その少年は「菓子パン」を盗んでしまった。
ところが、残念。
この少年、この菓子パンを食べる前に刑事さんに捕まってしまう。
時は第二次世界大戦の真っ最中。
不幸にも空爆で両親を亡くしてしまった少年だった。
こうして、少年はブタ箱の中で新年を迎えることとなった。
そして、「あの出来事」が起こったのは、少年院へと向かう途上のことだった。
バスを待つ間、向かいの駄菓子屋に並ぶ「菓子パン」が目に入る。
またもや、「菓子パン」である。
時は戦時中の食糧難。甘いモノには、ノドから手が出てしまう。
少年はその「菓子パン」が気になってしょうがない。
すると、連れの刑事さんがスタスタと駄菓子屋へと向かい、その「菓子パン」を買ってきた。
「食え」
無造作に「菓子パン」を手渡される。
袋には菓子パンが2つ入っていた。
当然、1つは刑事さんのだと思って、1つだけ取って残りを刑事さんに返した。
ところが、刑事さん。「バカ、一人で食っていいんだよ。」
そう言われた途端、急に少年の目から涙が溢れた。
少年には一度に2つも「菓子パン」を食べた経験がなかった。
この少年にとって、一人で2つの菓子パンを一度に食べていいというのは、まさに夢のような出来事だったのだ。
この後、少年は少年院へと送られる。
少年は刑事さんと菓子パンのことが忘れられない。
なんとも有り難く、なんともウマかった。
一週間後、少年はお腹が痛くて苦しんでいた。
なんと、彼は一週間「うんち」をしていなかった。
お腹にある「菓子パン」をウンチなんかにしてしまいたくなかったのだという。
戦時中の殺伐とした中、刑事さんからもらった「菓子パン」は嬉しくてしょうがなかった。
「菓子パン」それ自体もそうであるが、両親を亡くして以来、人の優しさから遠ざかっていたため、刑事さんの優しさ、温かさが忘れられなかったのだ。
「うんち」をしてしまうと、それら全てが流れて行ってしまうように感じたのだという。
この少年は、小さき頃の「西村滋」氏である。
西村氏の書いた小説「お菓子放浪記」は、この体験から生まれたのだという。
この小説は、テレビドラマ「お菓子と私」の脚本を小説化したもので、読書感想文コンクールの課題図書にもなっている。30年以上のロングセラーである。
根強い人気を誇る「お菓子放浪記」は、数冊の続編を経て、今年(2011)映画化された(エクレール・お菓子放浪記)。
少年に生きる「希望」を与えてくれた「菓子パン」。
しかし、終戦後、その「菓子パン」を巡って、醜い争いばかりが続く。
その様に少年は「絶望」する。
捨て鉢になっていた少年に、かつての恩師はこう語りかけた。
「あなたが『お菓子』になればいいのよ。
人を嬉しがらせたり、美味しがらせたりする。
そんな人間になればいいのよ。」
「希望」は与えられるのを待っていてもやって来ない。
自分自身が「希望」になって、人々を嬉しがらせよう。
そんな想いを胸に、西村氏は生きてきたのだという。
かつては戦災孤児だった西村氏は、大震災で震災孤児になってしまった子供たちに語りかける。
「ガンバレとは言わない。泣いてもいい。
だけど、泣いていても、大人たちが何をしてくれているのか、よく見ておきなさい。
美味しい人間とは、どいういう人間なのか?」
戦争、大災害…。
その中にあって、希望を見るのか、絶望を見るのか。
なぜ世界では同じことが繰り返されているのだろう?
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出典:致知9月号

