日本には「フルーツ・サンドイッチ」というものがある。
サンドイッチの具が、種々のフルーツや生クリームという「甘いお菓子」のようなサンドイッチである。
パンの本場といえば欧米ということになるが、その本場の人々の中には、このフルーツ・サンドイッチを毛嫌いする人も少なくないという。
「甘いサンドイッチなんて、気持ち悪い」ということらしい。
サンドイッチが甘いというのは「おかしい」と言うのである。
パンの中には、甘い菓子パンもあるわけだから、サンドイッチが甘いことも許されそうなものだが、彼らは言いようもない違和感を感じてしまうようだ。
その感覚は、緑茶に砂糖を入れたり、ご飯に牛乳をかけたりするのを日本人が嫌う感覚と近いのかもしれない。
コーヒーに砂糖を入れるのに、なぜ緑茶に砂糖を入れないのか?
コーンフレークに牛乳をかけるのに、なぜご飯に牛乳をかけないのか?
そう問い返されると、なるほど一理あるなとは思うが、やはり違和感がある。
身体に染み込んだ習慣というのは、思った以上に行動を制限してしまうようである。
フルーツ・サンドイッチに対する外国人の疑問は、「甘い」ことだけではない。
フルーツに対する日本人の高級嗜好も問題視するのである。
確かに、日本のフルーツは一般食品というよりも、贈答用の高級品というイメージが強い。
贈答用だけでなく、一般のスーパーに売られているフルーツですら、外国人はその高い値段に驚いてしまう。
日本の果実が高級路線であるのは、故(ゆえ)なきことではない。
現在一般の栽培されている果樹の多くが、明治時代以降に日本にもたらされたものであり、もともと舶来品であるから、自然と珍重されたという歴史がある。
その流れで様々な果実が高級化された。夕張のメロン、山形のサクランボなどなど。
その中でも、宮崎で栽培されるマンゴーは、一個十万円もするほど高級化がエスカレートしている。
完全なハウスで温度と湿度を厳密に管理されて栽培されるマンゴーは、管理の手を一時(いっとき)でも緩めると、すぐにダメになってしまうのだそうだ。
収穫はマンゴーが自然に落ちるのを待つ。
地面に落ちるとマズイので、果実一個一個をネットで包んで、ネットの中に果実が落ちるようにする。
色も全体が赤くならないとマズイので、果実一個一個の下に一枚ずつ「白い紙」を敷いて、光の反射で果実の裏面もキレイに赤くなるようにする。
さらに、果実が実ってくると、その重みで枝が垂れ下がり、果実の日当たりが悪くなる。そこで、果実一個一個に糸を結んで、随時糸の長さを調節することにより、果実が常に同じ高さに位置するように気を配る。
そこまでやっても、検査に合格できるのは、10個に1つぐらいだという。
色づき、重さ、糖度の基準が極めて厳格であり、そのことが一層ブランドの価値を高めているのである。
見事、合格した暁には、マンゴーに生産者と日時が刻印される。つまり、マンゴーの一つ一つが、いつ誰が作ったのかが一目瞭然なのである。
果実としては唯一完全のトレーサビリティ(追跡調査)が可能となっている。
完熟マンゴーは足が早い。収穫から出荷は即日であり、瞬(またた)く間に全国へと配送される。
「ここまでやるか?」というのが完熟マンゴーであり、外国人のみならず、日本人でも驚きである。
「完璧すぎて恐ろしい」、「自然の法則に反している」などの批判も飛び交う。
しかし、ここまでやるからこそ、人々の注目を集められるのであり、後発の宮崎マンゴーが競争力を持てるのだという。
「世界最高の無駄遣い」とまで賞賛(?)される日本のフルーツ。
格調を高めることは、日本人が古来より得意とするところである。
かたや、世界が驚くほどの「質素さ」をも合わせ持つのが日本人である。
サンドイッチを自由奔放にアレンジするかと思えば、一心不乱に高級果実づくりに専心する。
日本国民には外国人が理解できない「矛盾」が内包されているようである。
出典:COOL JAPAN
〜発掘!かっこいいニッポン 果物

