定的である。

智者と限らず、現代人は皆が知に溺れがちである。

我々はいったい何を知っているというのであろうか?

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出典:宿坊 ココロとカラダ満つる旅 東北路
「長谷川理恵」〜山形・善寳寺〜


posted by 四代目 at 18:18| Comment(2) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アインシュタイン博士は

知れば知るほど

分からないことが

多くなるって言っていたように

記憶します 

禅でいうところの

「光」って何を意味するのかな?

現世的なものなのでしょうね

具体的に言えば

立身出世ができる立場にありながら

あえて

衆生にまみれて

生きるっていうことかな?

語同
Posted by Tadashi at 2011年10月26日 19:14
世の中は、不条理で一杯です

でも

神、仏が全知全能なら

その不条理も

実は

神、仏
Posted by Tadashi at 2011年10月26日 20:14
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