2011年09月29日

「菓子パン」の何と有り難かったことか。少年の運命を変えた「人の善意」。


その少年は「菓子パン」を盗んでしまった。

ところが、残念。

この少年、この菓子パンを食べる前に刑事さんに捕まってしまう。



時は第二次世界大戦の真っ最中。

不幸にも空爆で両親を亡くしてしまった少年だった。



こうして、少年はブタ箱の中で新年を迎えることとなった。

そして、「あの出来事」が起こったのは、少年院へと向かう途上のことだった。



バスを待つ間、向かいの駄菓子屋に並ぶ「菓子パン」が目に入る。

またもや、「菓子パン」である。

時は戦時中の食糧難。甘いモノには、ノドから手が出てしまう。



少年はその「菓子パン」が気になってしょうがない。

すると、連れの刑事さんがスタスタと駄菓子屋へと向かい、その「菓子パン」を買ってきた。

「食え」



無造作に「菓子パン」を手渡される。

袋には菓子パンが2つ入っていた。

当然、1つは刑事さんのだと思って、1つだけ取って残りを刑事さんに返した。



ところが、刑事さん。「バカ、一人で食っていいんだよ。」

そう言われた途端、急に少年の目から涙が溢れた。

少年には一度に2つも「菓子パン」を食べた経験がなかった。

この少年にとって、一人で2つの菓子パンを一度に食べていいというのは、まさに夢のような出来事だったのだ。



この後、少年は少年院へと送られる。

少年は刑事さんと菓子パンのことが忘れられない。

なんとも有り難く、なんともウマかった。



一週間後、少年はお腹が痛くて苦しんでいた。

なんと、彼は一週間「うんち」をしていなかった。

お腹にある「菓子パン」をウンチなんかにしてしまいたくなかったのだという。



戦時中の殺伐とした中、刑事さんからもらった「菓子パン」は嬉しくてしょうがなかった。

「菓子パン」それ自体もそうであるが、両親を亡くして以来、人の優しさから遠ざかっていたため、刑事さんの優しさ、温かさが忘れられなかったのだ。

「うんち」をしてしまうと、それら全てが流れて行ってしまうように感じたのだという。



この少年は、小さき頃の「西村滋」氏である。

西村氏の書いた小説「お菓子放浪記」は、この体験から生まれたのだという。




この小説は、テレビドラマ「お菓子と私」の脚本を小説化したもので、読書感想文コンクールの課題図書にもなっている。30年以上のロングセラーである。

根強い人気を誇る「お菓子放浪記」は、数冊の続編を経て、今年(2011)映画化された(エクレール・お菓子放浪記)。



少年に生きる「希望」を与えてくれた「菓子パン」。

しかし、終戦後、その「菓子パン」を巡って、醜い争いばかりが続く。

その様に少年は「絶望」する。



捨て鉢になっていた少年に、かつての恩師はこう語りかけた。

「あなたが『お菓子』になればいいのよ。

人を嬉しがらせたり、美味しがらせたりする。

そんな人間になればいいのよ。」



「希望」は与えられるのを待っていてもやって来ない。

自分自身が「希望」になって、人々を嬉しがらせよう。

そんな想いを胸に、西村氏は生きてきたのだという。



かつては戦災孤児だった西村氏は、大震災で震災孤児になってしまった子供たちに語りかける。

「ガンバレとは言わない。泣いてもいい。

だけど、泣いていても、大人たちが何をしてくれているのか、よく見ておきなさい。

美味しい人間とは、どいういう人間なのか?」



戦争、大災害…。

その中にあって、希望を見るのか、絶望を見るのか。

なぜ世界では同じことが繰り返されているのだろう?




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出典:致知9月号

posted by 四代目 at 13:25| Comment(0) | 女性・子ども | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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