2011年09月27日

オババのいる4000年の森。山は焼くからこそ若返る。


「カンチョー、カンチョー」

そう言いながら「タラの木」を棒で叩く「オババ」がいた。

タラの木を叩いて「タラの芽」を落としているのだ。「カンチョー」とは鹿のことらしい。

鹿がタラの芽を食べると、「角(つの)」がポロッと落ちるというところから、「カンチョー」と言えばタラの芽もポロッと落ちるのだとか。

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ここは、九州・宮崎県の山奥、平家の隠れ里とも言われた「椎葉(しいば)村」の森である。

「オババ(87歳)」はこの村へ嫁に来て以来、60年以上も森とともに生きてきた。

「お金が一銭もなくとも、火と水と塩さえあれば世渡りはできますよ。」



そう言うオババは森の植物を何百種と熟知している。何が食べられ、何が食べられないのか。

食べられる「土」まで知っている。「イモゴ土」という赤土は、大飢饉の折にソバ粉に混ぜて食べられていたのだとか。



そのオババの恒例行事が「焼き畑」である。

8月になると山を焼く。

「焼き畑」で一番怖いのが「山火事」だ。8月は山が最も水分を含んでいるため、山火事にはなりにくい。



焼き畑の後に「雨」が降ってくれる日時を慎重に選ぶ。

しかし、天気予報を見るわけではない。「山鳩」の声に耳を澄ますのである。

「アヤーオ ヤーオ」と良い声で鳴いてくれれば、次の日には「雨」が降る。

そして、「雲」が山から谷へと下って来れば、山を焼く準備は整う。



焼き畑の前には、神に祈る。

「山の神様、火の神様、どうか火の余らぬように……。よう焼けてたもれ……。」



火は山の斜面の「上」から入れる。先祖伝来の「火退(ひぞ)かし焼き」という手法である。

2時間ほどもすると、火は斜面の「下」まで回ってくる。そうすると、火は風を呼び、煙が一ヵ所に集まるように舞い昇る。

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「火の神様と風の神様が一緒に天に舞い上がる」

オババの読み通り、キレイに焼けた後には「雨」が来た。



山がまだ熱いうちに「ソバ」の種を蒔く。

ソバの種を見たことがあるだろうか?

その形は三角であり、3つある端の1つでも地面に触れれば発芽する。「ひと転がりで発芽が始まる」。

ソバはこう言うそうだ。「オレをそんなに埋めんでも、ちゃんと生えてやるよ。簡単にしてよかよ。」

「オレの端(はし)を隠すより、オマエの恥(はじ)を隠せよ。」



ソバは植えてからわずか一ヶ月で「花」を咲かせる。

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そして、3ヶ月せずして「収穫」ができる。

「恥を隠す」ヒマもないほどのスピードである。なんとも有難い植物である。



オババはこのソバの種を60年以上守ってきた。

「植えては種を取り」の繰り返しを60年以上である。

「いったん切らしたら、この種はどこにも無い。」



世界の環境論者はこう言うかもしれない。「焼き畑は環境破壊だ!」

おっしゃる通り、世界には焼き畑により再起不能となった森が数多く存在する。

しかし、オババの森は4000年間も焼き畑を続けながらも、いまだ森は壮健なのである。



オババは言う。

「山を焼くと、森が若返る。」

30年したら木を切り倒す。そうすると、切り株から新しい芽が出てくるのだ。そして、また次の30年に新しい命が与えられる。

しかし、30年以上経ってしまった木は、切り株から新芽が生えてこなくなる。そして、その木は次の30年を生きられるかどうか分からない。

樹木が「代替わり」を繰り返すことにより、森は常に若々しい状態を保てるのである。



オババは樹皮を噛(かじ)る。

甘ければ栄養が葉ッパから根ッコへ戻っていることになる。葉ッパの栄養が根ッコに蓄えられていれば、たとえ木を切り倒しても、根から再び新芽を出すエネルギーが湧き上がる。

しかし、栄養が根ッコに戻らぬうちに切り倒すと、勢いの良い新芽には恵まれない。



オババは音も聞く。

幹に耳をあて、ヒューヒューという音を聞く。

音が木の「切り時」を教えてくれるのだ。「切ってくれ〜、若くしてくれ〜」と木が言うのだそうな。



焼いた一年目は「ソバ」。

二年目は「ヒエ」、三年目は「小豆(あずき)」、四年目は「大豆(だいず)」。

これで終わり。焼いた畑は4年使ったら、山へ返す。

次に焼くのは30年後である。

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このユルリとしたサイクルが森に活力を与え続けるのだ。

少し刺激を与えるほうが、山は力を増す。

恵まれた環境では山は実力の半分も出さないが、いざとなると(少し焼かれると)、120%の力が大地から湧いてくる。



森は焼かれたとて、それは表面上の出来事である。

森の本当の命は、土の中に蓄えられている。地表から5cmも潜れば、火の熱はほとんど伝わってこない。

ミミズやダンゴムシは土中で火をやり過ごす。火が収まるや、焼けて出来た新しいエサをバクバクと食らい始め、次々と新しい土を作り出す。



キノコの菌糸などもそうだ。小動物よりもっと細かく土を分解してゆく。地中を分解し尽くしたら、地上に顔を出してお馴染みの「キノコ」になる。

つまり、キノコが出た土地はもう分解が終わっているのである。

そして、キノコは新たな菌糸(胞子)を風に任せて飛ばしてやる。



オババは自分では何も新しいことをしたことがないという。

「ピシャっと昔の人の言うことを守らないと、焼き畑はできない。」

こうした伝統が山と人を結び付けてきたのである。



オババは山にとって見事な歯車である。

オババがいるから、山は動き続ける。その歯車は大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどピッタリと山に収まっている。

もし、少しでも動きを違(たが)えれば、自然は失われてしまうのかもしれない。

こういう様を「絶妙」と言うのだろう。



オババは生きることを「世渡り」と言った。

俗に言う「世渡り」とは、人と人の間をうまくやっていくことだ。

それに対してオババの「世渡り」は、自然界とのバランスを絶妙に取りながら生きてゆくという意味である。



我々は人の間さえ渡れれば、それで満足してしまいがちだ。

しかし、それは小さな世界の一つに過ぎない。

その小さな世界に囚われ過ぎると、いつのまにか自然界とのバランスを失ってしまう。

それは、自然に全く興味のない人々かもしれないし、逆に過度に環境保護を訴える人々かもしれない。



自然界は「大は小をかねる」が常に正しいわけではない。

「過ぎたるは及ばざるが如し」ということもままある。

自然界にピタリと収まる型を見つけるには、その場その場の流れに合わせてゆくより他にない。



少なくとも、オババは4000年の歴史の継承者として、すでに見事な型を持ち合わせている。

オババの「カンチョー」が自然を破壊することは決してない。



4年前、ハトの夫婦のように一緒に暮らしていた夫に先立たれた。

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それでも、オババは山を焼いてソバを植え続ける。

オババがいるから、この山はいつも元気だ。





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出典:NHKスペシャル
「クニ子おばばと不思議の森」


posted by 四代目 at 10:22| Comment(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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