2011年10月05日

「ないない尽くし」に価値がある。一乗谷の意外な広告戦略。織田・朝倉の戦国大名に想いを馳せながら。


「あまりにも何もない

だから面白い。」

このキャッチコピーが交通広告グランプリ(2011)に輝いた。

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いったい、どこの話?

福井県は一乗谷(いちじょうだに)である。

市町村のPRがグランプリをとるのは異例のことであった。

それもそのはず、このコピーを手がけたのは「佐々木宏」氏。日本を代表するクリエイターであり、ソフトバンクのCMなどは有名である。



「何もない」と言われて、どう思うか?

たいていの人は「何かあるだろう」と思うらしい。

しかし、残念ながら一乗谷には「本当に何もない」のだとか。



「一乗谷」と聞いてピンと来る人は、歴史を知っている人であろう。

室町の南北朝時代から戦国時代にかけて、朝倉氏の居城とされた場所である。



応仁の乱(1467)により京都が荒廃すると、京の公家・高僧・学者などなど「やんごとなき方々」が続々と一乗谷へ逃れ落ちてくる。

そのため、一乗谷には「北の京」と呼ばれるほどに京文化が花開いたのだそうだ。最盛期には人口1万人を超えていたという(当時の京都の人口がおよそ20万人)。

戦国時代には、後の室町将軍となる「足利義昭」も朝倉氏を頼って一乗谷へと落ち延びている。



その華やかなる北の京を一瞬にして「灰塵」としてしまうのが、かの織田信長である。

名門・朝倉氏に食ってかかった新興・織田氏。

ある戦では、命からがら信長はシッポを巻いて逃げ出している(金ヶ崎の戦い・1570)。盟友と信じていた浅井氏の裏切りによる敗戦であった。信長が辛くも逃げ切ったときには、供回りが10人もいなかったという(金ヶ崎崩れ〜朽木越え)。

ちなみに、浅井氏の裏切りを信長に知らせたのが、浅井氏に嫁いだ信長の妹「お市」の方。両端が閉じた小豆の袋をもって、「袋のネズミ」であることを伝えたという(お市はお江の母親)。



屈辱的な敗戦からの信長のリベンジは猛烈であった。

怒涛のごとく押し寄せる織田軍の前に、朝倉軍は押しに押され、朝倉家は内部からも瓦解を始める。

信長、乾坤一擲の決断となったのは、荒れ狂う暴風雨の中の出陣。

「まさか」と虚を突かれた朝倉勢は総撤退。背を見せる朝倉軍に、信長軍は徹底した追撃戦を展開し、朝倉本軍を壊滅に追いやった(刀根坂の戦い・1573)。



逃れに逃れて朝倉勢は一乗谷へ。

当主・朝倉義景(よしかげ)の手勢は500人にも満たなかったという。

義景は止むなく一乗谷の城を捨て、さらに北を目指す。しかし、その途上、いとこ・景鏡(かげあきら)の裏切りにより、義景は自刃。ここに名門・朝倉氏は滅亡することとなる。



一方、無人の一乗谷に踏み込んだ織田勢は、一気に一乗谷を制圧するや街にはことごとく火を放つ。

信長は鬼か? 一万人の人々は?

こうして、百年の栄華を誇った一乗谷は一夜にして「灰」と化した。



以後、信長の支配下に入った一乗谷は、民心定まらず相次ぐ一揆に苦しめられる。

後を任された柴田勝家は、本拠地を一乗谷から「北ノ庄」へと移す。

それ以降、一乗谷は辺境の地となり、田畑の下に埋もれていった……。



一乗谷が再び陽の目を見るのは、およそ400年後。

1960年代、遺跡の発掘調査により、朝倉五代の城下町は「そっくりそのまま」の形で姿を現した。

しかし、その後は城などが復元されるわけではなく、礎石などが点在する平坦な跡地だけが広がっている。

まさに「あまりにも何もない」状態である。

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この「何もない」様に価値を見出したのが、前出、「佐々木宏」氏であった。

東京がド田舎だった頃に、京都の奥座敷として栄華を極めた「一乗谷」。

悲劇的な歴史を抱えたこの町には、「戦国時代の息遣い」が残されていた。



灰塵とされたのは一瞬の出来事。

信長が来る前までは、実に穏やかな街だったのだという。

笑っている石仏が多いのだとか。



「全部入り」の観光地が多い中、一乗谷は「イメージするだけの場所」。

「なにもないのです。

目を閉じて、耳を澄まして、

イメージするしかないのです。」

「ある」ことが当たり前の時代に、「ない」ことはかえって貴重なのかもしれない。



佐々木氏は地方の観光地化には否定的だ。

「地方に妙な建物を造ったり、変な銅像が立っていたりする。」

プロカメラマンの撮影した息を飲むほど美しい写真にも疑問を呈す。

「広告において、ポスターは最も効かないメディアになっている。」



必要なのは、「見させる工夫」なのだという。

佐々木氏のキャッチコピー「あまりにも何もない。だから面白い。」により息を吹き込まれたポスターは、地下鉄駅のエスカレーター脇に掲げられた。



その結果、一乗谷を訪れる観光客は前年比30%増の72万人に達したという。

最も来客の多かった今夏7月は前年比200%、つまり2倍の観光客が訪れたことになる。



佐々木氏は「未来を悲観するのが好きな大人たち」に、一乗谷に来てもらいたいと思っている。

何もないから、何かを考える余地がふんだんにある。

「どうせ何かを考えるのなら、楽しいことを考えてみたらどうだろう?」



一乗谷が栄華を極めていた頃、その街が焼かれるなどと誰が想像しただろう?

一乗谷を焼いた信長も、己が焼かれるとは思ってもいなかっただろう。



400年間も眠っていた城址は、何を聞いていたのだろう?

クワの音だろうか? どこかの笑い声だろうか?

次の100年後、一乗谷はどんな姿をしているのだろう?

そして、日本は?




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出典:ろーかる直送便 ヒューマンドキュメンタリー 
「なにもない だから面白い〜広告は日本を変える」
posted by 四代目 at 07:34| Comment(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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