2011年10月18日

天下に回らなくなったマネー。勝ち目のない籠城戦に突入した世界経済。



「金(かね)は天下の回りモノ」

この言葉には、自分の使ったお金が巡り巡って自分の元に戻ってくる可能性があることを示唆している。

と同時に、現代の経済・金融システムにおいては、「お金は天下で回るほどに殖える」という愉快な現象があることも忘れてはならない。



日本経済が停滞して久しくなるが、その原因の一つとして「金回りの悪さ」が挙げられている。

日本には世界が羨むほどに巨額な金融資産がある。それは、家計と非金融法人を合わせれば、ゆうに2,000兆円を超えるのだとか。

しかし残念ながら、せっかくのこの大金は回っていないという。お金は回るほどに殖えるというが、逆に「回らなければ目減りしてゆく」という悲しい現実もある。



なぜ、回らないのか?

それは、日本の将来があまりにも「不確実」なため、どこにお金を向けて良いか分からないからである。

先行きの不安な状態では、投資することやモノやサービスにお金を費やすことに二の足を踏まざるを得ない。その結果、お金をお金のままで取っておこうとする。

なぜなら、「お金のままの状態」というのは言わば万能の状態であり、あらゆるモノに変換が可能だからである。この万能な状態を「流動性が高い」と金融業界では表現する。



世の先行きが不透明であるほどに、人々は資産を「流動性が高い状態」に置こうとする(流動性選好)。

そのような用心深い人々は、現金を貯金へと回す。すなわち、経済が停滞するほどに日本人は用心深くなり、金融資産を積み上げていったのである。



その大量の金融資産はどうなるのか?

銀行に預けられた資金は、投資に回されることなく、その多くが日本国債の購入に当てられる。

今年度の日本政府の国債発行額は約170兆円とのことだが、そのうちの約65%(110兆円)は過去の国債の借り換えである。



借り換えということは、資金が同じ場所で自転するようなものだから、新たなカネの流れは生み出さない。

つまり、「預貯金 → 金融機関 → 国債」というマネーの循環は、マネーを閉ざされた空間に留め置くことを意味する。

前述のとおり、お金は回るから殖えるのであるから、このような淀(よど)みにお金が捉えられてしまっては、その経済は縮小を余儀なくされてしまう。



内側へ「貯蓄」するほどにお金は回りにくくなるが、逆に外側へ「投資」することでお金は回りだす。

経済学によれば、投資が貯蓄を上回れば経済は好転する。

逆に投資が貯蓄を下回れば、経済は暗転する。そして、貯蓄額は投資額まで減額してゆくこととなる。こうした生理現象がマクロ経済では現実化する(貯蓄・投資バランス論)。



現在の金融システムの元では、お金は使わなくても腐らないとは、とても言えない。

自己保身のために貯蓄に偏りすぎることは、それが国家全体の風潮ともなれば、巡り巡って自分の資産の減額へと繋がってしまう。

この現象は「カネは天下の回りモノ」とは正反対の現象である。仕舞っておいたはずのお金が、フタを開けてみると、アラ不思議、減ってしまっているわけだ。



こうした現象は日本特有のものとされてきたが、昨今の先進国の経済では、この「日本化」が本格的に始まろうとしている。

ギリシャ不安に端を発する欧州危機がその流れを加速させているからだ。

いきなりヨーロッパ各国の先行きが不透明になり、将来の「不確実性」が増大した。

びっくらこいた投資家たちは、資産をできるだけ現金の形(流動性の高い状態)に戻そうと、一斉に資産を現金化。その結果、世界の株価は軒並み急落。リスクの高い新興国の通貨も急落。



今回ばかりは投資家たちもよっぽど慌てたようで、本来ならば買いが集まるはずの「金(Gold)」までも売り払う始末に。

「現金化できるものは何でも現金化してしまえ」という投資家たちが続出したのである(流動性選好)。



こうなると、天下に回るお金はガクンと減ってしまう。

消費の冷え込みを恐れる企業もやはり、投資にお金を回すよりも内部に溜め込もうという動きにならざるを得ない。

さらには、巨額な債務に苦しむヨーロッパの国家も緊縮財政の名の元に、相次ぐ削減削減である。

こうして、世界全体が国家から企業、個人に至るまで、あたかも結束したかのように世界にお金を回さなくなってしまったのである。



これは「合成の誤謬(ごびゅう)」と呼ばれる現象である。

自分の身の周りの安全を確保するために節約や貯蓄に励むほど、経済全体が低迷し、結果的に世界全体が苦しむことになるのである。

当然、貯蓄は投資を上回り、殻に籠っている間に貯蓄は目減りしていくことになる(貯蓄・投資バランス論)。



「攻撃は最大の防御」という言葉があるが、これはお金の性質をもよく表している。

守っている(貯蓄)だけでは減ってしまう現金価値。攻め(投資)に転じたほうが、かえって現金の価値を維持できるのである。



そのため、欧州の経済各紙は、攻め(投資・借金)を強調し、経済の好転を促そうとしている。

守り(貯蓄・削減)を続ける限り、新たな経済成長は見込めず、守れば守るほど経済は後退してしまうからである。



しかし、不確実性の高まった未来のどこに投資をしたら良いのか?

スイス・フランや日本円か? アメリカ国債や日本国債か?

スイスや日本の通貨は当局の介入も懸念される。日本の国債などは悲しいほどの低金利だ。



行き先を決めかねるマネーは、無駄に体力を消耗しながら目減りしていく。

いったい、どこで回ったらお金は伸びやかに成長できるのか?

現在、「不確実性と不信感」という効き過ぎるブレーキが世界に急ブレーキをかけてしまっている。



冷静になってみれば、将来というのは元々不確実なものであり、一寸先ですらも光か闇かは知る由もない。

その本来「不確実な未来」は、投資や借金によって、ある程度「固定化」することができる。投資された方はそれに報いんとし、借金した人や企業は未来に必ず返さなければならないからだ。

しかし、その「固定化した未来」が、おおよそ実現不可能となってしまうと、すべての「取らぬ狸の皮算用」が台無しになってしまうのである。

すなわち、無理やりに固定化した未来は「取らぬ狸の皮」に過ぎず、その「化けの皮」が剥がれてしまえば、やはり未来は元々の不確実な状態に戻らざるを得なくなる訳である。



一方、お互いの信頼というものは、不確実な未来よりも確実にできる場合がある。

今、世界は当てにならない未来を前に、この信頼を試されつつあることになる。



お金自体は食えもしなければ、トンカチの代わりにもならない。

交換できるからこそ、その価値があるのである。つまり、回るからこそ価値があり、回れば回るほどその価値は高まるのである。

そして、その回転を加速させるのが、「将来への確実性と他者への信頼」ということになる。

「宵越しのカネ」を持たずとも平然としていた江戸の庶民は、それだけ未来を信じ、社会に安心しきっていたということであろう。




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posted by 四代目 at 08:17| Comment(1) | マネー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なかなかスッキリわかりやすいですねぇ(^-^)
日本の庶民のカネは結局、なかなか熨し付きで戻らないんじゃないかなー(-_-)と思います。
だから日本人はバカンスから縁遠いんじゃないですかねぇ(^^ゞ
まぁ軍隊無いんで血を流す事も無いんで考えてみたらしゃーないかな?( ̄― ̄)
Posted by 田舎の百姓 at 2011年10月18日 17:36
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