鳥が近寄らない「銅像」があるというのも面白い話である。
その銅像とは、金沢(石川)は「兼六園」にある「日本武尊(やまとたける)」像のことである。
「なぜ、この銅像には鳥のフンがつかないのか?」と疑問を抱いていた「廣瀬幸雄」氏。
その謎は、日本武尊像の改修工事の折に明らかになる。
この銅像は、他の銅像とは「異なる成分」で出来ていた。
何が異なるかと言えば、「ヒ素」と「鉛」の含有量が非常に多いのである。
「はは〜ん、ヒ素も鉛も毒だからか。なるほど。」と思うのは早計である。
本当の秘密は、ヒ素と鉛そのものではなく、その含有比率から誘導される「電磁波」にあった。
異種金属が多いことにより電流が発生し、「鳥の嫌がる電磁波」が銅像より発せられていたのである。
その様をイメージしてみると、あたかも日本武尊の「オーラ」に鳥が近づけずにいるようではないか。
この銅像が建てられたのは、明治13年(1880年)。西南戦争で没した霊を慰めるものであったという。
当然、鳥が近寄れない電磁波はあらかじめ計算されたものではなかった。
それは偶然の産物である。
当時の銅像造りの技術では、銅を溶かす温度が十分に上げられなかった。
そのため、銅が溶けやすいように「ヒ素と鉛」を混合したのだそうな。
後々に分かることであるが、この「ヒ素と鉛」の割合は多すぎても少なすぎても、鳥の嫌がる電磁波が出ないとのことである。
まさにタマタマ、そういう割合になったということである。
この発見をした「廣瀬幸雄」氏は、見事「イグ・ノーベル化学賞」を受賞した(2003)。
「ん?ノーベル賞でしょ?」
ノーベル賞ではなく「イグ」ノーベル賞である。これは「裏」ノーベル賞とも言われるユニークな賞である(頭に「イグ」をつけると反対の意味になる)。
この賞は「人々を笑わせ、考えさせてくれる研究」に与えられる賞であり、他の日本人の受賞者には、バウリンガル(犬の鳴き声を翻訳する機械)の発明者などもいる。
イグノーベル賞はバカバカしくも楽しい賞ばかりであるが、とても実用的な研究も少なくない。
廣瀬幸雄氏の銅像の研究もそうであり、鳥が近寄れない電磁波の技術は「カラスよけ」として応用されているのだという。
さらに余談ではあるが、日本武尊(やまとたける)に関する雑学を。
名前を聞いたことはあるけど、日本武尊が何をした人か知らない人は多いように思う。
生年は「西暦72年頃〜113年頃」、古事記や日本書紀に登場する神話的な人物である。
日本武尊の人生は、戦いの一生である。
九州(熊襲)を征伐するのを皮切りに、出雲(島根)、吉備(岡山)、難波(大阪)と次々に邪神を退治してゆく。
西方の討伐を終えるや、次は東国である。
さすがの日本武尊も東国では少々手こずる。
相模では「火攻め」に遭う。ここで登場するのが有名な「草薙(くさなぎ)の剣(天叢雲剣)」である。燃える草をこの剣で薙ぎ払うや、逆に敵を焼き尽くしてしまう(この地が焼津となる)。
相模から上総(千葉)に渡る海では「大波」に遭う。この大波を鎮めるために海に身を投げるのが、日本武尊の妻である。
日本武尊は東国を平定した後、「わが妻よ…」と三度嘆いたと伝わる。「わが妻 = 吾妻 = 東(あづま)」ということで、東国は「あづまのくに」と呼ばれるようになったのだとか。
東国平定の帰途、日本武尊は伊吹(滋賀)の神との戦いで病の身となり、伊勢を経て、熊褒野(三重)の地にて没する(享年30歳前後)。
死して後は「白鳥」になり天へと翔けてゆく。
このような人物に「鳥」が近寄れないというのも、面白い偶然である。
ついついスピリチュアルな解釈を試みたくもなるが、それが化学的なものであったというのも「幽霊の正体見たり…」のようだ。
それでも、この偶然を引き寄せたのは日本武尊の「霊験」か?
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出典:爆問学問
「笑うイグノーベル賞SP〜世界を変えた発明編」


このトライボケミカル反応にもノーベル物理学賞で有名になったグラフェン構造になるようになる機構らしいが応用化の速度にはインパクトがある。
の技術は凄い。実験炉だけでも極めて困難。電気炉で溶解するまでは、途方もない苦労がある。それをすべて経験した人は、今の時代ではいないはず。タイムトラベラーに見える。
エキサイティングな気持ちにさせますね。