2011年10月23日

名刀「正宗」。その誕生の背景には、日本最大の国難があった。


その「刀」を一見して、「よく切れそうだな」と思わせる刀では、まだダメなのだという。

本当の名刀には、得も言われぬ「品位」があり、一切の思いを抱かせない「圧倒感」があるのだという。

平たく言ってしまえば、その圧倒感は敵に戦う気を失(な)くさせてしまうほどの「抑止力」ということにもなろうか。



日本の名刀として名高いのは「正宗」。

鎌倉時代に造られたという「正宗」を超える名刀は、後の世に現れることがなかったとも言われるほどである。

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鎌倉時代には、日本史上きっての国難が国を襲った。

大帝国モンゴルによる「元寇」である。

二度の襲来を受け、当時の人々は3度目、4度目も来るだろうと大いに身構えていた。



そのような時風において、名刀「正宗」は誕生するのである。

それはあたかも、日本を他国の侵略から護るために、この名刀は生を受けたのではないかと夢想させるほどである。

天の時を知り、人の技術が結晶化した名刀「正宗」を超える名刀が後の世にないことにも、思わず頷(うなず)いてしまえる。

さらには、「武士」という階級が力を増してしていたのも、この国難を乗り切るためではなかったかとまで思ってしまう。



「正宗」の後の世、「村正」という名刀も生まれる。

その「村正」の切れ味は、「正宗」を凌(しの)ぐとも賞賛された。



こんな逸話が残る。

水の流れに両刀を立てて、川上から「枯葉」を流す。

「村正」は見事に枯葉を両断。

ところが、枯葉は「正宗」を避けて流れ去った。



「正宗」の持つ「品位」、そして「圧倒感」をよく表わす逸話である。

良くも悪くも「村正」は切れ味が鋭く、それに対して「正宗」は「切る」という刀の目的を超えた存在なのである。



切れ味に特化した「村正」は、悪しき伝説をも生んだ。

「妖刀」としての「村正」である。




妖刀となされたのは、徳川家康により嫌悪されたためと伝わる。

家康の祖父・松平清康は、家臣に刺殺されるが、その刀は「村正」だったという。

家康の父親・松平広忠が殺害されるのも、また「村正」。

家康の長男・松平信康が自刃した時の介錯の刀も「村正」。

家康の夫人・築山御前を斬った刀も「村正」。



そして、妖刀「村正」は当の家康自身にも、その刃を向ける。

大坂の陣において、家康の本陣に肉薄した「真田幸村」は、家康に「村正」を投げつけたのだとか。



時代が下がり、江戸幕府が凋落すると、倒幕の志士たちは競って「村正」を求める。

「村正」こそが、徳川家を倒せる妖刀だと皆信じていたのである。

江戸城を制圧した西郷隆盛が帯びていたのも、まさにその妖刀であったという。



「斬る」という刀の目的を追求した「村正」は、ひたすら殺人の道具に特化してしまい、その域を出ることはなかった。

それに対して、「正宗」はといえば、およそ孤高の存在の如く、刀という枠を超越してしまっているかのようである。



「生を必する者は死し、死を必する者は生く」

これは、上杉謙信の言葉である。



武士たちの思想は禅的であり、それゆえに逆説的である。

禅的思想の敬愛するものは、「矛盾」なのである。



名刀「正宗」は、斬るために生まれていながら、斬ることを超えた。

この刀は小さな身を守るために斬るのではなく、より大きな国家を護るために斬らなかったのである。

刀の柄には「銘」を刻むのが一般的だが、「正宗」には無銘の刀が多いのだという。ここにも「正宗」のもつ潔さの一端が表れているようにも思える。



「禅は、寒い夜に暖まるるために、寺の仏像をことごとく焼きうる」という。

禅の嫌うところは「表面の虚飾」であり、求めるところは「本質」ということになる。



「刀」の本質とは何か?

人を斬ることか?

ならば何のために斬るのか?



斬った先に求めたものは、自ずから明らかであろう。

刀は嬉々として斬るものではなく、やむなく斬るものである。

それならば、「斬らぬに越したことはないではないか」というところに帰結する。



名刀「正宗」は初めからそこにいて、そこから一歩も動くことはなかったのだろう。

これこそが、名刀と称せらる由縁(ゆえん)である。



出典:新日本風土記 「いざ鎌倉」

posted by 四代目 at 08:41| Comment(4) | 戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
柳生石舟斉

世に言う「無刀どり」

真剣を構えてみて

とても敵わないと

己が死を予感したなら

そして

戦意の喪失を

己が刀を差し出すことで

それを示したのかもしれませんね

江戸時代

武家は切捨て御免

しかし

武士は刀を抜くことは

極めてまれだった

そう聞き及んでいます

武士が刀を鞘から抜くことは

それだけの覚悟がいったようですね

つまり

その後の始末です

若いうちに読んだ本で

「鉄砲を捨てた日本人」というような

タイトルの本を読んだんですけどね

いわゆる

足軽が

しかも

誰の放ったか分かりにくいもので

敵の騎馬武者を撃ち殺しても

恩賞には預かれないので

そんなこんなで

武士の魂は「日本刀」なんでしょうね

さて

現代社会で「正宗」って

なんでしょうね

武器の均衡でしょうか?

私は、現代人の

戦争感には相当程度ズレがあると

考えています

武器の高度化ゆえに

戦争は起こりにくい

個人のレベルで考えると

経済的理由(利権)

社会保障制度

そして

大義

それなくしては

困難な気がします


漫画家が描いたり

一部の識者にとって

個々の人間(兵士)の

生命、人生なんて

国家の前では、虫けら同然なのかもって

勘ぐってしまいます

本当に人間の生き死に関する

感性が鈍になっている気がします

源平でも、戦国時代でも

刀、槍の訓練は

その者の生死を分ける

大きな要因だったと思うんです

でも

現代社会の兵士にとって

生還しようと思っても

破壊力の凄い兵器の使用

いくら訓練しても






Posted by tadashi naganawa at 2011年10月26日 13:02
柳生石舟斉

世に言う「無刀どり」

真剣を構えてみて

とても敵わないと

己が死を予感したなら

そして

戦意の喪失を

己が刀を差し出すことで

それを示したのかもしれませんね

江戸時代

武家は切捨て御免

しかし

武士は刀を抜くことは

極めてまれだった

そう聞き及んでいます

武士が刀を鞘から抜くことは

それだけの覚悟がいったようですね

つまり

その後の始末です

若いうちに読んだ本で

「鉄砲を捨てた日本人」というような

タイトルの本を読んだんですけどね

いわゆる

足軽が

しかも

誰の放ったか分かりにくいもので

敵の騎馬武者を撃ち殺しても

恩賞には預かれないので

そんなこんなで

武士の魂は「日本刀」なんでしょうね

さて

現代社会で「正宗」って

なんでしょうね

武器の均衡でしょうか?

私は、現代人の

戦争感には相当程度ズレがあると

考えています

武器の高度化ゆえに

戦争は起こりにくい

個人のレベルで考えると

経済的理由(利権)

社会保障制度

そして

大義

それなくしては

困難な気がします


漫画家が描いたり

一部の識者にとって

個々の人間(兵士)の

生命、人生なんて

国家の前では、虫けら同然なのかもって

勘ぐってしまいます

本当に人間の生き死に関する

感性が鈍になっている気がします

源平でも、戦国時代でも

刀、槍の訓練は

その者の生死を分ける

大きな要因だったと思うんです

でも

現代社会の兵士にとって

生還しようと思っても

破壊力の凄い兵器の使用

いくら訓練しても・・・

戦略・戦術だけが戦争に勝つ方法論か?

シュミュレーションで

CGを駆使して

米国+日本VS中国

いざ、戦わなばを

放映してみれば

そんな気も萎えそうな気もします

ちなみに

わたし、日本刀を持っていたことが 







Posted by tadashi naganawa at 2011年10月26日 13:10
 感動しました!

本当の名刀には、得も言われぬ「品位」があり、一切の思いを抱かせない「圧倒感」があるのだという。

平たく言ってしまえば、その圧倒感は敵に戦う気を失(な)くさせてしまうほどの「抑止力」ということにもなろうか。


 だからこの名刀なのか・・・とものすごく納得しました。
 ぜひシェアさせてください。
Posted by 吉永 智己 at 2013年04月01日 08:12
刀は敵を殺傷し自分を守る武器だよ
それ以上でも以下でもない
それを持つ人間の心構えの話であって
刀自体に何かを求めちゃいかんよ
正宗と村正は時代が違うし比べるもんじゃない
どちらも名刀である
村正はきれるやすいつよいで普及率が高く
妖刀云々は後世のフィクションね
本多忠勝の蜻蛉切だって村正だし徳川も結構コレクションしてた
Posted by at 2013年12月30日 20:17
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