2011年10月17日
「マッカーサー宣言」に見る第二次世界大戦。日本は凶悪な侵略国家だったのか?
「日本は『侵略』のために戦争をした『悪の権化』だ」
これが、マッカーサーが初めて日本に降り立った時(1945)、彼が胸に抱いていた思いだったという。
マッカーサーという人は、第二次世界大戦後、GHQの総司令官として日本占領の任務に当たった人物である。
マッカーサーのこの思いを現実化させたのが「東京裁判」であり、その結果、日本国民全体が日本を「悪の権化」だと思い込むようになる。
東京裁判以来、「日本人の多くは自国の歴史を恥じ、罪悪感にまみれて自分の国をとらえる心情と態度に染められた(渡部昇一)」
ところが、マッカーサーは日本を占領統治する中で「日本の実像」に気づかされ、従来の考えを改めていくこととなる。
日本に降り立ってからおよそ6年後、考えを改めたマッカーサーは米国議会でこう証言する(1951)。
「日本人は労働に尊厳を見出しており、その労働力は質量ともに大変優れており、どこの国にも劣らない。
しかし、日本には蚕(かいこ)以外にこれといった資源がなかった。多くの資源はアジア海域にあり、この供給を絶たれれば一千万以上が失業してしまう。
それゆえ、日本は戦争へと向かったのであり、その目的は主として『安全保障(生存)』のために余儀なくされたものである(Their purpose in going to war was largely dictated by “security”.)」
これが、かの有名な「マッカーサー証言」である。
日本に来る前のマッカーサーは、日本が「侵略」のために戦争をおこなったと思い込んでいた。
ところが、長年に及ぶ日本統治の末、日本は「自衛(security)」のために戦争に踏み切らざるを得なかったのだとマッカーサーは思い至るのである。
ご存知の通り、日米開戦の大きな要因となったのは、アメリカによる日本への経済封鎖である。
日本を敵視するアメリカは、1940年に「航空機用燃料と屑鉄」の日本への輸出を制限(のちに全面禁止)。
さらに翌年(1941)、アメリカは日本への石油を全面禁輸(日本は石油輸入の8割をアメリカに依存していた)。そのため、国内の備蓄では平時で3年弱、戦時で1年半ももたない状況に追い込まれてしまった。
東京裁判で、東条英機・元首相が主張したのはこの点であった。
「日本は侵略のために戦争を始めたのではなく、安全保障(security)のためだった」と。
この東京裁判によって、東条英機・元首相は有罪、A級戦犯とされ絞首刑により処刑される(享年64歳)。
彼は獄中で「親鸞(吉川英治)」の書を所望し、こう述懐したという。
「有難いですなあ。私のような人間は愚物も愚物、罪人も罪人、ひどい罪人だ。」
処刑したマッカーサー、そして処刑された東条英機、この両者は期せずして同じ結論に至るのである。
「日本は『侵略』のために戦争をしたのではない」
マッカーサーの日本への評価は極めて高い。以下、退任演説より。
「日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を知らない。
また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国も他に知らない。」
日本の占領中、マッカーサーは日本の占領軍を朝鮮半島へ派遣することとなるのだが、「その結果生じる日本の空白に対して、何の躊躇(ためら)いもなかった」と言うほど、日本に全幅の信頼を置いている。
「(日本は)世界の信頼を裏切るようなことは2度とないだろう」とまで語っているのである。
「日本人は見事な意志と熱心な学習意欲、そして驚くべき理解力によって、戦後の焼け跡の中から立ち上がった。
今や日本は、政治的にも経済的にも、そして社会的にも地球上の多くの自由な国々と肩を並べている。」
この有名な演説を締めくくる言葉が、「老兵は死なず。ただ消え去るのみ(Old soldiers never die, they just fade away.)」である。
戦後の日本の「戦争観」には、いくぶん偏りがあるようである。
「極悪な日本が第二次世界大戦という侵略戦争を巻き起こし、世界を混乱の渦に落とし込んだ。」
こうした歴史観は部分的には真実があるのかもしれないが、その全てを物語っているとは言い難い。何よりもそう思い込んでいたマッカーサー自身が、その思いを後に公式の場で撤回しているのである。
しかし、日本の歴史教育(教科書)において、この「マッカーサー証言」が取り上げられたことは、未だかつて一度もないという。
歴史の大家・渡部昇一氏に言わせれば、「(日本の)高級官僚にしても、ジャーナリズムにしても、日本は他国を侵略した悪い国だという立場に立ち、日本の悪口を言うことでそれぞれの立場や地位を築き、出世してきた人たちがほとんどだ」ということになる。
つまり、そうした人々にとっては、マッカーサー証言ほどに都合の悪い真実はないのである。
正確な歴史認識は、現実とは別の領域に存在することも珍しくない。
一般常識(歴史の解釈)というのは、時の権力者たちによって作られていることもままある。歴史はまさに「history = high story」なのである。
マッカーサーの退任演説を読むと、彼の冷静な観察眼を知ることができる。
時代の影響か、「共産主義」に対しては偏った考えが垣間見られるものの、全体的には沈着な状況判断を感じることができる。
マッカーサーの見たアジアとは?
「地球の人口の半分と、天然資源の60パーセントが集まったこの地域で、アジアの人々は物心両面で新たな力を急速に結集させている。
アジアの進む動きを止めることはできない。
これは世界の辺境が移動することの当然の帰結であり、世界の中心は巡り巡って、それが始まった地域に戻るものなのなのだ。」
現在のアジアは、マッカーサーの言う通り、世界経済の趨勢を決する場となりつつある。
アジア支配に対する欧米の態度には批判的である。
「彼ら(アジア)が今求めているのは、友好的な指導、理解、支援であり、尊大な指図ではない。
彼らが求めるのは尊厳ある対等であり、隷属(植民地化)という恥辱ではないのだ。」
マッカーサーも歪められた真実には苦労したようである。
「私は好戦主義者だと言われ続けてきた。しかし、これほど事実と遠いことは他にない。
むしろ、私は同時代の誰よりも戦争を知っているのであり、それゆえに戦争ほど嫌悪すべきものは他にないと思っている。
我々はもっと優れた公平な制度を作り出す必要がある。そうしなければ、ハルマゲドンは身近に迫ってくるだろう。」
偏った思想や歴史観は、その時々においては有効かもしれない。
しかし、最終的にバランスを取っていかなかなければ、その偏りのまま地に沈んで逝くことともなりかねない。
確かに第二次世界大戦は大きな衝撃であったであろう。
その反動やブリ返しが大袈裟なものとなったとて、何の不思議もない。
しかし、いつまでも頑張って「振り子」を揺らし続けることはない。自然に収束するものは収束し、必要な教訓は自ずと明らかになるものである。
歴史の「解釈」は常に更新されて然るべしである。
更新なき歴史は、いつまでも歪められたままであり、新しい時代への飛躍を阻む足カセともなりかねない。
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