2010年5月、「イカロス(IKAROS)」という名の宇宙船が打ち上げられた。
この「イカロス」というのは、真四角のピクニックシートのような「セイル(帆)」を広げたヨットのごとき宇宙船である。
このセイル(帆)は実に巨大であり、「14m×14m」、およそ「200平方メートル(60坪・120畳)」もある。

当然、打ち上げの際には、巨大すぎるセイル(帆)をキレイに畳んでおかなければならない。
しかも、ただ畳めばいいだけではない。小さい力で簡単に「展開」する必要もある。その小さい力とは、宇宙船本体が回転する「遠心力」のみである。
「できるだけ小さく畳み、できるだけ小さな力で展開する」。この難題を解決するために活用されたのが、日本の伝統「折り紙」の技術であった。
宇宙科学のハイテク研究者たちが、頭を突き合わせてローテクの「折り紙」に試行錯誤したことになる。
最初は「扇子(せんす)折り」という折り方が有力な候補に上がった。しかし、この折り方では「折り目」が中央に集中してしまい、中央部分のセイル(帆)の損傷が懸念された。
そこで、「らせん折り」という方法が試された。この折り方であれば、折り目が分散するので、よりセイル(帆)に優しい結果となった。
しかし、この「らせん折り」は見た目よりもずっと複雑である。直線に見える部分が、実は全部「曲線」なのだ。制作も困難であれば、キレイに折り畳むこともより困難である。

長き試行錯誤の末、最終的に採用された方法は「四角型折り」というシンプルな折り方だった。
巨大なセイル(帆)を四分割し、その4つの部分が独立して展開する仕組みである。

このセイル(帆)、実に薄い。わずか7.5マイクロメートル(0.0075mm)。
巨大で極薄のセイル(帆)をキレイに畳む困難さは想像を超える。折り鶴ですら、ズレないつもりで折っていても、結局ズレて白い部分がのぞいたりするものである。
「イカロス」のセイル(帆)は、大の大人が10人がかりで一折り、一折り、心を込めて折っていったのだという。わずかのズレが宇宙では致命傷ともなりうるのである。

「イカロス」のセイル(帆)は、宇宙で美しく展開した。大成功である。
このセイル型の宇宙船の成功は、世界初の快挙であった。
日本の心は、宇宙に大きくその翼を広げたのだ。
そもそも、なぜイカロスはそれほど巨大なセイル(帆)を必要としたのか?
それは、太陽光のエネルギーのみならず、太陽光が外側に放射する「極くわずかの圧力」を推進力とするためだった。
太陽光の圧力は、イカロスの巨大なセイル(帆)に対しても、わずか0.2g(1円玉の5分の1)。こんな微弱な圧力でも、空気抵抗のない真空の宇宙空間では加速できるのである。
「イカロス」がこの微弱の太陽圧力をとらえることに成功したことにより、「燃料なし」で宇宙を航海することが可能となった。
それまでは、太陽光以外のエネルギー源は「原子力電池」しかなかった。この電池は、原子力という名の通り、放射性物質の「プルトニウム」を搭載することになる。そのため、その危険性や世界的な感情の問題があった。
しかし、「イカロス」の成功は太陽光の届かない宇宙への旅の可能性を見せてくれた。木星より遠い宇宙は太陽光が弱く、ソーラーパネルだけの旅は不可能と考えられていたのだ。
「イカロス」は宇宙への夢を大きく押し広げた。
そして、そこには日本の伝統「折り紙」があった。
原子力という最先端の技術に、「折り紙」という古い古い伝統が打ち勝ったのである。
宇宙飛行士の選抜試験の一つに、「折り鶴200個を正確に折る」というのもあるそうだ。
宇宙と折り紙は、まったく次元が違うようでいても、その思想の根は同一の地平にあるようだ。
「ミウラ折り」という地図の折り方も、人工衛星の太陽パネルの折り方として実用化されている。
この折り方は「三浦公亮」氏の発案によるもので、対角線の両端をつまんで引っ張るだけで、巨大な面が一気に展開する仕組みである。
これら「折り紙」の技術は、日本の「たたむ」という文化が育んだ結晶である。
その「たたむ」という文化は、省スペースの発想を超えて、「部屋に何も置かない」という美学にまで通じている。
「何もない空間(無)」に美を見出すのは、源氏物語の時代から日本の伝統である。
欧米文化においては、どちらかと言うと「大きいもの」、「豪華なもの」にステータスがあるようだが、日本文化の粋(すい)は「何もない(無)」ということになる。
家のパーツは取り外し可能(フスマ・障子・畳)であり、収納可能(布団・ちゃぶ台)である。
欧米の「足し算」の美学とは対称的な、日本の「引き算」の美学ということか。
ある外国人は、それが日本人の「謙虚さ」だという。
普段は決してひけらかすことなく、必要な時にだけ力を見せる。
こうした日本の「古き美」を再評価するのは、決まって外国人ということになる。
日系アメリカ人に「イサム・ノグチ」という芸術家がいる。彼の作品の中に、「ちょうちん」をモチーフにした「あかり(Akari)」というシリーズがある。

「ちょうちん(提灯)」とは、紙と竹で構成された折り畳める灯りであり、その機能美と柔らかい光がアメリカやヨーロッパで絶賛されたのだ。
当初、日本では評価の低かった「あかり(Akari)シリーズ」も、欧米の高評価とともに日本で再評価されることとなった。
それは、第二次世界大戦が終わって間もない頃だった。
戦後の日本は「追いつき追い越せ」と、ひたすら欧米化を進めていた時代。
日本は欧米を嗜好し、かたや欧米の一部では日本の美を評価する。愉快なスレ違いである。
宇宙に羽ばたいた「折り紙」は、世界各国でも子供の教育として取り入れられているのだという。
ペラペラの紙一枚が、またたく間に立体的な動物になったり、いろいろな道具になったりする。
「限定されているはずの世界が、無限の可能性に変化する」。それこそが「折り紙」の妙であり、その創造性と芸術性が世界で高く評価されているのである。
「イカロス」の成功は、折り紙の発想が「最先端分野」でも「実用可能」であることを示してくれた。
一言では言い表せない日本文化の深淵を、折り紙はたった「一枚の紙きれ」で表現していることになる。その単純な一折り、一折りには「日本人の心」が折り込まれているのである。
そして、日本の美しさは表に出てくるとは限らない。奥深くに畳み込まれていることも、ままあるのである。
出典:COOL JAPAN
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